「ネットの“みんな”は今どこに?~参加とポピュリズムのジレンマ~」番組収録後インタビュー:高木新平
2014年10月26日(日)0時~[10月25日(土)深夜]放送予定のニッポンのジレンマ「ネットの“みんな”は今どこに?」収録後、高木新平さんにインタビューを行いました。
高木 新平 (タカギ・シンペイ)
コンテクストデザイナー。1987年生まれ。「トーキョーよるヒルズ」というシェアハウスによる生活実験から執筆・メディア企画・政治活動まで、独自の発想を活かし幅広く活動中。またネット選挙解禁に貢献した「One Voice Campaign」を主導したことをきっかけに、選挙候補者のキャンペーンも手掛けるように。2014年の東京都知事選では、家入かずま陣営でネットをフル活用した選挙戦を仕掛けた。
——今回の番組で“最も伝えたかったこと”は何でしょうか。
高木 これまでのネットは基本的にテキスト文化であり、ゆえに見せかけであっても“理屈的”であることをルールにしている気がします。一方で普段のおしゃべりがそうであるように、世の中のコミュニケーションはもっと感情的で複雑にできています。理屈優先のコミュニケーションは、条件で物事を判断して並べていくから結果として差別や区別を生みやすい。それが最近のネットの息苦しさにもつながっていると思う。
たとえば僕は、シェアハウスや選挙というリアルな装置とネットをどうつなぐべきかを考えて活動してきました。ネットは階層の異なる装置なので、それを世の中とどう接続するかということが重要だと思ったからです。上手く“仕組み化”できれば、リアリティのない理屈のぶつかり合いではなく、他者同士が共存したり議論をいい方向に進めたり、多様性が前向きに機能するはずだと思っています。
——今回の番組で“興味を持った、あるいは印象に残った発言や話題”はありましたか。
高木 先崎彰容さんが、「過去の思想家の考えに触れるなど、時間軸を持った思考をしなければ、世の中に対して提言できない」とおっしゃっていました。僕も全くそう思いますが、いま世の中の情報の速度はあがる一方で、それを止めることはもはや不可能です。
しかしここが重要だなと思いました。というのも通常はこうなると先崎さんとTwitterをやっている人はもはや互いに分かり合えない存在になりがちですが(笑)、生態系で考えるべきだと。
要するに、先崎さんが時間をかけて思考して出版した本は、計らずもTwitterユーザーの反射的なつぶやきや5分で書かれたamazonのレビューが、拡散を手助けしているという全体観です。補完関係なんだと僕もそのときハッと気がつきました。僕が「Twitterを始めましょうよ」と言ったら、「わかった、始める」と応えてくれたので、楽しみにしています(笑)。
—— 今のインターネットが抱える一番の問題はなんだと思いますか。
高木 今の日本は、明日がもっとよくなるようには思えない社会。音の鳴らない時限爆弾のような絶望に包まれていると言いますか。その反動として「希望がほしい」という力が強すぎて、インターネット上の情報になにかしらの答えを求めている。そんな不健康さがあります。記事タイトルに釣られても、中には希望も答えも書かれていませんから。不安を解消するためだけに敵をつくりだして攻撃してしまう、それが気持ちよくなる一番の手段とされている状況が問題だと思います。
——視聴者にメッセージをお願いします。
高木 上の質問にもつながる話ですが、誤解を恐れずに言うならば、ヘイトスピーチも知識人による社会への警鐘も「こういうところに希望があるはずだ」というポジションを張って、リアリティのない理屈で議論しているという意味では、構造的には一緒なんじゃないかと思っています。
だから誰かによってテキスト化された希望なんてスルーして、まずは自分の日常のなかにある小さな歓びを共有して、世界を拡張するための装置としてネットを使っていきたいですね。