超保留宣言―「何したっていい」と言えるための必要最低条件 糸井重里×高木新平 【前篇】シェアハウスから生まれる新しくて古い関係性
常々「尊敬する人」として糸井重里さんの名を上げ、しかし「糸井さんに会うだけの経験と思考の蓄積が自分にはまだない」とも語っていたコンテクストデザイナー高木新平さん(ちなみにご自身のブログ名は「美味しいコンセプト」)。そんな高木さんが仲間と暮らす、昼夜逆転シェアハウス「トーキョーよるヒルズ」に、これから野球のナイターでも見ようかというような様子で糸井さんがふらりと訪れた。東京・六本木の熱帯夜。扇風機がゆるく回る中、「シェアハウスって何?」というあたりから対談は始まった……
糸井 重里 (イトイ・シゲサト)
1948年生まれ。コピーライター。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。広告、作詞、文筆、ゲーム製作など多岐に渡る分野で活躍。1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設してからは同サイトの活動に全力を注ぐ。著書に『夜は、待っている。』『さよならペンギン』『黄昏』『ボールのようなことば。』など
高木 新平 (タカギ・シンペイ)
コンテクストデザイナー。1987年生まれ。「トーキョーよるヒルズ」というシェアハウスによる生活実験から執筆・メディア企画・政治活動まで、独自の発想を活かし幅広く活動中。またネット選挙解禁に貢献した「One Voice Campaign」を主導したことをきっかけに、選挙候補者のキャンペーンも手掛けるように。2014年の東京都知事選では、家入かずま陣営でネットをフル活用した選挙戦を仕掛けた。
1人6万円で自前の交流の場を作る
高木 こんにちは。どうもはじめまして。
糸井 おかまいなく。自主的にやりますから。
高木 ここは“家”なんで、くつろいでください。みなさん、コップなどはご自由に使ってください。
糸井 セルフ・ホスピタリティ(笑)。「よるヒルズ」の家主の方針に従いますからね、僕は。(見回して) みんなでクラブ活動するみたいにお金を出し合って、ここを借りた、というようなことなんですね。
高木 まあ、そうですね。もともと住み始めたのが、会社に勤めていたときなのですが、その頃はもう、会社を辞めようと思っていまして。そうすると安定収入もなくなってしまうし、人との交流もなくなってしまう可能性もあるし、それは怖いなと思って。それがちょうど3・11の後だったんですが、同じような何か違和感を持っていたやつらがちょうど周りにいたんで、じゃあ一緒に住んで、生活をシェアしようと。ここ、(家賃が)29万円なので、5人で割ったら1人6万くらいです。
糸井 なるほどね。
高木 普通に一人暮らしするよりも安いぐらいだし、なにかしら交流が常にあって孤独じゃないというので住み始めたんです。そのときに折角この交流の場を作るためには何かしらのテーマを掲げようっていうことを考えました。で、僕ら、昼夜逆転しているようなライフスタイルだったので、六本木であることも意識して、「トーキョーよるヒルズ」という名前にしたんですね。なぜそのようなライフスタイルになっていたかと言えば、会社に勤めながらも会社の仕事以外のこともやりたいなと。しかし、退社後に会社以外のことをやると言っても、場所はカラオケとか飲み屋とかしかないじゃないですか。でも、もう少し真面目なこと、広い意味での社会活動をやりたいと思ったときに……
糸井 そうすると、「あり物」のところに入らなきゃいけない。
高木 そうなんですよね。でも、それは違うなと思って。単純に、そういう場所がないなと思ったんです。そして、そういう場さえつくれば、そこで知的交感が生まれるだろうっていうことで、このリビングを開放するということにして、住み始めたんです。
糸井 昔だと、たぶん学校にそういうやつがそのまま寝泊まりしていたんじゃないですかね。
高木 ああ。
糸井 ただ、学生運動などがあったせいで、学校側が、サークルとか締め付けるようになって、寝泊まりしているやつは違反ということになっちゃった。だからその場所がなくなったのを「私」でやるようにしたんでしょうね。
高木 そうでしょうね。
糸井 自前で1人6万円でできるんだね。これを意識的にやるってことは、昔の人は思いつかなかったんだろうな。
「おすそわけ」で関係が開かれる。
高木 まあ、僕ら、自分たちの生活のリスクから考え始めたわけなんですけど。でも、やっていくうちに面白いなと思っていって。たとえば僕、地方から来る人に「タダで泊まっていいよ」って言うんですね。そうすると、みんないい酒とか持ってきてくれたりするんですよ。六本木に住んでいるのに、なんか全国各地の美味しいお酒とか飲めて(笑)。で、先々週、僕は京都に行ったんですけど、今まで「よるヒルズ」に泊まった人たちが結構いるから、今度はみんなタダで泊めてくれるんですよ。それはお金とかじゃない経済、というか。世の中的には認められてないパブリックなスペースゆえにそういうことが起きたりするのが、結構面白いなと思っていて。
糸井 ああ、なんかどっかから来た人がいて泊めてあげた。で、行ったら泊めてもらったみたいな。昔に戻ってる。
高木 そうですね。僕もシェアハウスに住んでみると、こういう生活のあり方は純粋に楽しい、と思い始めたんです。バブル期にワンルームとか、ガーッと流行ったでしょう。それはもう所有するのが喜びで。で、なんか、みんなそれぞれが……。
糸井 「俺の分」と。
高木 まさしく、「俺の分」ばかり。それぞれが500㎖のペットボトル買うみたいな。だけど、2ℓのペットボトルをみんなでコップで分けて飲む方が安いし、楽しいという発想で。生活について勉強していると、昔は村とか長屋とか、そういう何かしらシェア的要素を含んだ形で暮らしていたはずですよね。さっき言ったお酒のことなんかも、おすそわけみたいな感じだと思うんですよ。発生の起源からも都市はそういうもんだと思いながらも、人間としてはそんな関係性がなくなっちゃっていることは異常だなと思い始めて。逆になんかシェアハウスが新しいことのように取りあげられること自体が不思議だなっていうか。
糸井 名前変えただけかもしれないもんね。
高木 本当にそうだと思います。
糸井 うん。意識的にご近所を作ったみたいなね。
高木 そうですね。ただ、別の角度から話をすると、僕らは結局、会社を辞めちゃって、僕以外のやつらは会社興したりしているんですけど。なかなか結婚とか子ども生んだりとかできないんですよね。会社に全てのリソースを突っ込むことや、将来にかかるコストとかを考えると。でも、仲間で住んでいたら、これも一個の家族のカタチなんじゃないかなとか思い始めて。で、一般的に言われている「家族」とか、そういう社会を構成する枠組み自体が循環しづらくなっているところがあって、もう一回作り直そうとしているという文脈が、いまのシェアハウスにはあるのかな、と。ここに時代性があるなと、最近ちょっと思いますね。
糸井 ああ、わかるね。
高木 あと、なんか結構聞かれるんですよ。一人の時間どうするの?とか。でも、それは無くても大丈夫なんだなって気がつきました。いや、欲しいんですよ。だけど、わざわざ個人がそれ用の空間を持たなくても、外に行けば孤独だっていうことに改めて気づいて(笑)。同時に、一人になれる場所って結構あるなと思ったんですね。マンガ喫茶だったり、ラブホテルだったり、まあ、別に一人でトイレでゆっくりしたいんだったら、東京ミッドタウンのトイレでもいい(笑)。今の都市には十分すぎるほどあるなと。そういう環境的な要因もあると思っています。
糸井 都会だね。
高木 都会的発想だと思います。
「よるヒルズ」は大学院
糸井 前に僕はコンビニのことを「冷蔵庫」だといったことがあるんです。
高木 なるほど、その感覚わかりますね。
糸井 でっかい冷蔵庫をもって、品目全部を預けてあって、コインを入れて引き出してくるわけでしょ。それと同じですよね。だから、何て言うんだろうな、仕組みに乗っかっちゃえば何とでもなるっていうね。都心の方が野良猫が育ちやすいじゃないですか。
高木 そうですね。シェアハウスっていうと、みんなでわいわいってところばかりを写真に撮られるんですけど、普段は住人+αが一つの生活機能を共有しているだけで、あまり会話すらないって側面もありますね。
糸井 ある距離を保つわけだ。猫だね(笑)。
高木 猫ですね(笑)。僕ら、もともと何かしら一緒に会社以外のことをやっていたメンバーなんですけれど、最近それぞれちゃんと起業を本気でやるとかって独自の道を進み始めたんで、じゃあ、お前らはそういう感じで頑張るんだな。俺は自由に生きるって(笑)。だから次に僕は、起業していない一人のやつと一緒に、別のメンバーで一軒家に住もうかなとか考えているんです。
糸井 ああ。じゃあそれぞれに自分のやりたいことがあって、ある距離を保つわけだ。やっぱり猫だね(笑)。猫って複数飼いしても、あなたはあなたで、何か美味しいものを食べてる方に行くっていうような。犬は群れる動物だからね。猫型じゃないと、「お前、なんで裏切ったんだよ」みたいになるよね、下手したら。
高木 はい。だからこそ、定期的に外の人が来る環境が交流を活発にするんですよね。
糸井 外の空気が入ってくることで中が見えてくるんじゃないですかね。それって、仲間内そのものも誰か入れ替わっても大丈夫なくらいの距離感がものすごく上手にできているからかなと。そこが昔はなかったなと思った。
高木 はい。知らぬ間に。
糸井 物から場所から、一軒家からマンションから、A君からB君や。全部その都度ピックアップしてはユニットを組める。きっとだから頭の中の思想とか計画とかも、そうやって要素を集めて、タグで揃えて。
高木 ああ、そうだと思います。
糸井 ねえ。それはつまりグーグルですよね。
高木 いや、そうですね。だから、本当に、ひとつの家に住む「族」だとしたら、そういうことを自然体でやっちゃっている感じはありますよね。もともとは、会社辞めるとか、地方から出てきてとか、そういう孤独を前提でやり始めたんですが、むしろ会社的要素とか、家族的要素を、混ぜながら今のようなカタチになっていった感じなんです。
糸井 なるほど。
高木 だけど、それがほんまにそういう絆みたいになったときは、また新しいルールとかを作らなきゃいけないなと思います。
糸井 そこはだから、誰もが難しかった部分だと思うんですよ。開き方と閉じ方みたいなのが、ね。是非いろいろ試してみて下さい。
高木 そうですね。今は同じ状況の同世代の人間と住んで、主にウェブ上、TwitterとかFacebookとか、そういうところでパブリックになって、イベントとか立てて人が来て交流が生まれてっていう中で作っているんですけど。次は一軒家でまちに開く形にして、かつ、もうちょっと流動性が高い人の流れっていうのも実験してみたいなと。まちのなかでの「つながり」というところで。この家のカタチを延長していくと、例えば、お店みたいにお金はとらないけど、キッチンを置いてそれぞれ具材を持ってきて作ってあげる、食べるとそれぞれの立場の交感をつくっていく。そういうのを繰り返す中で、まちをベースにした関係性が生まれてくるんじゃないかなと。そういう実験を通じて、都市の中でも個人と共同体それぞれの当事者意識や時間性をつくっていけないかなと思っています。
糸井 実験がしたいのかな、やっぱり。だからここが大学院みたいなものなんだよね。
高木 ああ……、なるほど!(笑)
糸井 なんだろう、いわば動く論文みたいなのを書いてるわけですね。起業している仲間から見れば「お前は大学院にいろ」と。「俺は今ちょっと社会に出る」ということですね。
広告ではない”メディア”で発信する
高木 実は僕、大学では服を作っていたんですよ。サークルで活動していたんですが、マネキンのようなモデルが流行に乗った服をきてランウェイを歩くファッションショーじゃなくて、近所のおばちゃんとかが日常の経験を拠り所とした服をきて歩く生活展示みたいなことをやっていたんですね。服をデザインするってこういうことだろうって。服だけではなく、おばちゃんの生活を観察したり、会話したりと、そのプロセスもデザイン段階から共有しながら。その経験の中で、生活って面白いなって思ったんです。それで、民俗学や考現学、文化論みたいなものを自分なりに勉強しました。そういった中で、服というジャンルにとらわれず、生活全般を対象にデザイン活動をしたいなと思うようになって。当時はまだ、個人メディアが今ほど浸透していなかったので、アウトプットを広く発信・共有することは容易ではないなと。それで広告代理店に入ったんですけど……どうしても違和感があって。正直、僕とかはもう広告見てモノを買ってないんですよね。広告が生活の豊かさ、豊かな未来の消費につながらなくなってきている。一方で、サラリーマンとしてがむしゃらに働いたあとに、時間を短縮するような家具に囲まれ、退職後は社会との関係もなく孤独になってしまう、そういう人たちを見ていると、今の生活のあり方は必ずしも豊かじゃないんだな、と。そう思ったときに、じゃあまず自分が実験してみよう、と。ちょうどTwitterとかFacebookが出たおかげで、発信や共有がものすごく簡単になったんで。実際、僕たちの試みを多くの人たちが触れたことで、僕が相談に乗っただけでも、シェアハウスが30ぐらい生まれたんですよ。ある意味、生活の一つのあり方をプレゼンテーションできたかなと思っています。そういうこともあって、僕は、「よるヒルズ」自体を「コミュニティメディア」って呼んでいて。
糸井 ああ、これはメディアなんですね。
高木 はい。で、自分のことを「よるヒルズ編集長」とかって言ってるんですよ(笑)。
糸井 ああ、いいね。
高木 だからここでいろんな人を呼んでイベントやったりもして。
糸井 フリーペーパーなんですね。
高木 ああ、フリーペーパーみたいなもんです。ただ、読んだり見たりするだけでなく、五感で体感してもらえる。多くのメディアだと、キャッチーな部分とか、数字とか、そういう分かりやすい指標でみんな判断しちゃうでしょう。そうじゃなくて、体感したら楽しいのがわかるから、みたいな。
糸井 立ち読みしてくれと。
高木 そうです。あと、一緒に一晩過ごしてみよう、と。そしたら楽しいから。そういう中で、人と生活の関係性ってものをもっと真摯に見つめられるのかなと思って。
糸井 ここはやっぱり大学院だね。実験場で、これが何かのお役に立ったら嬉しいなという。
高木 そうです。それを論文とかではなくて、具体的なモノでやっている。たぶん理屈だけじゃそぎ落とされてしまうところが、たくさんあると思うので。
糸井 理論や理屈を何個かもってきて、それをもとにやってみろとみんなに言っても、絶対駄目だよね。
高木 そうですね。人生の背景とか、得意技みたいなものは一人一人違うので、テンプレートに(定型化)できない。ここは「トーキョーよるヒルズ」ですが、「キョートよるヒルズ」とか「オオサカよるヒルズ」を作りたいって人は結構いたんですけど、それは違うなと。
糸井 勝手にやりたきゃやればいいですよ。
高木 そうなんですよ。それぞれの生活様式の中でたぶん勝手にテーマみたいなのが出てくるだろうから。それなのに、メディアに露出された表面的なところを見て、真似をしようとしてしまう。それはすでに、生活ではなくなってしまっているというか。
糸井 みんな同じ服を着てるように見えちゃうね。だから、高木さんが学生時代からファッションをやっていたというのは、すごく大きいことだと思う。ファッションってやっぱり根本的には「疑い」じゃないですか。新しい何かが生まれるときって、俺はファッションから始まることが多いと思っています。イージーだし、一人一人が媒体だし、いわゆる軽工業だし、ヘンだなって言われても、そいつがよければいいわけだから。その「軽さ」というものを、真似するのは難しいよね。そういう意味で、高木さんはずっと「メディア」を追っかけていますよね? 服もメディアだし、場とか部屋もメディアだし、メディア研究の大学院生(笑)教授は、こうやってここにくる大人たちで。
高木 たしかにそうですね(笑)。
「何したっていい」
糸井 ところで、何で稼ぐんですか、今は。
高木 ここで生活していると、なんか面白い人、経営者の人とかも遊びに来てくれるんですよ。僕はもともと抽象的なお題や感覚を言葉にしたり、形に落とし込むのが結構得意だと勝手に思い込んでいて。企業のブランディングといいますか、企業がイメージを社内外に共有していくためのCI設計とか、ステイトメントの表現とか、社内でどういう制度、交流の場をつくるかという企画とか、そのようなことを、2社ぐらいやらせてもらっています。それを週二、三ぐらいでやっています。だから僕、頑張って週休五日制にしようと(笑)。
糸井 なるほど。
高木 でも僕はこっち(シェアハウス)を基点にやっていることの方が、ある意味僕にしかできない仕事だと思っているんですよ、社会活動と言いますか。
糸井 出稼ぎだね。
高木 そうですね。出稼ぎで、週二で。それでも自分の生活はできるので。それをやりながら週五で「生活とはどうあったらいいのか」というのを勉強しながら、実験する。
糸井 それについて親御さんはなんて言っているの?
高木 「自由にやればいいんじゃない」って言っていますね。あんまり干渉しないです。
糸井 実家は富山だって言ったよね。きっと地方にいるお父さん、お母さんにしたら、そういうことができるんだっていうのが、愉快なんだろうね。
高木 そうかもしれないですね。でも、僕は地方の生活感覚を持って東京に来たから、東京的なものに対する違和感を持っていたのだと最近よく思います。ずっと東京で生まれ育っていたら、違和感なしに、もうあるがままに高度経済成長期から作られてしまった枠組みの中で、選択しちゃっただろうなって。
糸井 そういう「何したっていいじゃないですか」って、勉強ができた人たちは決して言わない。それを言ってくれるのは、親だけなんだよ。親は「何したっていい」って言うんだよね。僕はそれが、すごいヒントだと思っている。本当に何したっていいんだよ。「消防士になりました」でもいいし、「おかしな酔っ払いになりました」でもいいじゃない? パワーが余っていれば何かする。余ってなければしない。それでいいと思うんだよね。
高木 うんうん、そうですよね。
糸井 ほんと、何したっていい、だよね。
高木 なんだか、多くの人が、そういう状況を受け入れづらくなっているようで……
糸井 学校で、なにか問題を立てて答えさせるっていうことをやりすぎたんじゃない?
高木 そうだと思います。今回、対談の前に糸井さんから本をいただきましたけど(『夜は、待っている。』)、その最初のページには、「会いたいから、やってきました。それが一番自然だから、そうなった。」というようなことを書かれていますよね。
糸井 それでいいじゃないかって。
高木 本当にそうだと思うんですよね。だけど今、なにか「会いに行く」理由みたいなものがないといけないとか言って、どんどんどんどん本音から外れちゃっていく……しかも、メディアからそれを要請され、そういうのがメディアを通して出ていくと、さらに自分を見失っちゃうみたいなことを繰り返す。その負のスパイラルから抜け出せない感じに今なっていると思いますね。
糸井 本当ですよね。モノとか、コトとか、人に対する自由、その一個ずつに対する自由を求めようよ。その自由にだけ殉ずればいいじゃないですか。
高木 そうなんですよ。
糸井 ねえ。
【後篇】に続く