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2015.04.24
2012.11.05

定跡を超えてゴキゲンに勝つ! ―中村太地×木村草太(棋界×憲法学界)【後篇】頂点(てっぺん)が、みえた

前回に続いての棋士×憲法学者の異種対局(於 将棋会館)。局面はさらにディープなところに向かった。それにしても、前世代の壁はあまりにも高い。羽生善治先生、そして芦部信喜先生……これら偉大なる存在に立ち向かい超えていくためにしなければならないこと。それは、ひたすらなる猛勉強か、あるいは人間を超えることか―

中村 太地 (ナカムラ・タイチ)

1988年生まれ。将棋棋士。現在、六段。早稲田大学政治経済学部卒業。2011年度、勝率0.85(40勝7敗)を記録し(歴代2位)、勝率1位賞を受賞。2012年度の棋聖戦では、羽生善治棋聖に挑戦するも破れ、タイトル獲得ならず。著書に『速攻!ゴキゲン中飛車破り』(マイナビ)。

木村 草太 (キムラ・ソウタ)

1980年生まれ。憲法学者。東京大学法学部卒業。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『憲法の創造力』(NHK出版新書)など。

現代の教科書を

中村  ところで、憲法学の世界で「名人」になるというのは、例えばどういうことなのでしょうか?

木村  どういうことなんでしょうね……やはり『憲法』という書名となるような体系書を書いて、「その体系書は誰もが買わなければいけない本だ」ということになって、また、標準的な議論を引用する時に、最高裁判事であっても絶対に無視できない……そうなるということなのかなと思います。

中村  例えば、芦部先生とか……

木村  芦部先生、あ、よくご存知で。

中村  大学時代に友達がよく言っていました。「芦部先生が」「芦部先生が」と。

木村  本当にそうなんですよ。この世界では芦部信喜先生(注:1923-1999年。東京大学名誉教授)という方がいらして、私が大学に入った年にお亡くなりになった先生なんですけれど、その方が書かれた憲法の体系書が今でもまだ大学の標準教科書になっています。

中村  そういう状態が何十年も続いていることを木村先生は「憲法学者全員の屈辱」と以前おっしゃっていましたね。

木村  羽生善治先生の七冠達成時、周囲がお祝いムード一色だったところを「棋士全員の屈辱です」と言い放った森下卓九段のお言葉を引用させていただいて、そういうことを言ったのですが、本当にそう思います。またその芦部先生の教科書を、芦部先生の弟子であり、私の師匠である高橋和之先生(注:憲法学者。東京大学名誉教授、明治大学法科大学院教授)が、最新判例などについてコンパクトに解説して改訂するもので、何年たっても、売れ続けて……

中村  いくら改訂されていったとしても、内容が古びていくことはないものなんですか? 

木村  古びていきます。古びていきますし、やはり芦部先生の議論といえどもここは絶対におかしいという点がいくつもあると自分は考えていて、それについては芦部説を明確に否定したものも発表しています。それでもやはり本当にすごい先生で、まさに憲法を論じるシステムを一から作られた方なんですね。で、そのシステムがいまだに、日本の憲法学を、とくに憲法教育のレベルでは席巻しています。
 ただ、そこがすごく難しいところで、今、憲法学の世界は百家争鳴で、いろいろな方がいろいろなことを言っている状況なんですね。だから、学会の最先端の議論の水準では、もはや芦部先生の権威に盲従しているという状況では全然ないんですけれど、一方で教育の水準だと、それぞれが好き勝手なことをやりすぎていて、逆に昔のことを標準として教えなければいけないというようなところがあったりするんですね。将棋で例えると、「居玉は避けよ」(注:将棋の基本となるセオリーで、玉は戦いの前に戦場から遠くに持っていくべきだというもの)という格言がありますよね。

中村  はい。

木村  おそらく今は、「藤井システム」や「対8五飛車戦法新山崎流」などの登場によって、居玉でいい場面とそうでない場面とが混沌としている状況だと思うのですけど、「でも教育の時には「居玉は避けよ」というところから教えますよね」という、そういうような状況に近いですね。

中村  とてもわかりやすいです。あぁそうなんですね。

木村  そういう百家争鳴という状況は、それを統一するシステムがまだ提供することができてないということであるわけなので、それが提供できるようになりたいなと常に考えています。だから、これからまだまだがんばって、教科書を書こうと思っています。

手の内をあえてさらす

木村  ちなみに、中村六段が御本『速攻!ゴキゲン中飛車破り』を書こうと思われたきっかけはどういうことですか。

中村  出版社の方から話をいただいたというのがもちろん一番大きいのですけれど、プロの将棋の対局を見ていて、どういう攻防が行われているのかわからない、というファンの方の声がかなりありました。それで、なんとか「今プロの将棋の中ではどういうことが起こっているのか」というのを少しでも伝えられるように、というので書いたというところも大きいですね。
 ただ、あまりにもわかりやすくしようとしすぎて、レベルを落としてしまうのはちょっと嫌だったので、レベルの高いままでなるべくわかりやすく、書き方も普通なら局面々々の形で分けていくところを、「これがダメだったからこうなった」というようになるべく流れで書くようにしたというのは、一応自分なりには工夫したつもりのところではあるのです。
 あとは、「どう伝えるか」ということもそうですけれど、自分の中で研究したものをあえて書いたということもあります。

木村  解説が「研究課題となっている」というようなかたちで終わっているところがいくつもありますよね。

中村  そうですね。この本は自分が研究したものを発表して他のプロ棋士の方々に知ってもらう場でもあるかなと思っていました。実際にこの本に書かれていたことがその後のプロの実戦に現れたりしました。その時は「この本を出した一つの意味はあったかな」と思いましたね。

木村  それでも、研究中のものは自分の手の内だけで持っていたほうが対局には有利だというお考えはなかったですか?

中村  いや、ありますよね、当然それはあるのですが、ただ、自分だけで持っていると、他の人からのリアクションもない、情報入手もほとんどできない状況に陥ってしまうんですよね。そこはギブアンドテイクではないですけれど、あえて手の内を見せることによって……

木村  発表して批判も受ける……なるほど。

中村  発表し批判を受けることで、たしかな確立されたものにどんどんなっていくということもありますし、自分が研究した情報を提供することによって、新たに情報を仕入れることもできる、他の人の研究からまた別の自分の研究が生み出せるという利点もありますね。

木村  そういう意味でも公開をして批判をあえてあおぐ。

中村  実際、教わることのほうが多いくらいですしね。

木村  たしかに、この御本では戦法が変わっていきながら「こういうことがあって、これがダメだったからこうなって……」という手の内のことがわかって、観戦ファンとしては非常に面白く読めます。それと、第2章で出てくる▲5八金右超急戦というのが、私はすごく好きなんです

中村  あぁぁぁ!すごく激しい将棋ですよねぇ。

木村  はい。でもこれは最近ではほとんど指されないですよね。

中村  はい。

木村  ▲3七銀戦法だけになってしまっていて。どうしてそうなっているんだろうと思っていたのですが、第2章で、タイトル戦に登場した新手の意味が丁寧に解説されていて、問題の局面が現在どのように評価されているのか、よく理解できました。個別に見ているとわからないことが、体系化されて説明されていたので、なるほどぉ!と納得できて、すごく嬉しかったです。

中村  とてもそれは嬉しい御意見です。そこまで言ってくださる方が今までいなかったので。本当にありがたいですね。

将棋的な憲法書?

木村  私が一番最近ちゃんと将棋を指したのは、今年の大学の卒業祝賀会で、ゼミ生の棋道部の学生とリーグ最終戦を指した時なんです。なぜかその年代だけ、ゼミ生にアマの有段者が3人もいるようなすごく将棋の強い年代でして、それで木村ゼミ内部でリーグ戦をやりました。

中村  そうですか!

木村  そのリーグ戦に参加するために、定跡書で勉強し直したんですけれど、自分で指すということと離れて読んでみても、面白い定跡書が最近本当に増えたなと思いました。

中村  それはどういうところが面白いのですか?

木村  局面を見て「次の一手は自分ならどう指すだろう?」と次の一手問題のように考えながら読んでいくと「どういうことを考えてこういう手に至った」ということがわかるのがすごく面白いです。私の書いた『憲法の急所』のタイトルのもとになった森内俊之名人の『矢倉の急所』や、藤井猛九段の『四間飛車の急所』もそういう定跡書で、「こういう対策が出て来て、それに対して次にこういう対策が出て来て……」というのがすごくよくわかりました。

中村  えぇ。たしかにその2冊の本もそういう感じですもんね。

木村  それは、指すための訓練としても面白いんですけれど、それとはまったく別に一観戦ファンとして、日頃見ている将棋が体系化されていくというところが面白いのです。そういう定跡書の読み方があるということは、自分がいちばん熱心に将棋を指していた小学生の頃には全然わからなかったことです。

中村  特に最近はそういう推移がわかる書き方をする定跡書が増えてきました。昔は、アマの人に対して「こう指したら勝てますよ」というような定跡書が多かったのですが。

木村  確かに、そうだったという記憶があります。最近の将棋定跡書の発展は、憲法の本を書くにあたってもすごく参考になったんですね。「こういう流れがあってこういう議論になっているんですよ」という見せ方や、議論の整理の仕方、あるいは「先手と後手に分けて議論を割り振る」というようなこととか、後で読み直してみてもやはり相当な影響を受けています。

中村  あはははは、ホントですか(笑)。将棋がそれほど憲法書の役に立つとは……

木村  将棋がこういう形で自分の人生に役に立つとは(笑)、全然思っていませんでした。

羽生三冠は人間以上か?

木村  一方、将棋の世界では最近コンピュータがどんどん強くなっています。私が小学生だった頃にはコンピュータは私でも勝てるようなレベルだったのに、今やアマでコンピュータに勝てる人はほとんどいなくて、プロの棋士も軽々には指せないレベルになっていますよね。

中村  はい。

木村  中村六段も、今年、師匠の米長邦雄先生がコンピュータと指したときにコンピュータ側の指し手を任されていましたよね。それ以前、渡辺明竜王がコンピュータと戦った時には「人間と指しているようだった。知性のようなものを感じる」というようなことをおっしゃっていましたが、中村六段はどう感じられましたか?

中村  たしかに今のコンピュータは、コンピュータと言われなければわからないぐらい人間に近づいている、といいますか、人間味がある手を指すこともあるので、そういった意味では「知性のようなもの」を感じることもありますね。たとえば、すごく激しく攻めた展開からフッと一手、落ち着いた手を指すとか。今までは、攻めたら攻めっぱなしというような感じがあったのですけれど、一呼吸置くというか、ちょっと落ち着くというような、人間味のある、戦い上手で実戦的な指し回しが見受けられるようになっています。

木村  なるほど。一呼吸というところに、知性のようなものを感じるのですね。あと、それとは逆に私には羽生善治先生が人間に見えないところがあって(笑)。

中村  はははは(笑)。

木村  そっちのほうにコンピュータが近づいていっているのではないかと。両者ともに、端的に将棋だけをやっていて、人格といいますか「心」のようなものがないようにも見える……

中村  あははははは(笑)。

木村  どうでしょう、中村六段は羽生先生と指していて「人間じゃないな」というようなことを感じられたりします?

中村  そうですね。確かに羽生さんと指していて盤上において人間特有の「感情」というものがないように感じることもありますね。まぁ、普段の生活でも羽生さんはそうなんですけれど……どの人としゃべっていてもいつも同じ感じなんですよね。

木村  そうですか。

中村  とても気さくで優しい方で、いつもにこやかにしゃべってくださるんですけれど。でも、見方によっては心の奥底が見えない……

木村  何か、「喜怒哀楽」のうち、「怒」とか「哀」とかのネガティブさがなくて、常人とは思えない機械のようなところが外から見ていてもありますね。

中村  誰と話していても同じ調子で、ある時一瞬すごく怖く見えたこともあります。「本当はどう思っているんだろう」「その奥底の感情はどうなっているのだろう」ということが気になるところがあります。

木村  それはトップ棋士特有なのでしょうか? それとも羽生先生特有のものですか?

中村  んー……羽生さんだけじゃないですかねぇ。羽生さんは盤上では本当に恐れないし妥協しない。羽生さんは昔はよく逆転が多いと言われていて、相手の気持ちにすっと入っていって逆転を誘うというように言われたこともあったのですけれど、でも実際は本人はまったくそういうことは考えていないという。そういうところがとても不思議です。

木村  今年の羽生先生との棋聖戦の第一局も、▲4五桂と跳ねてくると思っていたところを▲8八香とやられて……

中村  よくご存知で!

木村  それで思わず△9四馬と引いてしまったところから悪くなったということを自戦記で解説されていました。▲4五桂という手はプロの目から見るとそれが「普通そうだろう」という手なんですか?

中村  そうですね。あの局面は、混沌とし始めてきて、いろいろな可能性が、同じぐらい良さそうな手がいろいろと出て来た局面だったのですが、自分としてはその手を指してくるかなと思っていたんです。でも、羽生さんとしては、まったく迷うことなく▲8八香が最善だと思って指しているはずだと思うんです。

木村  「変な手を指そう」とか「ごまかそう」ということではないわけですね。

中村  そうではないと思うんです。真実はわかりませんが。その心の奥底まではわからないですし、それが羽生さんという人なのかなあ、という気はします。その羽生さんとの対戦成績は、先の棋聖戦を含め今のところ5戦5敗です。羽生さんも年間の対局のうち3割は負けるわけで、5連敗はいかがなものかということは自分でも感じています。何かちょっと変えなきゃいけないことはたしかですよね。その「何か」が今の課題だと思っています。

変人でなければ意味がない!?

中村  それにしても、憲法学者や裁判官にも羽生さんのような心が読めない方がいそうですが。

木村  裁判官の方も基本的に法廷では感情を顔に出さないですからね。でも、裁判官はかえって何を考えいるかわかるような気がします。

中村  あ、そうですか?

木村  なんていいますか、だいたい経歴も似たような人が多い。私が卒業したところも、結構な数の学生・OBが司法試験に受かりますけれど、「まぁこの人は裁判官になるだろうなぁ」と思うような男性・女性の方が本当にそのとおりに裁判官になったりする。そういう方たちの議論の癖というものはやはりあって、普通のことをしっかりできるというのが裁判官の基本なんですね。だから、誰も考えないような法律論を展開するタイプの人は裁判官向きではないとも言えます。逆に言うと、「将来、法学者になるのではないだろうか」というような人間は学生のときからなんとなくわかって、実際に学者になっていきます。そういう学生は、何か他と議論の仕方が違っていたり、相手にくってかかっていくくらいの、自分なりの視点を持っていて、わからないことをとことん追及したいというタイプです。それは、知識の豊富さや語学力とは全然違う次元のことなんですね。

中村  将棋の世界も同じで、「この子は将来プロになって伸びていくのではないか」というのは小学生のときにだいたいわかります。それはその時点での強い弱いではなくて、他の子が考えもつかない、どこか光るような指し方をする子どもです。

木村  そうですか! 憲法学界でも「この人は将棋に例えると佐藤王将です」とか「森内名人です」というような、こちらが驚くような手をうってくる人がいます。典型的には蟻川恒正先生(注:憲法学者。日本大学教授)で、本当に議論の仕方が独特な方です。その蟻川先生に「論文を書く時に、他の先生の関連論文は読まれていますか?」というようなことを失礼ながら伺ったことがあります。あまりにも独特な思考をされるので。そうしたら「実はあんまり読んでないんです」とおっしゃっていました。もちろん、関係する他の論文はきちんと引用されていますし、会話していると他の研究者の議論を完璧に把握されているので、最終的には読まれていると思うのですが……

中村  ほぉぉぉ、そうなんですか。

木村  それで「本当に独特の思考というものは、自分一人で考えるところから出てくるものなんだなあ」と思ったりしましたね。この世界である程度やっていると、有名な先生の論文については、タイトルを見れば議論の方向性ぐらいは読む前からなんとなく予測できるようになるんですけれど、蟻川先生の論文だけは、毎回読むまでは何が書かれているかわからない。そういう時は、直接戦うわけではないので、もちろん、中村六段が羽生先生を見るようなこととは違うのですけれど、やはり純粋に楽しいと思いますね。

異種格闘を恐れず

中村  先日、木村先生が出演された「ニッポンのジレンマ」(注:2012年9月28日放送「僕たちの国際関係論」)を拝見しました。いろいろな分野からいろいろな方が出てきて議論を構築していく……議論についていくのは大変ですが、幅広い意見が化学反応をおこしていく過程は興味深いものがありました。あの番組はすごい番組ですね。

木村  以前からあの番組をご覧に?

中村  たまたまなんですけど、その前の、シェアハウスの高木新平さんたちが出演されていた回(注:2012年8月31日放送「僕らの楽しい資本主義」)を見て、一視聴者として引き込まれました。その回に較べると今回の国際関係論は抽象度が高くて、難しいことは難しかったですね。ただ、民族や国家の話に、木村先生の法律の議論が絡んでいくところなどは、とてもスリリングで「なるほど!」と思いました。色々な問題が密接に関係していることを改めて認識させられました。また、ひとつの事象へのアプローチが様々示されていき、それらがうまくかみ合っていったときはみていて気持ちよかったです。それとAKB48の話をされていた方……

木村  宇野常寛さんですね。

中村  その宇野さんもいいお話をされていて、「なるほど、なるほど」と思わされるようなことがけっこうありました。

木村  あの番組は、全然違う分野の人が集まって自分が専門でないことも議論をするので、言ってみれば「将棋のプロとチェスのプロが動物将棋で戦う」というようなところがあって、それが面白い面と、議論が整理できない面とがあるなと、実際に出演して思いました。中村六段が一視聴者として見た場合、国際関係論の専門家が集まって本当にその道のプロだけで議論したほうがいいのか、それとも全然違う分野の人がパッと集まって一生懸命コミュニケーションをしようとするほうがいいのか、どっちが面白いと思います?

中村  そこに出演者とは別枠で専門家の方が一人か二人いたら、もっと面白くなりそうかなとは思いました。

木村  なるほど。自分としてはやはり、相互にそれぞれの議論を勉強し合うというのがすごく大事なことだと思いましたね。私は、首都大学東京に就職することが決まった時、大先輩の石川健治先生(注:憲法学者。東京大学教授)から「若いうちはいろいろな仕事が来る。その仕事が来る度に、それは狭い意味での自分の専門ではないことかもしれないけど、猛勉強してその仕事に臨みなさい」「それがどんどん力になっていくから」という指導を受けました。
 そのこともあったので「ニッポンのジレンマ」の話をいただいた時、出演者の方の主要著作を読んで臨みました。今回のこの対談のお仕事も、中村六段とお話ができるということで『速攻!ゴキゲン中飛車破り』や棋聖戦の自戦記で猛勉強させていただき、まさか仕事として将棋の勉強ができるとは思わなかったので、すごく嬉しかった。その時々で常に猛勉強をしなさいというのは、すごくいい指導だと思いますし、これからも続けていきたいと思っています。

中村  自分も今回こうしてお話させていただく機会がなかったら、この「全人類が読むべき」『憲法の急所』も読むこともなかったと思いますので、貴重な経験をさせていただきました。

木村  私も、全人類必読の『速攻!ゴキゲン中飛車破り』の著者の声を直に聞けて、本当に嬉しかったです。次回は、中村六段がタイトルを取られたときに是非インタビューをさせてください。本当にありがとうございました。



※中村太地氏×木村草太氏の対談は星海社のWEBサイト「ジセダイ」にも掲載中です。あわせてご覧ください。
詳しくはこちら:将棋界のジセダイを担う棋士・中村太地の素顔に、憲法学者・木村草太が迫る!

― 完 ―

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