「僕らの国際関係論」番組収録後インタビュー:與那覇潤
9月29日 0:00~放送予定のニッポンのジレンマ「僕らの国際関係論」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。
與那覇 潤 (ヨナハ・ジュン)
1979年生まれ。歴史学者。愛知県立大学准教授。専門は日本近現代史。著書に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『中国化する日本』(文藝春秋)、『史論の復権』(新潮新書)、共著に『「日本史」の終わり』(PHP研究所)、『日本の起源』(太田出版)など。
―「僕らの国際関係論」の討論を通じて、特に伝えたかった論点は何でしょうか。
與那覇
今の日本は、2つの意味で、明治以降のありかたを大きくモデルチェンジせざるを得ない時期にきています。
1つは、「西洋が最先進国であり、ほかの地域はおおむね遅れた国々だから、その中間で両者を媒介してくれる日本にみんなが注目している」という発想を放棄すること。留学先ひとつとってみても、今や中国や韓国といったアジア諸国が、日本を経由せずに直接欧米をめざす時代です。もう1つは、日本人の自国にたいするアイデンティティのありかたですね。人口とともに国力の規模も縮小していく現在、これまでのような経済成長や拡大志向は行き詰まりを見せています。
議論にも少し出ましたが、日本人がなぜ“黒船幻想”(大国からの影響や外圧によって日本のありようが変わるとする)にとらわれているのか、という点は重要です。日本は、前近代の中国や近代の欧米のように、文明の中心地になったことがない。そのため、文明の中心は自国の外部にあり、よそから入ってきたものをいかに受け入れてうまくやっていくか、もしくは拒否するか、という発想でばかり国際関係を捉えてきました。そういう立ち位置から生まれた特徴は日本の「特殊性」として論じられがちだし、自分も長らくそう考えていた。しかし今回議論してわかったのは、実はむしろ日本的な立ち位置のほうが、世界全体を見渡せば普通なのではないか、ということです。
日本は明治以来ずっと、先進国のなかで「一番の新参者」というアイデンティティでやってきました。しかし世界のほとんどの国が、歴史上「中心」になどなったことのない、いわば仲間です。ですから「先進国の最末端」だからもっと頑張れ、という追いつけ・追い越せの発想よりも、むしろ「途上国だと諦めちゃえば、意外と一番マシかも?」くらいの自己意識に切り替えていったほうがいいのかもしれない。そう思ったほうが日本人の心に余裕が生まれるし、自分たちの経験を伝えて活かすべき相手を冷静に見つけられるんじゃないかな。
こういう発想の転換は、宇野さんのお話しにもつながります。これまでは、たとえば黒澤明や宮崎駿が欧米の映画賞を受賞してみんな喜んだように、「先進国に褒めてもらう」ことこそがカルチャーの輸出だと思われていた。しかしこれからは、日本に“追いついてくる”国をうまく自分の文化圏に取り込んで、日本のカルチャーを広げていけるかどうかが大事、という頭の切り替えです。
この夏は東アジア情勢がかつてなく緊迫して、いまも続いていますが、前近代までは「中心」だった中国も含めて、アジアの国にはどこでも近代に“黒船”に侵入されたというトラウマがあるんですよ。西洋中心の「先進国」によって自分の価値を否定されて、だからこそナメられないためにはがむしゃらに「先進国」を目指して走らなければならないと思って、嫌々でも苦しくてもやってきて、だからたとえば「日本よ、どうだ。お前なんかにはもう追いついたぞ」という思いもあるのでしょう。
しかし、その過程で失ったものを懐かしく思い出すという局面が、彼らにも必ず来るはずで、そうなったときには一足先にポスト成長社会に入った、日本の文化や経験が活きると思う。中国の人が『三丁目の夕日』見てみんなして泣くとか(笑)。日本人こそ、実はみなさんの気持ちが一番わかる人々ですよと、そういう方向に国際社会をリードしていけるように、私たち自身も発想を切り替えていかないと。
日本は特殊だと思っていても、実は外国にも似た例があるかもしれない。逆に、日本にとって当たり前のことが、外国では全然当たり前じゃないかもしれない。このように絶えず思考を反転しながら、同じ悩みを持つ“友達”を見つけることが意外と重要な一歩になるのではないでしょうか。
―今、行ってみたい国はありますか。
與那覇 うーん、議論した内容とあまり関係のない質問ですね(笑)。すぐにどこと思いつかないけれど、いちおうは中国についての本も書いたので、一度は中国を訪れてみたいです。いまはまだ、色々と難しいのかもしれないけど……。