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2015.04.24
2013.05.25

「情報の政治化」とはなにか――インテリジェンスに関するジレンマ【第3回】:小谷 賢

今年のはじめに起こったアルジェリアの人質事件は、日本政府の危機管理に対する様々な問題点を浮かび上がらせました。安倍政権のもとで日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に対する気運が高まるなか、はたして国家や組織は情報をいかにして扱うべきなのでしょうか。インテリジェンスに関するホットな議論を、情報史の第一人者である小谷賢さんに解説していただきます。

小谷 賢 (コタニ・ケン)

1973年、京都府生まれ。防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官。専門は、イギリス政治外交史、インテリジェンス研究。著書に『イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か』(PHP新書)、『インテリジェンス 国家・組織は情報をいかに扱うべきか』(ちくま学芸文庫)、『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』(講談社選書メチエ)など。

■情報の世界、政策の世界

 今年に入ってから、政府内では米国のような国家安全保障会議(NSC)を設置するための議論が定期的に行われている。NSCとは国の外交や安全保障政策に関わる中長期的な戦略を検討する場であり、そこで政治家がより積極的に国家戦略の策定に関与できるようになることが期待されている。ただ一部報道によっては日本版NSCの中で情報分析も行うべきという論調も見られるので、今回はNSCという戦略策定組織の中で情報を扱うべきかどうかについて考えていきたい。

 個人のレベルで言えば、例えば海外旅行という目的のため、交通手段や現地の気候、観光名所などの情報を集め(情報収集)、予算や日数の制約から旅行の詳細を検討し(情報分析)、海外旅行を実行する、という一連の流れは個人の中で完結するプロセスである。しかしこれが国や企業のような組織となるとそうはいかない。情報収集や分析は情報部局という専門の組織が行い、政策の実行は政策部局が行う。これは前回まで述べてきたように(第1回第2回)、情報収集や分析の世界は高度に専門化しているため、その道のプロが行うからである。政策、戦略部門にとってもそれは同じだ。そのため、政府の中では情報と政策が区別されていることが普通である。

 問題は情報には情報の世界が、政策には政策の世界が存在することで、お互いの持つ情報や考えが完全に共有されないことにある。情報部局は自分たちの情報が政策に活かされていないことに不満を持ち、政策部局は情報部局が情報を隠しているのではないかと疑う。そう考えると、情報も政策も一つの組織の中で完結してしまうのが合理的ではないかという選択肢が浮かび上がってくる。実際、これに近いことをやったのが太平洋戦争中の日本陸海軍であるが、その結果は惨憺たるものであった。

■情報の政治化

 日本軍の場合、政策部局に相当したのは作戦部であるが、作戦部はとにかく作戦を立案し、それを実行しようとする。これに対して情報部の反対があるとなかなか作戦を実行できない。例えば、作戦部がある戦線に援軍を投入して新たな作戦を実行しようとしているとしよう。もし情報部から、その地域には敵の最新兵器が配備されているので、新たな作戦は損害を招くので反対だ、との情勢判断があれば、とたんに作戦実行は立ち行かなくなる。こういう場合、作戦計画を再検討するのが定石であるが、日本軍においては情報部より作戦部のほうが有利な立場にあったため、作戦部は情報部からの都合の悪い情報を聞かなかったことにするか、もしくは自分たちに都合よく解釈して作戦を進めるようになった。まず作戦部による作戦計画が先にあり、後付的に情報部による状況判断が添えられていたのである。

 情報を無視して作戦を強行すれば、自軍が損害を受け、悲惨な結果を招いてしまうことになるのは明白である。しかし作戦部は「次の作戦を立案・実行する」というところにとらわれすぎて、客観的な情勢判断にまで考えが及ばなかったのである。こうして太平洋戦争末期になると、日本軍は敗走に敗走を重ねるようになった。このような事例は極端ではあるが、程度の差こそあれ、正確な情報が政策部局や作戦部に受け入れられなかった、というのは古今東西の歴史に見られることであり、これを「情報の政治化」という。これは本来、情報の専門家ではない政策部局や作戦部局のスタッフが情報という領域に深く踏み込むことで生じる現象である。

■問われる情報機関の存在意義

 「情報の政治化」の問題は、政治リーダーと情報機関という非対称な関係になるとよりはっきり表れるようになる。大抵、大統領や首相ともなれば、実現したい政策があるものである。これに対して情報組織としては、政治家に都合の悪い情報をわざわざ上げて、意見具申するというのはなかなか難しい。むしろ彼らの顔色を見ながら、都合のよさそうな情報を上げるほうが現象として生じやすい。

 例えば2003年のイラク戦争の開戦において、米英の政治リーダーが戦争の口実となるイラクの大量破壊兵器に関する情報を欲していたのは明白であった。両国では政治家サイドから情報機関に対して、イラクの大量破壊兵器の証拠を見つけてくるようにとのお達しがあったほどである。しかし後で判明することであるが、イラクには大量破壊兵器など存在していなかったので、米英の情報機関は苦境に陥ることになる。毎年莫大な予算を使っておきながら、「証拠は見つかりませんでした」では済むまい。そうなるとありもしない大量破壊兵器の情報を半ば捏造する形で、いかにもイラクが大量破壊兵器を有しているという報告をせざるをえないのである。

 

 そもそも米英の情報機関の主任務は、ソ連をはじめとする旧共産圏との情報戦にあった。しかし1989年に冷戦が終結すると、彼らの存在意義が問われるようになった。そのため情報機関としては、組織の存続のためになるべく政権に近づき、政治リーダーがどのような情報を欲しているのか知ることに心血を注いだのである。その結果、イラク戦争の直前には、情報機関が時の政権と一蓮托生になるほど近づいてしまっており、政治リーダーからの「イラクの大量破壊兵器の証拠を掴め」という指令に従わざるをえなくなっていたのである。

■情報機関と政権との距離感

 本来、情報機関とは情報収集や分析の正確性を期すため、時の政権とはある程度の距離を保つものである。そうであれば、政治家から無理難題を押し付けられても、「そのような情報などない」とか、「情報分析によるとこのような結果を示している」、と客観的な報告を行うことができる。すなわち「情報の政治化」を避けるためには、政策と情報は分離されているのが好ましい。ただし両者の間があまりにも離れてしまうのも考えものである。最適な距離感はその時々の政治状況によるとしかいえない。

 結局NSCのようなところで戦略も情報もやろうとすると、両者が混在化してしまい、戦略という目的のために都合のよい情報だけがつまみ食いされてしまう可能性も考えられる。国家組織におけるインテリジェンスの機能は、各機関が集めたすべての情報を総合的に検討し、最適な情勢判断を下すものだ。NSCという戦略立案組織が情報を必要とする場合、自分たちの組織で情報を吟味するのではなく、情報組織に分析をやってもらうという分業が重要である。そしてそのためには、日ごろからNSCと情報サイドの意思疎通を行い、お互いの間で「どのような戦略を立案したいのか」、「どの程度の情報があるのか」といったことを認識しておく必要があるだろう。

【第4回】に続く…

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