情報機関は必要なのか?――インテリジェンスに関するジレンマ【第1回】:小谷 賢
今年のはじめに起こったアルジェリアの人質事件は、日本政府の危機管理に対する様々な問題点を浮かび上がらせました。安倍政権のもとで日本版NSC(国家安全保障会議)の創設に対する気運が高まるなか、はたして国家や組織は情報をいかにして扱うべきなのでしょうか。インテリジェンスに関するホットな議論を、情報史の第一人者である小谷賢さんに解説していただきます。
小谷 賢 (コタニ・ケン)
1973年、京都府生まれ。防衛省防衛研究所戦史研究センター主任研究官。専門は、イギリス政治外交史、インテリジェンス研究。著書に『イギリスの情報外交 インテリジェンスとは何か』(PHP新書)、『インテリジェンス 国家・組織は情報をいかに扱うべきか』(ちくま学芸文庫)、『日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか』(講談社選書メチエ)など。
■日本に対外情報機関が存在しないのはなぜか
1月のアルジェリアでの人質事件は大変残念な結果となってしまった。そしてアルジェリアでの事件は、日本政府の危機管理に対する様々な問題点を浮かび上がらせたが、特に現地の情報収集に難点があったことは否めない。この点について政府検証委員会が作成した「在アルジェリア邦人に対するテロ事件の対応に関する検証委員会検証報告書」は現地での情報収集の不備を認め、外交官や防衛駐在官、また警察アタッシェによる情報収集の強化を謳っている。
報告書は現状の枠組みでできることが最大限に書かれており評価できるが、ただ個人的には抜本的な改善策も必要だと考える。特に、日本の外交官や防衛駐在官などが外国でヒュミント(人的な情報活動)に携わるべきなのかについて議論される必要があろう。ヒュミントの手段としては、外国の政府関係者や専門家との意見交換なども含まれているが、時には金銭で情報提供者を雇ったり、グレーゾーンの情報活動を行うことも想定されるので、現行の枠組みで日本人がこのような活動を行うことはなかなか難しい。
諸外国には対外情報機関という、ヒュミントによる情報収集を専門に行う組織が存在しており、日々、世界中で情報収集活動を行っている。有名なのはアメリカの中央情報庁(CIA)やイギリスの秘密情報部(MI6)、イスラエルのモサドなどだろう。他方、我が国には厳密な意味での対外情報機関は存在していない。警察や公安調査庁は国内の情報、外務省は外国の情報を集めているが、特化しているわけではない。防衛省は通信傍受やレーダー情報など技術的・軍事的な情報収集で、内閣情報調査室が情報収集衛星による画像情報を収集しており、対外的なヒュミントを専門にやっているところはない。ちょっと頭の体操も兼ねて、日本に対外情報機関は必要か、もし必要ならばどのようなハードルをクリアしないといけないか考えてみよう。
まず対外情報機関は必要だろうか。前述のアルジェリアのような事件の起きた後であれば当然、多くの人はそれが必要であると答えるだろう。しかし日本には対外情報組織の設置には慎重な意見も根強い。そもそも戦後、何度もそのような議論はあったが、結局今日に至るまで設置されていない。なぜだろうか。戦後すぐ、日本政府はアメリカのCIAのような情報機関を作ろうとしたことがあったが、世論からの猛反発を受けて断念した経緯がある。この時代はまだ特高や憲兵による弾圧の記憶が生々しく、情報機関と言えばまずこれら組織が連想されたからである。そして国民の間にもこのような「情報機関=国民を弾圧・監視する組織」という構図が根強く残ったため、世論の反発を考えると政府としてはあまり正面から取り上げたくないトピックであった。
さらに冷戦という特殊な国際環境の中で、日米同盟が堅持されていたことも大きかった。日本は自前の対外情報機関を持たなくても、いざという時にはアメリカからの情報提供に頼ることができたからである。ところが冷戦が終結し、国際テロとの戦いがやって来ると、国際社会は途端に複雑化することになる。それまでは東か西かのゲームであったのが、グローバル時代におけるテロリストは何処からやって来て、何処でテロを起こすのか、これを知ることが極めて困難な時代となった。
国際テロというと日本人にとって対岸の火事のように思えるかもしれないが、2001年の同時多発テロから今回のアルジェリアの事件まで、テロに巻き込まれた邦人の数は30名以上にもなる。特に今回は日本人が標的にされたとの報道もあり、今後、世界中でテロが頻発すればまた日本人が巻き込まれる可能性は否定できない。
■情報はどのように収集すればいいのか
では日本が対外情報機関を設置して、アルジェリアで情報収集すれば問題は解決するのか、と聞かれると、残念ながら答えはノーである。百歩譲って対外情報機関が設置されたとしても、それが機能するようになるまでは10年単位の時間がかかってしまうし、アフリカ情勢に疎い日本人にとっては、同地域での情報収集は極めて困難だと考えられる。かといって現状のままではなかなか情報を集めることができないのも事実である。
もし日本が情報機関を新たに設置するのであれば、小さな組織から地道に立ち上げるしかないだろう。世界的な趨勢を見ると、欧米諸国の情報機関(対外情報機関・保安機関・軍事情報部)はその国の軍隊のおよそ5~15%の人員と予算が割かれている。アメリカは合計で20万人の人員と800億ドル(7兆円)もの予算をつぎ込んでいるし、イギリスであれば1.6万人、20億ポンド(2,800億円)だ。日本の場合はざっくり計算して現状で5,000人、1,500億円ぐらいがインテリジェンスに割かれているが、これは自衛隊の2%ほどの規模となり、かなり小粒な印象だ。なのでもう少し人員を増やしたい。中長期的に数百名のスタッフを集めるような方策を議論しなければならないだろう。
この組織で何ができるのか、ということも考えておかないといけないが、まずは情報収集。ただしいきなり世界中で情報収集などできないので、アジア地域に特化して情報を集めればよいだろう。情報収集の手法については少し頭を捻らなくてはいけない。まず思いつくのが現地の有識者やジャーナリストとの意見交換、もう少し踏み込んで政府関係者。現地の新聞やニュースにも精通しておかなくてはならないし、視点を変えた情報の集め方も必要だ。冷戦時代、ワシントンにいたソ連のスパイたちは、ホワイトハウスやペンタゴンに忍び込んで情報を取っていたのではない。彼らは例えばペンタゴンや国務省のビルを外から夜通し観察し、どのフロアに夜中まで電気がついているのか、ピザのデリバリーがどの頻度で来るのかを調べ、現在どの部署で問題が発生し、忙しくしているのかを綿密に調べ上げていたという。非常に地味な話だがこれは傾聴に値する。ネット社会のこの時代に同じことをやれというわけではないが、情報収集というのは視点を少し変えれば、それなりの情報を得ることができるというわけだ。
手の回らない他の地域の情報については、他国の情報機関とこちらの情報を交換すればいい。インテリジェンスの世界ではお互いの情報を交換することが基本だから、日本が質の高い情報を持っていれば、必ず交換の機会はある。今回のようにアルジェリアであればフランスやイギリスの情報機関と交換してもらえればよい。
この情報交換というのは意外と重要で、世界各国の情報機関は常に情報のやり取りをしている。特にテロリストは世界中を動き回るので、世界中の情報機関が協力しないとその動きが追えないぐらいだ。ただ一口に情報交換といっても、色々な形のやり取りがある。外交官は外交官同士で情報をやり取りし、警察官は警察官同士、軍人は軍人同士でやり取りする。しかしそうなると、対外情報機関は対外情報機関同士でやり取りすることになる。各国はそれでよいが、日本には独立した対外情報機関がないので、外国の情報機関とやり取りする組織が存在していないのである。この点でも対外情報機関というのは必要だということがわかるだろう。
間違っても自国民を監視したり、言論の自由を弾圧するような組織は必要ではないのである。
【第2回】に続く…