まわりの空気、どう読む? “いいね”時代のツナガリ論:ジレンマ+編集部
2013年5月26日(日)0:30~1:30〔土曜深夜〕放送のニッポンのジレンマ「““いいね”時代のツナガリ論」について、出演者の意見とソーシャルメディア上の視聴者の意見をまとめました。
昔から、日本の人と人のつながりは職場や学校といった、限られた場所の空気を読むことで成り立ってきました。気軽に「いいね!」と言えるSNSが全盛を迎えている今も、相変わらず空気を読むことで社会のつながりは成り立っているかに見えます。
NHKの番組「“いいね”時代のツナガリ論」(2013年5月26日深夜放送)で集計したアンケートによると「空気を読むべき」と答えた人が6割を越え、「実際に空気を読んじゃう」という人も7割を超えています。
「いいね」でつながりを確認するSNS時代も、日本ではまわりの空気をつい読んでしまうという宿命から脱することは出来ないのでしょうか?
空気を読むべきか、読むべきではないのか。番組に出演した4人は収録後インタビューで、次のように答えています。
「『空気を読む』のって、要は言葉でがんじがらめの議論や契約結んだりするのに比べたら意思疎通のスピードが超早くて効率的ってことだから、それで済む場面はそれでもいいんじゃないってことを言いました。要は空気もハサミも『使い道次第』だと思うんですよね」(濱野 智史)
「空気を読み、それを踏まえ、自分がどう振る舞うか――そこが大切だと思っています。迎合する場合もあれば、あえて迎合しないこともあります。迎合したほうがいい空気でも、それを承知で自分の主張を曲げない信念は大切だと思っています。信念もないのに、単に空気を読めないのは、イケてないと思います」(小松真実)
「実は立場が弱い人ほど、会議の空気は読んじゃダメ。しっかり、『少なくとも私は反対だから、責任を負う順番は最後にしてもらいますよ』といって、『この決定は全会一致じゃないぞ』と示しておくスキルを身につけることの方が、『空気が読める』よりもずっと大事だと思います」(與那覇 潤)
「私が番組内で発言したのは、『空気はつくるもの』ということでした。時には空気を読み、時にはあえてその空気を打ち破っていくという『使い分け』を例えたものです。その場その場で自分の役割を意識しながら(つまり空気を読みながら)、個人や全体にとって利益になることであれば、あえて予定調和を裏切る(空気をつくる)ことも厭わないことですね。」(安藤 美冬)
番組放送後、ソーシャルメディア上では、
「じっさいに空気を読まない人がいたら、どぎまぎして自分が空気を読んで取り繕おうとしてしまう」「空気を読むのは結局楽なんだと思う。言葉を尽くすのは面倒くさい。これが要因の一つでもあると思う」
などの意見のように、空気をつい読んでしまう現実に悩まされながらも、
「間違って空気読んであらぬ方向に進むよりは言葉でしっかりコミュニケーションあった方がいいと思う」「空気を読みつつ…、つまり不快感を与えず、いいタイミングで伝えたいことを伝えるというのがいいな」「空気読んで成り立ってる社会もあるけど、空気読まなくてもぶつかり合っても成り立って行ける社会ももうちょい受け入れられていいのではないか」
など、空気を否定せずに空気以外の方法を模索する意見が見られました。
空気をどう読むか。ネットワークが拡張されたといわれる“いいね”時代においても、まだまだ向き合わなければならないテーマなのかもしれません。