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2015.04.24
2012.10.25

定跡を超えてゴキゲンに勝つ! ―中村太地×木村草太(棋界×憲法学界) 【前篇】頂点(てっぺん)は、どこか 

その端正な佇まいの中に荒ぶる魂を秘めた二人の武者が相まみえた(於 将棋会館)。ともに“攻め勝つ”ことを貫かんとする棋界の中村太地と憲法学界の木村草太。各界の次の時代を担うべきこの二人が、「社会科学好きの棋士」「将棋好きの憲法学者」という触れ合うところを手がかりに、魂の交感を行った。局面々々で最善手をいかに見つけ出すか、実戦で鍛えながらも、もう一つ上に行くためには何が必要か――

中村 太地 (ナカムラ・タイチ)

1988年生まれ。将棋棋士。現在、六段。早稲田大学政治経済学部卒業。2011年度、勝率0.85(40勝7敗)を記録し(歴代2位)、勝率1位賞を受賞。2012年度の棋聖戦では、羽生善治棋聖に挑戦するも破れ、タイトル獲得ならず。著書に『速攻!ゴキゲン中飛車破り』(マイナビ)。

木村 草太 (キムラ・ソウタ)

1980年生まれ。憲法学者。東京大学法学部卒業。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『憲法の創造力』(NHK出版新書)など。

途方もない世界

木村  私が昨年上梓した『憲法の急所』(羽鳥書店)は、近年の将棋定跡書の名著である藤井猛九段の『四間飛車の急所』、森内俊之名人の『矢倉の急所』のような法律書を、つまり勝負を左右する攻防の焦点=急所をいかに摑むかということを目指して書いたものです。刊行以来、なんとか将棋関係者の目に留まればと願ってきました。ですので、棋士の方と、しかも私がいま最も瞠目すべき棋士だと考える中村太地六段と対面できるということで、今日は感無量です。

中村  学問の素人である私がお相手になるかどうかわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。

木村  中村六段は、小学6年生のときに小学生将棋名人戦で準名人となり、奨励会に入会され、早稲田実業高校2年のときには四段となりプロデビューと、棋士としての王道を歩まれてきました。それとはまったく比較にはなりませんが、私も昔、将棋をやっておりました。

中村  おいくつぐらいの時からやられていたんですか?

木村  本将棋を教わったのは小学校1年生ぐらいからなのですが、最初は母親に負けたのが悔しくて道場に通って勉強しました。そして、小学校4年くらいからは詰め将棋がすごく好きになりまして。

中村  あぁ、はい。

木村  それで、詰め将棋ばっかり解いていたりしたのですが、ただ、初段になったぐらいのある時、盤に駒を並べて開始局面を見て、意識が朦朧としたことがあったのです。どういうことかというと、その時「途方もないな」と思ったんです。これから序盤の駒組みをして、中盤のやり合いをやって、終盤をやる、ということを考えた時に、あまりの途方のなさ、非常に長い道のようなものが見えてしまって、その時に、そのことが「しんどいな」と感じたんですね。それで「あ、僕は将棋には向いてないな」と思ったことを憶えています。
 やはり将棋はとてつもなく途方もない世界だと思うのですが、中村六段はそのことをおそらく「楽しいな」と感じられたのではないかと。将棋の途方もなさみたいなものを前にしたときにどのようなことをお感じになります?

中村  子どものころから始めて、強くなっていく段階、段階で将棋に対する「途方もなさ」の感じも随分変わってきたと思います。子どもの頃は、木村先生のように「途方もない」というところまで考えが至らず、勝ち負けだけを本当に楽しんでいたような感じでどんどん進んで行ったのですけれど、プロを目指す段階、奨励会に入るぐらいになってようやく「将棋っていうのはホントに終わりの見えないものだな」ということに気づき始めたという感じです。
 それでも、もちろん将棋やるからには最善の手というものを指したいと、奨励会の修業時代はずっと取り組んでいました。その最善の手がわからない時はたしかに辛いし、間違った手を指してしまった時のある種の自己嫌悪みたいなものは筆舌に尽くしがたいのですが、それでも「一つ間違えたことによって一つ勉強になったな」と思うことによって……思うように「して」というか「なって」という感じで続けてきました。
 今でも一局の将棋を通して完璧に指せる……自分の中でも「完璧に指せたなぁ」って思える将棋はほとんどない。まぁそれがわからないというのが楽しい、と言ったらなんですが、わからないことがあるということが将棋を続けられる一つの要因かなとも思っています。見たこともない局面が出てきて、何をやっていいかまったくわからないというのは、とても辛い時間ではあるのですけれど、その分、最善の手にたどり着いた時の喜びというのは大きいものがあります。
 でも、法律の世界のほうこそ将棋以上に「途方もない」と言っていいと思うのですが……将棋であれば、指し手の可能性は10の二百何十乗通りだというふうに言われていますが、法律の世界はそれ以上だと感じるのですが。

木村  そうですね。

中村  時代とともに様々が変わっていって、絶対に終わりがないと思うのですが、その中でどのようなモチベーションで研究を続けられているのかということをお聞きしたいです。

木村  それがまた不思議なことで、目の前が朦朧とするぐらい広い世界が広がっているのは将棋と同じだと思うのですけれど、私はなぜか法律の世界の勉強をし始めた時「この法律の概念みたいなものは自分が自由に操れるな」というか、水を得た魚みたいな気分になれるということを感じたんですね。おそらく中村六段が将棋盤を目の前にして感じられた感覚と同じようなものを、なぜか六法を見ていると感じることができるのです。
 法律の世界は無限の可能性があるように見えて、実は人為的にその可能性が狭くなってしまっている場合も多くあります。将棋の世界は、「藤井システム」(注:藤井猛プロが考案した四間飛車の戦法。1998年以降、将棋界を席巻した)の登場に代表されるように、ここ10年、20年で随分変わった。これまでありえないと言われてきたようなことが、先入観なしに実際に試され、勝利をおさめるということがどんどん起きてきたのがこの20年の将棋の世界だと思うのです。

中村  ええ、そうです。

木村  そういう感じがまだ法律の世界にはなく、非常に権威が幅をきかせているところがあります。将棋の世界であれば、いい手が出れば、それがどんなにこれまでの感覚からはありえない手だったとしても、あっという間に広まるじゃないですか。それに較べて法律の世界は「最高裁判所」という権威があり、また「大法学者」という権威があって、その方々がおっしゃるようなことが、仮に間違っていたとしても通用してしまう世界なのです。そういう中で、仮に私が主観的に「素晴らしい新手を出した」と思っていても、なかなかそれがスーッとは受け入れられないところに、さみしさというか、辛さを感じたりもします。法律の世界では、通説、有力説を覆すのは、たとえそれが今の時点での「最善手」だったとしても、1日、2日ではとても無理で、10年、20年かけてというところがあるのです。「これが最善手だ!」と、なぜか自分には確信があったりするのですが(笑)。

中村  そうですか(笑)。

木村  だから、中村六段の御著書『速攻!ゴキゲン中飛車破り』を拝読して、この2年ぐらいのタイトル戦で、出てきた手がどんどん塗り替えられていく過程がスリリングで面白くて、すごいスピード感がある世界だなと思いました。

中村  たしかに、日々変わっていきますね。本当に今日の「いい手」とされていた手が明日は違うかもしれない。大げさじゃなくそれぐらいのスピード感です。法律の世界では、そういう最新の一手、最もホットな議論というのはあったりするのでしょうか?

木村  最新学説は、やはり日々の事件、問題が起きている中から生まれてきます。そう意味でも、我々憲法学者が今まさにやっていることと将棋の世界は本当に似ていて、そこで様々な議論が巻き起こっています。また、将棋に定跡があるように、法律の世界もまったくのゼロからものを作るということはできない世界でもあります。六法とか教科書に書いてあるそれまでの議論をうまく使っていきながら、それでも新しい問題に対して「この問題に対して今までは民法のほうを使っていたけど、労働法からアプローチできるんじゃないか」とか、「憲法からアプローチできるんじゃないか」というようなことがあったりします。まさに、一つの局面=事件があればいろんな観点から議論がされる、そういう世界ではあるのです。ただやはり一方では、いい手を出してもなかなかそれがすぐには受け入れられないので、隔靴掻痒の5年間を過ごす、というようなことはありますね。

中村  なるほど(笑)。

とにかく指す

木村  将棋の世界でも「研究会」というものをされますよね。

中村  はい。

木村  大学におられたからお分かりかと思うのですが、 学者の世界の研究会というのは、選んだテーマについて30分ぐらい「こういうふうに考えたらどうでしょう?」というような発表を行って、その後1時間ぐらい議論をするというのが標準的なかたちなのですが、将棋の世界の研究会というのはどういうことをされるのでしょうか?

中村  将棋の研究会はだいたい4人ぐらいで集まって、まず将棋を指すんです。実際に将棋を指して、感想戦(注:対局後にお互いが対局を振りかえって最善手を検討し合うもの)をやって、終わり、ですね。特に感想戦は序盤を中心にやるんです。序盤が最新・流行の局面になったらそこを詳しく検討して「この手はどうだろうか」と新しい手をみんなで編み出していくという感じです。
 そこでいい手が浮かんだら実際に公式戦の場で試してみる。その手が公式戦で指されると「世に出る」わけです。世に出たらそこを4人だけじゃなく全プロ棋士が見て、「この手は本当にいい手なんだろうか」ということを研究して、それでまたその手に対する対策を考えて……を繰り返していくわけです。
 研究会は今だとほとんどの棋士がやっていて、実際に公式戦で出てくる新しい手は、ほとんど研究会であらかじめ準備されてから出てくる。研究会がすごく重要となっている時代ですね、今の将棋界は。

木村  研究会で実際に「まず指してみる」ですよね。それが私にとっては意外で、なにか問題となっている局面がまずあって、「これについて僕はこう考える」と読み筋を書いて、それについて意見をするというようなことをやっているかと思ったのですが、なぜ一回わざわざ指すのでしょう?

中村  なるほどなるほど。たしかに言われてみれば、学者の方たちのような研究会が将棋にもあっても当然いい、というかむしろあったほうが効率がいいのではないかという気もするのですが……そこは、なんでないんでしょうね。慣習というか……

木村  それでも、まずは指す。

中村  研究会といえば「まずは指す」。実際に指した後にその感想戦をやって、その将棋以外のことも「今日の羽生×渡辺戦の序盤についてどう思う?」という感じでみんなで一つの盤をつつき合って検討するということは確かにあるのですが。それでもやはり「とにかく指す」というのが研究会のほとんどですね。指さない研究会というのも聞いたことはありますけれど、実戦感覚を養うっていう意味でも、ほとんどは将棋を指すのが研究会というものですね。そうじゃないと、研究したものが机上の空論になりがちであるということはあります。みんなで検討し合っている時にはいい手に見えたものでも、実際に指し手を進めてみると「全然よくない手だった」と、指してみないとわからないというところもあったりします。

木村  研究会では「じゃ今日は横歩取りをやるよ」というようなこともやらずに、本当にただ指すのですか?

中村  テーマを決める研究会もあります。横歩取りばっかりやる研究会だとか、振り飛車しかやってはダメっていう研究会とか、そういう研究会はたしかにありますね。

木村  テーマぐらいはあるのですね。なるほど。でも、やはり、まずは指してみるということですね。

中村  そうですね、研究会では必ず指します。

木村  学者の世界からみても「なるほどな」と思うところがありますね。やはり実際にやってみないと机上の空論になる、というのはすごく面白い話だなと思います。

中村  学者の方にとって将棋で言う実戦というのはあるのですか?

木村  まさに事件があって、それについて法律論を組み立てて、原告側・被告側に成り変わって議論してみるというようなことは、たぶんやってみるとできると思う。ただ、法科大学院では演習としてよくやられるのですが、学者同士がそれをやるということはほとんどありません。私たちの研究会にはまず「判例」というものがあります。原告・被告が一回戦った裁判資料、将棋で言うなら棋譜を眺めて、「昨日の羽生×渡辺戦を検討しよう」というようなところがあります。法学者というのは、実戦抜きの感想戦のプロみたいなもので、裁判官の人たち以上に偉そうな人たちなんですよ(笑)。

中村  なるほど(笑)。

大技、小技

木村  ちょっと話を変えて、次にお聞きしたいのが、ゲームとしての将棋の特徴とは何かということです。羽生善治三冠がかつて「将棋というのは非常に日本的なゲームだ」ということをおっしゃっていましたが、中村六段は将棋を指されていて、このゲームにどのような特徴があるのか、あるいはそこに日本的文化の特徴を感じたりされることはありますか?

中村  将棋というものは、駒を動かせるところが限られていて、それでいて自由に表現できる場でもあります。ですから、自分は「制限がある中での自由をその人たちなりに表現するもの」が将棋だと思っています。日本の将棋の特徴といいますと、一番良く言われるのは取った駒が使えるということでしょうか。それは、他の世界の将棋に似たゲームにもない、間違いない特徴だと思います。あともう一つは、これまた羽生さんがおっしゃっていた言葉になってしまうのですが、羽生さんは「日本の将棋っていうのはどんどんどんどん小さくしていくもの」ということを言われていて、「あぁなるほどな」と思ったことがあります。駒の一つ一つの強さも、チェスに比べたら将棋のほうが弱いものが多かったりしますし、どんどんどんどん無駄を省いて洗練されていったものが日本の将棋なんじゃないかなって思ってます。

木村  なるほど、そうですね。洗練……将棋の駒はたしかに動きが小さいので、細やかな工夫をして局面を支配したりしますよね。でも、中村六段の対局や他の方の対局の解説などを見ていると、逆に大駒の「角」が非常に好きだなあという印象があるのですが。

中村  あぁぁぁーなるほど。たしかに角を使うこと多いかもしれないですね。フフフ、角、結構好きかもしれないですね。でもよくそういうこと、お気付きになられましたね。言われてみればたしかに、自分は角ですね。将棋には人それぞれの性格が表れるということがありますけれど、自分が思い返すと、角はとても効きが強いですし、斜めで使えると気持ちがいいというのもあります。そういう感覚的な意味でも好きな駒ですね、角は。

木村  その中村六段にとって「自分らしい将棋が指せた」と思う時はどういう手が決まった時ですか?

中村  そうですね、自分は攻めの将棋なので、一手も妥協しないでお互いに斬り合って、その中で無駄のないまま終局が迎えられた時ですかね。ちょっと感覚的に「あれ?変だな?」とか「ちょっと妥協しちゃったかな?」っていうふうなことがわかることがあるんですね、相手の手に対しても自分の手に対しても。

木村  妥協というのはどういうことなんですか?

中村  妥協というのは、音楽で言えば「この音の次にはこの音がきたほうが気持ちがいい」っていうのがありますよね。将棋でも「一回攻めで指したらずっと攻めたい」というような局面の流れがあるんです。その流れの中で局面が進んで行って二人で「いい音が出せたな」っていうような時に「自分らしい」というか、「いい将棋が指せたな」っていうような気持ちにはなります。

木村  それは「攻め好き」ということでもあると思うのですが、攻めている時に大技を決めるのが楽しいんですか? それとも小技を決めていってどんどん積み重なっていくような感じが楽しいんですか?

中村  あぁ……僕は性格的には大技ですかね(笑)。

木村  なるほど(笑)。

中村  細かいポイントを積み重ねて、というのは本来の将棋というゲームの本質ではあると思うのですけれど。

木村  「洗練されたゲーム」というところですよね。

中村  緻密に戦形を組み立てていってというのは一番の将棋の本質で、正しいことだと思うのですけれど、やはり指していていちばん気持ちがいいのは終盤で大技が決まった時はですかねぇ。

木村  なるほど。

中村  将棋では指し手の性格がかなり表れると言いましたが、法律の世界では学者の方の性格だとか気持ちとかが入る余地はあるのですか?

木村  いやぁもう、大ありですね。まさに大技、小技、たくさんあります(笑)。

中村  大技も小技もあるんですか(笑)。どういったものが大技だったりするんですか?

木村  大技というのは、法律の世界の大原則、たとえば憲法の世界で言うと「民主主義」とか「権力分立」とかいうような大原理から結論をビシッと導くっていう、いわば大駒を使った戦い方をいいます。逆に、「労働関係における安全配慮義務」などがそうなんですけれども、「言われてみればそういうルールも大事だね」というようなちまちました小技もあります。私はどちらかというと、みんなが原理原則で大駒を指し合っているところで細かい技を使うのが好きなんですね。

中村  大技の中に新しい視点を持ち込むというような感じなんですね。

木村  そう言っていただけると、響きがいいですね。それが斬新であると受け取ってもらえたりすることもあるので、そういう時にとても嬉しいなと感じるところです。ただ、ゲームとして将棋を指す時には、どうも終盤で一発逆転みたいなことを狙わざるを得なくなったりすることが多かったりして(笑)。

中村  はは(笑)。

木村  姑息な一面が出ていると思うのですけれど。実は今、憲法学者として「君が代斉唱・不起立訴訟」などについて考えることが多いのですが、みんながまさに大駒の「思想・良心の自由」に飛びつく局面で、どうしても別な局面から戦いたい。そこで「これは平等権の問題で、思想・信条に基づく差別的取扱いではないか」という議論をしていたりします。それは「言われればそうかなあ」と思ってくれる人が多いですが、普通にこの世界につかっていると、まったく思いつかないんですよ。そういうものが見つかった時、すごく嬉しいなと思いますね。棋士の方も「プロ棋士の普通の感覚からはありえないけれど、そのありえない手が実は正解だった」ということは珍しくないと思うのですが。

中村  はい。珍しくないですね。そういう手を発見して、それが主流になっていった時はもうこれ以上ない喜びがあります。

木村  そういう思い入れのある手はあるんですか?

中村  公式戦で試したいなと思っているような手などは、常に何個かは持っていたりはします。私の名前がつくような戦法というのはまだないのですが、将来的には「藤井システム」のようなものができれば最高ですよね。「中村システム」とかいうのができたら、それはたしかに一つの棋士としての夢ですね。

社会科学的な将棋?

木村  実は私が最初に中村六段のことを知ったのは、2010年の元旦に橋本崇載八段と山崎隆之七段などといっしょにNHKの「新春お好み将棋」に出られたのを見たときです。

中村  あぁ!お正月の。そうですか。

木村  そのときに「すごく真面目そうで面白い棋士の方が出て来たな」なんて思ったのですけれど、その時のインタビューでは「趣味は何ですか?」と聞かれて豊島将之七段が「もう、将棋だけです」というようなことをおっしゃっていたところで、中村六段が「政治の研究がすごく面白い」とおっしゃっていたのが印象的でした。当時は、中村六段はプロ棋士である一方、早稲田大学政治経済学部にも通われていて、ある意味将来のことをまったく考慮する必要もなく、純粋に学問を楽しむというような気持ちで大学に行かれたと思うんですけども、どうでしたか?

中村  はい、そうですね。大学で勉強していていちばん楽しいなと思ったのはゼミの授業でした。私の入ったのは選挙の投票行動を研究するゼミで、データを使って投票行動の要因を探る、つまり「こういう理由があったからこの人が当選した」というものを探るのですが、そうした原因と結果がわかるというのがすごく気持ちが良く、楽しく感じました。将棋もそうかもしれませんが、昔から「こうこうこうだからこうこうこうなる」というのを考えるのが好きだったので、それがゼミのテーマと合ったということだと思います。木村先生の専門である法の勉強はまったくしてないといったほうがいいぐらいなのですが、ただ判例の解説を読むだけはすごく好きだったんですよ。

木村  あ、そうですか。

中村  先生の『憲法の急所』でも、第二部の「演習編」をわからないなりに読んでいて「こうこうこうなっているから、こうこうこうなる」ということが書いてあるじゃないですか。そういうのを読むのが好きなのです。自分が高校生だった時に、いとこが法律の勉強をしていまして、それを覗くと問題文はちょっとしかないのに解答はばぁーっと長々とあって、そこに「なになにが根拠になってこうなる」と書いてあるのを見るのがすごく楽しかったということもありました。

木村  原理論の楽しさだと思いますが、そう意味では棋士の方はどちらかというと理系が強いというイメージがあります。中村六段の早稲田大学での先輩でもある広瀬章人七段も数学が専攻ですよね。「社会科学を」という興味は昔から強かったんですか?

中村  そうですね、理系というよりは文系のほうが昔から興味ありました。

木村  御本の『速攻!ゴキゲン中飛車破り』の中にコラム頁があって、そこで「大学に行ったのはすごく良くて、5年前に戻ってもまた大学に進学します」というようなことを書かれていて、また、別のところでは「棋士で大学に進学する人が増えてきて、それはいいことだ」っておっしゃっていました。それは大学で教えている身としては大変嬉しいことなんです。ただ、大学で勉強するということに対しては「就職に役に立つことを教えない」っていう風当りが今すごく強くなっています。「授業も英語でやんなきゃダメだ」「英語だけしっかり教えてくれればいいんだ」みたいな風潮があるんですね。

中村  そうなんですか……

木村  中村六段は大学で学ぶことの意義を、どうお感じになってますか? たとえば、早稲田で政治学を学んでも、そのままそれを活かして政治家になるとか政治家秘書になるという人は、ほとんどいないじゃないですか。

中村  たしかに、そうですね。将棋に直接何か活かせたのかと言えば、それはほとんどないのですが、大学の講義は基本的に好きなものが取れるじゃないですか。だから、自分の場合は、ただ知的好奇心が満たされるということで「大学の講義っていいな」と思っていました。まずもって、大学というところは、その世界の一流の先生方が、大学生には理解が及ばないようなことも、なんとか頑張ってわかるように教えて下さるわけじゃないですか。そういう講義を受けて「なるほどな」と思えるだけで大学の講義は、自分として楽しいものでした。

木村  中村六段がゼミの3年生のときに、政経スカラシップを授与された論文「無党派層の政党好感度――政策と業績評価からのアプローチ」も読ませていただきました。

中村  お恥ずかしいばかりで……これは、大学の友人といっしょに書いたものなんです。15人くらいのゼミで、5人ずつのグループに分かれて、早稲田祭という学園祭で発表するために書いたということです。

木村  私のゼミでもチームを作って論文を書いてもらうということをやるんですが、中村六段たちの場合、どういうふうに役割分担みたいなことをされたのか、すごく興味があります。

中村  データを分析するのが得意な人と、理論立てて仮説を考えるのが得意な人と、知識が豊富な人と、というような感じでやっていました。

木村  チームはどういう雰囲気でした? ワイワイガヤガヤ楽しく、という感じでしたか?

中村  いっしょになって一つの作業を仕上げるというのは、将棋にはないことなので、とても楽しかったというか、いい経験になりましたね。木村先生のような研究者レベルになると、そうした共同作業というのは、ないのですか?

木村  私がやってる分野では共同作業というのはほとんどないです。政治学や経済学などで、大規模な統計調査とかをやる場合にはチームを組んでやるということもあるみたいですけれど、法学は本当に個人プレーなので。それでいいのかという議論はあるのですが。
 たとえば、「比較法」という、様々な国でこの問題についてどう扱っているかということを調査するような分野があるのですが、それも法学部では全部一人でやらなければいけないという伝統があったりします。だからアメリカのこともわからなければいけないし、ドイツ語もできてフランス語もできなければいけないという規範が今もあるんですね。
 ただ、それが果たして効率的なのかという議論はあって。たとえばハーバードの先生なんかですと世界中から学生が集まってくるので、日本語が読めなくても「日本はどうなっているか調べろ」と日本の学生に言ってそれを英語でレポートに出させると。中国のことも韓国のことも、フランスのこともドイツのことも非常に効率的に比較法が研究できるらしいんですね。そういうことに学ぶべきだとおっしゃる方もいますし、ハーバードに留学してきた友達なんか聞くと「向こうは進んでいてとても敵わない」みたいなことを言う人もいます。
 ただ私がやっている憲法という世界は、一人でディープに考えるということの比重が大変大きい分野で、だから、他の人が翻訳したものを読むのではなく、やはり自分で原典を全部読み込んで考えなければならないという、そういう規範があったりしますね。私の分野は、そういう意味では少し特殊なのかなと。一人で深めていくような世界なのかなというふうに思いますね。

中村  将棋の世界でも、先に述べたようにみんなで研究会をしますけれど、基本的には一人だけでディープに考えていく世界なので、社会科学のなかでも、とくに憲法の世界に近いなって思いました。

ジャイアント・ステップのために

中村  今、自分の将棋についていろいろ考えることがあって、ここからもう一つ上に行くにはもっと強くならなくてはいけないのですが、木村先生の場合に、そうしたもう一段階レベルアップするために何か今、されていることというのはありますか? さきほどは一人でひたすらディープに考える、とおっしゃっていましたけれど……

木村  私の場合、東京大学法学部を出て、当時は大学院には行かずにすぐに助手になるという制度がありまして、それを三年間やって助手論文を書いて、大学の准教授になるというプロセスでやってきたのですが、最初は定跡と棋譜並べみたいなかたちで勉強していればどんどん強くなるじゃないですか。

中村  うーん、なるほど。

木村  そういうふうにやってきて、私の場合は、古典業績の検討などまだまだやらなければいけないことがすごく多いので、定跡を並べていればどんどん強くなれるというのはあるのですが、一方で、最近、「ニッポンのジレンマ」への出演もそうなんですけれど、一般向けに研究の成果を還元するっていう仕事が増えてきました。その場面で、一般の人にわかりやすく伝えるという時に、専門家に向けて語れる水準という理解の水準では足りないというか、まさに「まだまだ急所が掴めてない」というようなことを感じることがすごく多くなりました。自分が考えていることを、予備知識のない人にわかりやすく伝えるためには、本当にその問題のコアな部分を掴んでなければいけないってことがわかってきました。

中村  うーん、そうですね、たしかに。

木村  だから、最近はそのトレーニングをしよう、ということがありますね。そのためには、将棋の世界には、感想戦という制度化された自分を客観視するシステムがありますけど、自分の書いたものを本当に厳しく読んでもらえる人に読んでもらうということが、自分がもっと強くなるための大事なステップというか、大事なポイントかなと思いますね。

中村  先日、木村先生が今『法学教室』(有斐閣)で連載されている「憲法学再入門」を読ませていただきましたが、あの連載での先生の文章は、わかりやすいうえにとても面白い。なにか伝える努力をされているなと感じていましたが、いまのお話をお聞きして、やはりそういうことを考えておられたのかと、なるほどと思いました。

木村  幸い私の場合は、まず最初に妻に原稿を見てもらって、「ここはダメだ」とか、「これでは伝わらない」というようなこと客観視して言ってもらっています。彼女は憲法の専門家ではないので、その人に伝わるように書く。それで、伝わんないということだとまだまだダメということですね。そういうフィードバックを家で繰り返したりしています。

中村  それが家でできるというのはすごいですね(笑)。

木村  毎日研究会みたいな感じですけど(笑)。だから、時には、ある問題で、自分が原告側に立って、妻が被告側に立って、ということもやったりします。

中村  えぇー!それはすごいですね、見てみたいです、一回。それは、ありがたい最高の練習相手ですね。

木村  それから『憲法の急所』という本は、法科大学院の人が司法試験を受ける、あるいは実務家になった人が憲法の理論を組み立てるために勉強する本なんですけれど、自分のブログを開設してみて「質問を自由にどうぞ」というようにしてみたら、たくさんの方が質問を書き込んでくれて、それはやはりすごく刺激になったというか、自分では気が付かなかったようなことに気付かされます。

中村  そういうことはありますよね。

木村  「あぁそうか、こういうことが疑問になるのか」というようなことを言ってくださって。将棋で言うとセミプロといいますか奨励会レベルの人たちですよね、法科大学院に行っているわけですから。そういう人たちが一生懸命、まさに司法試験という人生がかかっている試験を受けるためにすごい精度で読んでくれます。だから私も「自分では気がつかないけれども、そうだったのか」ということがよくありますね。

中村  それはたしかに将棋でもありますねぇ。

木村  あります?

中村  それは、たとえば対局の解説をしているときに、「この手はどうなんですか?」と横にいる聞き手の女流の方に言われてハッと気づかされるということがあります。自分の中ではわかっているために通り過ぎてしまうところを、あらためて教えてくれて、そこに新たな発見があるということがありますね。

木村  なるほど。それともう一つ、自分が強くなるためにしていることとしては、積極的にブラフといいますか、こちらの矜持を示すような発言を講義などでするようにしています。

中村  ほぉぉー。

木村  だから「最近の最高裁判所の裁判官は不勉強である。なぜなら私の議論を知らないからだ」みたいな発言を、

中村  おぉぉぉ(笑)

木村  積極的にするようにしています。自分は傲慢な人間なので、半分は本気でそう思っているのですけれども、ただそういうふうに言っていくことによって自分の甘さをなくしていきたい、というのがありますね。

中村  あぁ、それはストイックですね。すごいですね、それは。

木村  ストイックなのかどうかはよくわからないですが、たとえば『憲法の急所』は客観的には「法科大学院生が全員買うべき本である」で、主観的には「全人類が買うべき本だ」というようなことをあえて言う。それは見ようによってはすごく傲慢な発言なんですけど、傲慢というよりも、それぐらいの気持ちで書かないとダメだなというふうには思っています。中村六段もタイトルに挑戦というときに「意気込みを」ということをさんざん聞かれたと思うんですけど、そういう場面では、どういう気持ちで答えられますか?

中村  私の場合は木村先生とはまったく逆で、メディアに向かって言う時には、「羽生先生を尊敬しています。この対戦で教われれば」みたいな感じで(笑)つい言ってしまうんです。それがいけないとも、言われるんですけれど。そういうふうに、けっこう内に秘めちゃうタイプなんですよね。

木村  あ!なるほど。

中村  自分にはなにか日本人的なところがあって、そういう強い気持ちを押し出せないでいます。ただ、言うことによって変わるということはたしかにあって、それが今の自分にないということを、木村先生の言葉を聞いてハッとさせられました。それぐらいの強い気持ちになりたいと思いました、今。

木村  そうは言っても、将棋の世界ほど勝ち負けがしっかり見えちゃう世界もありませんからね。

中村  当然見えますからね。

木村  中村六段は、去年度は40勝7敗という歴代2位の驚異の勝率を上げられましたけれど、それでも年間に7回負けてらっしゃるんですよね。

中村  はい。

木村  年間7回自分の非を認めなきゃいけない職場ってそんなにない(笑)。

中村  なるほど(笑)

木村  自分が人格を賭けて戦った将棋で負けるというのは、大変なことだと思いますね。だから、内に秘めるタイプだと今お聞きして少し安心したところもあります。昨年の名人戦の解説で島朗九段といっしょに福島に行かれましたよね。その解説されているのをテレビで見ていたんですが、それがちょうど棋聖戦挑戦が決まったころで。

中村  そうでしたね。

木村  それで島九段が「タイトルを取るんだという気持ちでぜひやってきてください」と言われた時に、非常に謙虚な発言をされまして。それにすごく好感を持つ反面、タイトルを取るという気持ちをどのぐらい強く持っているんだろうと思ったのですけれど、内に秘められているということで、ファンとしてはすごく安心します。

中村  あはははは(笑)。

木村  でも、先日、早稲田大学の校友広報紙で先輩の広瀬七段と対談されていた時には、最後に堂々と「名人になる」という発言をされていて私はすごく嬉しかったんですけども。

中村  あぁ、ありがとうございます……たまに言う時もあるんですよね(笑)。



※中村太地氏×木村草太氏の対談は星海社のWEBサイト「ジセダイ」にも掲載中です。あわせてご覧ください。
詳しくはこちら:将棋界のジセダイを担う棋士・中村太地の素顔に、憲法学者・木村草太が迫る!

【後篇】に続く

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