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2015.04.24
2012.12.06

新たな“中国像”を描き出す方法—新世代の日中関係論【後編】與那覇潤×家永真幸×福嶋亮大

日中国交正常化40周年を迎える本年。先の大戦を知らず、国交正常化当時もまだ生まれておらず、物心つくころには冷戦も終焉を迎えていた--そんな、新世代を担う若き俊英たちの目に、日中関係はどう映っているのか。これまでの歴史的文脈に新たな展望を加えるべく、南山大学アジア・太平洋研究センター主催のシンポジウム「新世代の日中関係論―日中国交正常化40周年に寄せて」が開催され、三者の熱い討論が行われた。(2012年10月27日 於 南山大学)

家永 真幸 (イエナガ・マサキ)

1981年生まれ。歴史学者。東京医科歯科大学教養部准教授。専門は中国近現代史、中台関係史。著書に『パンダ外交』(メディアファクトリー新書)がある。

福嶋 亮大 (フクシマ・リョウタ)

1981年生まれ。批評家、中国文学者。現在、京都造形芸術大学非常勤講師。著書に『神話が考える ネットワーク社会の文化論』(青土社)がある。

與那覇 潤 (ヨナハ・ジュン)

1979年生まれ。歴史学者。愛知県立大学准教授。専門は日本近現代史。著書に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『中国化する日本』(文藝春秋)、『史論の復権』(新潮新書)、共著に『「日本史」の終わり』(PHP研究所)、『日本の起源』(太田出版)など。

曖昧な決着を阻むナショナリズム


家永  インターネットの話が出ましたが、科学技術史というかメディアの進化は、歴史を見る上ですごく大事だと思うんです。
 今、裏表のある外交的な曖昧な決着というのが、すごくやりづらい時代になってしまっている。私のイメージですけれど、1990年代以降と以前で、全然違うんじゃないかと思うんです。なので、曖昧にすればいいというだけの話にはなりにくいというのが、今の難しさじゃないかと思います。

與那覇  実は、曖昧に決着させるというやり方のほうが、本来は東アジアの伝統ではないかということを、博士論文である『翻訳の政治学』に書いたことがあります。
 たとえば近世のあいだは琉球王国のことを、徳川幕府の側は薩摩藩が実効支配する属国だと思っていたけど、清朝中国の側は「うちの朝貢国だ」と考えていて、実際に琉球は両国に使節を送っていた。その頃から、政権担当者レベルでは日中間での解釈の食い違いは知られていましたが、別にそれを解消しようとはしなかった。曖昧でよかったわけです。

 ところが、両方の言い分が同じメディアの上で激突してしまうと、「お互い、言い分は食い違っているけれども、まぁそれぞれ曖昧に住み分けましょう」とはいかなくなるというのが、家永さんの今のお話ですよね。
 実は明治時代にも、欧米人が居留地で英字新聞を発行しはじめた結果、その上で論争が起きて引くに引けなくなるんですよ、「沖縄県設置をAnnexation(併合)と報じたのは誤報だ、江戸時代から『わが国固有の領土』だ」といった感じで。今はTVやインターネットが普及したせいで、同じことがもっと大規模な形で起きていますね。


福嶋  曖昧でなんとかやれていた時代というのは、ナショナリズムがなかった、あるいは弱かった時代でしょうね。ナショナリズムがこれだけ広がってしまうと、かつての琉球みたいな曖昧な帰属自体が許されなくなってしまう。だからこそ、当事者の国家がフェイス・トゥ・フェイスでやり合っても、もはやうまくいかないんじゃないか。繰り返しになりますが、第三項を交えていくことが必要なのではないかと思います。

與那覇  ナショナリズムの場合は、「イメージの両義性」という問題が出てくると思います。ロジックではなくイメージが緩衝材として挟まることで、相手に対する悪感情が沈静化したり、激烈な政治的主張に走らずに済んだりする可能性はある。一方、やはりイメージという媒介物を持つことで、われわれ人間は自分の物理的な身体の周りにはないことにまで、一体感を持ったり感情移入をしたりできるようになるのですが、その範囲はしばしばネーションと一致する。90年代に流行ったアンダーソンの『想像の共同体』はそういう話ですよね。

 それこそ尖閣なんて、多くの日本人はどこにあるかも正確に知らないのに、そこに香港の人が上陸したというだけで、あたかも自分の家に土足で踏みこまれたかのような不快感を覚える。これは、やはり「イメージ」がもたらす副作用でしょう。よくも悪くもイメージのおかげで、私たちは自分という個人の身体のほかに、国民国家という単位での地理的身体(geobody)も同時に生きているわけです。それは、訪ねたこともない東北地方の漁村が津波に襲われるのを見るだけで、身を切られるくらい辛く感じるという共感の基盤になると同時に、「自国の領土で外国人がデカい顔してるだけでウザい!」という、生理的な排外感情を生み出してしまうこともある。

 とすると、はたして「イメージ」を使うことによって望ましい成果がもたらされるのか、それともむしろ社会が偏狭になり生きづらくなるのか。これが一体どこで分岐するのかなというのが、やはり気になってくるのですが。

中国の<イメージ>を更新する


福嶋   僕も気になりますね。ただ、結局人間はイメージがないと世界を認識できない。だから、陳腐な意見ですが、より未来志向的な「イメージ」を作っていきましょうとしか言えないですね。
 ただ、戦前はある程度日本と中国の間で物理的・身体的な接触があったわけですよ。有名なところで、例えば魯迅が仙台に留学していたとか、芥川龍之介が上海や北京に行って旅行記を書いたりとか、横光利一が『上海』を書いたりとか、とにかく知識人レベルでも距離が近かった。戦争だって、巨大なコミュニケーションだと言えないこともないわけです。

 ところが、戦後はアジアに対して日本も中国もいわば「鎖国」していたということがあって、そういう物理的接触が格段に減ってしまった。そのせいで、中国のイメージ自体が貧弱になり、シルクロードとか香港とかそういう例外的な場所だけを日本人は勝手にファンタジー化したんですね。しかし、現状のようなシリアスなことになると、そういう甘いファンタジーは壊れて、ネガティブなイメージだけが暴走し始めることになる。だから、現状はやっぱり戦後の負債だと思いますね。

與那覇  なるほど。戦時中に武田泰淳が「日中戦争は悲惨な出来事であるけれども、とにかくあれだけの人数が中国を実際に見てきた経験はポジティブに活用していけるし、していくべきなんだ」と書いたことがありますね(「支那文化に関する手紙」)。しかし戦後は結局、それを十分に活用できてこなかった。

 歴史的な幅をとって図式化すると、江戸時代の段階では徳川幕府と清朝のあいだに国交がないから、直接的な接触がほとんどない。オランダ商館長や朝鮮通信使は定期的に江戸まで来るけど、清国人とは長崎で貿易をするだけなので、その意味では(西洋よりも)中国に対して一番「鎖国」していたわけです。こうなると、文字通りに接触が少ないからこそ、沖縄のような地理的身体の境界の所在についても曖昧にしておいて、それぞれ自分の勝ちなんだと思っておくことができた。

 こういう「疎遠さゆえの共存」が可能だった近世に対して、明治維新以降の近代に入ると、日清戦争ぐらいから日中戦争に至るまでの間、よくも悪くも非常に接触が増える。その過程で大変な戦争が起きて悲惨なことになる反面で、自分の物理的な身体を以って中国のことを知った日本人、あるいは日本のことを知った中国人を増やすことができた。そういう側面もあったのは事実なわけです。

 ところが、戦後は冷戦体制がいわば、事実上の「ふたたびの鎖国状態」だったので、また交流のチャンネルが狭くなる。逆にいうとそれとともに、江戸時代的な疎遠さゆえの曖昧な共存、両国のトップ会談だけで政治的に手打ちする妥協も可能になった。家永さんの報告にあったのは、このようにチャンネルが非常に絞られているからこそ、政府がパンダを持ってきて「これで日中友好だよ」と言えば、みんなそれを素朴に信じることができたという指摘ですよね。「なんかパンダかわいいね」くらいのイメージでも、日本人がみんな中国に親近感を持てて、上野動物園も非常に儲かったというのは、それ以外のイメージを掻き立てるような、日中間の直接的接触が少なかったからともいえそうです。

家永  戦後、1950年代60年代というのは、中国の情報が日本に全然入ってこない状態で。けれども、戦前の日本では、ものすごく中国のことを研究していたわけです。研究しなくても、多くの人が興味を持っていたはずです。
 戦後20年間、なんとなくその頭の中のイメージだけで中国を語りがちな……完全にそうとは言えないでしょうけど、語りがちな時代というのがあって、それが終わる瞬間に何が起こったかというと、パンダが友好のシンボルとしてやってきた。
 ある意味パンダはその20年分のうっ憤を全部背負って友好ブームを巻き起こして、そして力尽きて、そこで歴史的役割を終えました。それからは実際に互いが互いを見て…実際にはそれ以前から貿易などの接触はあったわけですが、かなり広範に「リアルな中国」を目の当たりにする日本人が増えてきた。
 その結果、「イメージ」というものが錯綜して、今やどう見りゃいいかわからないし、そもそも入ってくる情報が多すぎる状況になっているんじゃないかと思います。ですから、今こそわれわれが見ている景色に基づいて、新たな中国像を問い直す必要があるんじゃないかなと。そんな像が果たして必要なのかどうかも含めて。


福嶋   おっしゃるとおりですね。新たな中国像ということで言うと、例えば『Newsweek』みたいなアメリカのリベラル系のメディアって、中国の文化情報を折に触れて掲載してるんですよね。中国の有名なお笑い芸人の話とか、その登場が共産党体制下でどういう意味を持っているのかとか、そういう分析が書いてあったりするわけです。この種のちょっと面白い話がアメリカのメディアでは報道されてるんですけど、日本のメディアってどちらかというと政治か経済の話ばっかりなんですよね。

 中国にも普通に文化があって、生活している人間がいるという、そういう実感を与えてくれるような情報が今の日本には乏しいような気がします。相手をビジネス上の数字としてしか見ないのは、やはり貧しいことです。それに関してはメディアの責任であり、学者の責任であり、つまりは僕たちの責任なのかなという感じがします。

與那覇  裏返すと、パンダのように「官製」で中国情報のチャンネルが絞られているからこそ、みんなで仲よく日中友好という単一のイメージを共有できた時代は、もう帰ってこない。80年代にレーガン・中曽根・胡耀邦という形で、日米・日中が同時に空前の蜜月関係を謳歌できた時期があったのが、対ソ連包囲網という冷戦政治の産物だといわれるのと同じですね。今は国際関係自体がもっと複雑化しているのだから、それはもう諦めるしかない。

 福嶋さんが指摘されたのは、しかし結局今でも、中国絡みでメディアに載るのが「靖国」「チベット」「尖閣」といった狭義の政治ネタばかりで、今度は「なんか怖い国」という方向にイメージが一元化しているという問題です。政府が統制しているわけではないにもかかわらず、勝手に一方向にだけイメージが流れていく状況が、今あるのかもしれない。

福嶋  そうですね。さらに僕なりにまとめて言うと、結局ポイントは情報の接触を増やすということと、身体の接触を増やすということなんですよね。現実に話したこともない中国人に対して、『ネットと愛国』の安田浩一氏ふうに言えば勝手に「被害者感情」をふくらませているだけの若者も多い。もちろん「何かを剥奪されている」という被害者感情は見た目以上に複雑で根が深いものですが、だからこそもっと素朴に、身体的接触の重要性を訴えていく必要があるんじゃないかと僕は最近思っています。

 ちょっと長期的なレベルで話をしますと、日本人はそれこそ『魏志倭人伝』の頃から中国に対する憧れがずっとあったんですよ。その千数百年のイメージのストックが、この50年でいきなり枯渇してしまった。その空白を、情報と身体で埋めていくことができるかどうかだと思います。


與那覇  かつてのパンダ的な「かわいいからみんなで仲良く」でもなく、一方で中国と言えば「怖い国、野蛮な国」という現行のイメージでもなく、もう少し中庸というのか、単一の政治的な主張とだけバンドルされてしまうのではない形での、多義性や可変性をもったイメージを作れないかということですね。硬直した地理的身体に対して、人間の物理的身体が本来持っている可塑性を取り戻させる試みというか。
 そういう芽が出てくるように、何か「イメージ」の政治みたいなものをコントロールしていく必要があるのかな、と思うのですが、家永さんにうまい代案はありませんか?

家永  「イメージ」でコントロールするという発想は、あまり今は適切じゃないんじゃないかと思うんです。というのも、中国近代史の概論を授業でやっていると、「結局日本と中国との戦争、どっちが勝ったんですか?」という質問が来るんです。びっくりすると思うんですけれども。
 確かに愚問ではあるんですけれども、そういう気持ちになっちゃう人にも僕は同情的で。というのも、そもそも日本は中国に出ていってアメリカにやられたというだけで、中国に負けたというイメージはたぶんないと思うんです。かつ、終わったあとも、中国抜きの連合国との間でサンフランシスコ条約を結んで戦後処理をするわけです。中華民国とは台北で日華平和条約を結んで終戦の問題を解決するわけですけど、そのとき北京には全然違う中華人民共和国ができている。さらには台湾で民主化が進んで、かつて抗日戦争を戦った中国国民党は今や選挙で負けたら政権を追われる一政党にすぎなくなっている。
 いったい、日本は何に負けて、今なんでこんなことになっているの? ということがわからなくなる。高校の授業を受けただけで来る学部1年生とかが、そういうふうに混乱するというのは、気持ちとしてはすごく同情しています。だからこそ丁寧な授業をしなきゃいけないなと思っているんです。「イメージ」うんぬん以前に、そこら辺をまずは勉強するところから始める必要があるんじゃないかと。

與那覇  自分も歴史の教員として、そこはまさしくおっしゃる通りという気がします。年長世代にとっては「同時代史」だから、言うまでもなく常識として教える必要もなかった部分が、逆にいまの若年世代には、イメージ以前に「知識」として一番欠落している。だからこそ、ものすごく単純化された陳腐なイメージに飛びついてしまう。

物質主義的に考える


與那覇  日中関係を考える時に重要なのは、一つは福嶋さんがご指摘になった「面子」(メンツ)の問題と、もう一つ、その対極にあるビジネス的な「損得」の問題。これをどう両立させてうまく回していくのかということが、一つ大きな問題ですよね。
 損得で考えると、日中関係が悪くなるのは両国にとってマイナスだということは、おそらく日本人にも中国人にもわかっているはず。しかし、そこに近現代の歴史的な経緯も絡んで、面子の問題が邪魔をするというところが、非常に悩ましいところのように思います。

 だから現状を打開する上では、徹底的に損得のロジックだけで一回考えてみるというのも一つの手ですよね。その点では現行の国際社会において、福嶋さんのいう第三者、第三項というものの作り方が足りないことがネックになっている。尖閣に限らず、「国境紛争一般はこういうルールで解決する」といった、ものすごく強力な第三者が世界に存在してくれれば、両国民とも「国際社会の規範に従った」とは感じても、「尖閣問題で中国(日本)に負けた」とは感じなくなる。しかし、そんな機関はいまない。

 思いつきですが、たとえば「10年間以上国境紛争が解決しない土地は、紛争当事国のいずれかではなく国連に没収されて、世界の貧困地域への資金源になる」とか、そのくらい「損得」ベースで解決を促すルールを作って、日中間の問題ではなく、より一般的な問題として決着させるぐらいでないと、日中両国とも「面子」が邪魔をして飲まないのではないかという気もします。そのあたりいかがですか?

福嶋  一応今でも国際法的な決まりはあるわけだけど、ただ今の係争地はまともに人間が住んだことのない島ですからね。そういう島の先占がどうのこうのとやっても、曖昧なところが出てこざるを得ないでしょう。裏返すと、尖閣や竹島のような小さな無人島で争うということ自体が、ある意味で普遍的な国際法の限界を暴き立てているのかもしれない。

與那覇 ものすごくトリビアルなところにでも国境線を無理やり引いておかないといけないというのは、近代ヨーロッパ的な主権国家体制の秩序であって。東アジアにはもともとなかった発想ですよね。

福嶋 無人島の国境線を考えること自体がちょっと難しさを抱えている気がしますね。

與那覇 そうですよね。ちなみに私の報告への質問として、「じゃあヨーロッパは国境紛争を理想的に解決できたんですか?」「ヨーロッパ型の民主主義じゃないから日中はダメみたいに言うけど、ヨーロッパはそんなに理想的なのか」というご意見がありました。
 もちろん理想的ではなくて、近代ヨーロッパは主権国家体制という形で、どんな細かいところでも国境線を決めなきゃいけないという面倒くさいルールを作った結果、長い間ずっと戦争しっぱなしだったわけです。ウェストファリア条約を結ぶ基になった三十年戦争から始まって、近世、近代とずーっと恒常的な戦争状態。そういう欧米諸国とのつきあいが始まる前の近世東アジアが、秀吉の朝鮮出兵が終わって以降は「曖昧さゆえの平和」を享受したのとは対照的です。
 しかしヨーロッパはそこまで徹底的に戦争した分、一番最初にコリゴリして飽きたので、今日ではEUのような地域共同体を作って、国家主権自体を曖昧にしていこうという方向転換ができている。国境問題については本来、東アジアのほうが曖昧で、ヨーロッパのほうが過剰に厳密だったのが、その厳密さゆえに最後は二つの世界大戦にまで至った結果、180度反転した。それがヨーロッパ史の経験だと思います。

家永 領土問題にしても、話のレベルを1つ上げる、メタレベルにすることでもともとあった紛争を曖昧にするというようなテクニックというのはあるわけです。
   宇宙人が攻めてくると地球上のあらゆる国がそれまでの対立を超えて一致団結する、みたいな映画ありますけれども、あの構図ですね。尖閣諸島は日本の領土だからモグラは日本が守らなきゃいけないという話をせずに、地球上のモグラをどう守っていくかという抽象度の一段階高い話をすることで、そこは誰の領土かという問題をうやむやにすることはできると思うんです。もちろん 、うやむやにすべきでない問題を無視してしまう危険もともなうわけですが…。

   今はモグラの話にしちゃいましたけれども、エネルギー問題にしても、中国がエネルギーで困っているのは間違いないわけで、東シナ海のガス田にしても、日本と中国どっちのものかを話し合う前に、あそこら辺全体のエネルギー問題をどう解決するのかという話し合いであればできる。そういうふうに話の次元を上げちゃうというのは、解決策の一つになり得るでしょう。そうなってくると、福嶋さんの今日のご報告みたいに、東アジアで共有できるような「ものの考え方」を模索するのは非常に重要だと思うんです。

與那覇 実際に復興文化という形で、古典文学からサブカルチャーまで、日本と中国で共有しているモチーフの系譜があるという、福嶋さんのお話がありました。にもかかわらず、家永さんが仰るような「抽象度を一段上げる」想像力が現在の政治ではなかなか発動しないというのは、その系譜を自覚できていないということなのでしょうか。「ナショナルなものを超えるわれわれ」というイメージを、日中間でもがんばれば作れるのかもしれないのに、われわれは作っていないという問題になりますか。

福嶋 そうですね。さっきも言いましたけど、昔はとにかく無条件で中国に対する憧れがあったので、あんまり難しいことは考えなくてよかったんです。今はそういうのがないから、強引にでっちあげるしかないという感じですよね。

 もちろん、僕は中国にもう一度憧れろとか言うつもりはないんですね。そういう知識人レベルの憧れがなくなっても、中国では明、日本では江戸時代以来の大衆消費文化が今でも形を変えつつ残っているので、そこから何か共有資産を引き出すことはできるかもしれないと考えています。日中のサブカルチャーの歴史についてもそのうち本を書く予定です。

與那覇 消費社会ベースだと、まさしく損得の問題というか、「市場としての中国」というところで魅力を作りだしていこうということになりますね。歴史的に共有されるモチーフにうまく乗っかって、日本人と同じくらい中国人のハートも掴めば、売り上げが即10倍になる。

福嶋 ええ。ちなみに京都大学に吉川幸次郎(1904-1980)という著名な中国文学者がいたんですけど、その吉川さんが、中国はよく精神文化だと言われるが、実は中国人はむしろ極めて物質主義的なのではないかという話をしているんです(「極東における物質主義の歴史」/『吉川幸次郎講演集』所収)。中国というのは、形而上学的なもの以上に、物質的なものとか感覚的なものをすごく大事にする文化を作ってきた国でもあるんです。そういうところで日本とも本当は連続性があるんですよね。

 これは今の消費文化にも通じる話ですね。消費文化というのは、精神性がなくて物質性だけじゃないかと言われるわけですが、それはもともとの中国人が持っていた感性なのかもしれない。僕はその感性は結構ポジティブに捉えられるんじゃないかと思っています。

與那覇 なるほど。つまり、しばしば東洋は精神的な文化であるとか、あるいは中国はとにかく面子を重んじる社会だとか言われるのは、実は「徳治」の理念と同様、あくまでも社会の建前に当たる部分で、本音のところは結構物質的だと。

家永 福嶋さんの言う「物質主義」とはちょっと違う話ですが、損得の問題について言えば、例えば 中国でこのペットボトルを買うとします。まあ大体100円くらいのものでしょうけど、もし買い手が世間知らずで1000円で買おうとすればその値段で売りつけられちゃいますし、10円で買おうとすれば黙殺されます。いくらで買えば相手に利益が出るのかを大まかに想定した上で、売り手の納得するギリギリのラインまで値切る、ということを中国の人たちは日常的にやっていますし、売り手はそういう人からの交渉にちゃんと応じている印象があります。そういう意味では、「自分はどこまで主張するか」というところがはっきりしている人間のほうが、尊重されるのかも。

與那覇 それだと、面子というよりもむしろ実利に関して、自分の狙いと妥協可能な範囲をはっきりさせているほうがよいという感じになりますか?それだと、国交正常化当時の総理大臣が田中角栄だったことにも、必然性があったことになりますが(笑)。

家永 そうですね。少なくとも現代中国の外交を見ている限りではそういうことが言えると思います。もちろん、相手の面子を潰すような人が尊敬されないのは言うまでもないことですが。

歴史を超えて未来へ


與那覇 若手シンポジウムということで今回企画をいただいて、本日は私が一番年長という滅多にない体験をさせていただきました。
 おそらくこの3名がいま暫定的に一致しているのは、やはり「イメージ」というものは、ここまできたらもう、多様化しきるしかないんじゃないかということだと思います。とにかく選択肢を増やすことで、型にはまった日中友好論でも敵対論でもなく、思考を柔軟にしていく

 その昔「戦争を知らない子供たち」という歌がありましたが、ご来場の学生さんをはじめとして、いまの若い世代は第二次大戦どころか冷戦の記憶もない。われわれ発表者が、小学生の頃にベルリンの壁崩壊を目撃したギリギリ最後の世代ですから。歴史研究をしておりますと、そのことが「由々しき問題だ」という風に、つい語ってしまいがちです。

 しかし「冷戦を知らない子供たち」だからこそ、その記憶があったら絶対思いつかないことを思いつくかもしれない。イメージの多様化や更新のためには、それを可能性として捉えたい。これまでの歴史的な文脈を踏まえていない、とネガティヴに語るだけではなく、だからこそとんでもないアイデアが出てくるかもしれない、とポジティヴに考えていかないといけないのかな、と感じた次第です。

家永 先ほどから話題にもなっている通り、これからどうしていくかを考えるにあたっては、やはり目の前で起こっていることをちゃんと見て、目の前にいる人とちゃんと付き合う。その「身体性」のある部分を重視するというところが、私としてはそれしかないかなという感じがしています。幸い中国への関心はかつてなく高まっているみたいですし。

 こういう所で交わされる「中国論」よりも、実際これから皆さんが「中国」を体験したときに抱く感情のほうが正しいというくらいの気持ちで、中国と向き合っていけばよいのではないかと思います。

福嶋 今日は僕もいろいろ新たな気付きがあって、有意義でした。とにかくイメージと身体、アタマとカラダを同時に働かせていくということを、今後物書きとしてやっていきたいなと思っております。今日はありがとうございました。

【了】

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