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2015.04.24
2013.10.04

民主主義にはバグがある : 「小さな参加の革命」(1/3) 山崎亮×國分功一郎

数年に一度、選挙に行って投票するだけ。「民主主義」と謳われる社会で、住む人自身が地域の舵取りに関わる機会は、実は限られています。そして今まさに全国から注目を集めるのが、東京都小平市の都道建設問題。住民の合意なしに道路敷設が行われようとする事態に対し、たくさんの疑問が投げかけられています。
どうすれば住む人が、まちの決定から排除される仕組みを乗り越え、新たな「参加」の回路を生み出せるのか。そしてその「参加」は、どんな意味を持ちうるのか。今回は、2013年3月18日に行われた紀伊國屋サザンセミナー「小さな参加の革命」における、コミュニティデザイナー・山崎亮さんと、哲学者で小平市の住民運動に関わる國分功一郎さんの対話を、全3回でお送りします。

山崎 亮 (ヤマザキ・リョウ)

1973年生まれ。studio-L代表取締役・コミュニティデザイナー。京都造形芸術大学教授。地域が抱える課題を、そこに住む人が解決するためのコミュニティデザインに携わる。著書に『コミュニティデザイン 人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社)、『まちの幸福論』(NHK出版)、『コミュニティデザインの時代』(中央公論新社)など。現在、NHK総合「NEWSWEB」ネットナビゲーターを務める。

國分 功一郎 (コクブン・コウイチロウ)

1974年、千葉県生まれ。哲学者。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学経済学部准教授。著書に『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波書店)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)などがある。

住む人が決定に関われないのに「民主主義」

國分  今日は来るべき時代の社会参加の方法について、コミュニティデザイナーの山崎さんとお話をしたいと思っています。山崎さん、よろしくお願いします。

山崎  こちらこそよろしくお願いします。

國分  まずは、僕が関わっている住民運動の話から始めさせてください。

 僕が住んでいる小平市の鷹の台では、都道328号線という道路の建設計画が進んでいます。4車線・幅36mの大きな道路で、もともと50年ほど前に計画されていたんですが、いつの間にか、立ち消えになっていました。しかし、なぜか2000年前後に突如として計画が復活してきたんです。予定地の横には府中街道という大きな道路があるので、そっちを整備すればいいのに、新しく道路をつくるという、なんとも不可解な話です。

 建設予定地には、玉川上水遊歩道や小平中央公園の雑木林など、市民の憩いの場になっている緑があります。道路はその雑木林と玉川上水、更には、その南北に位置する大きな住宅地を貫通するよう設計されています。伐採される木は481本、約220世帯が立ち退きとなります。

 計画もひどいのですが、驚いたのは計画を地元住民に説明する「説明会」なんです。これは事業主である東京都が開催したものですけれど、その場に行くと、豪華な巨大スクリーンで、この道路がいかに必要かを説明するビデオを見せられるんですよ。
 そしてその後の質問コーナーが、本当にひどい。「質問への答えに対する再質問は禁止します」というルールを都の職員が勝手に設定するんです。つまり、都の職員から質問への答えを得ても、それに対して「でもこうじゃないですか?」とか「この点はどうなんですか?」とか聞き返すことが許されない。要するに「対話する気はありません」ということですね。

山崎  すごいことになってますねえ(笑)

國分 ほんと、そうなんです。僕は、強烈な虚脱感に襲われました。僕らは民主主義と言いながら、実際には、行政が決めることに対して何の口出しもできない。そんな世の中に生きているんだということに気づかされました。

山崎  どうして、そういう矛盾が出てきてしまうんですか。

國分  民主主義とか言っているけど、僕らが実際にできること、僕らに許されていることって、数年に1回、選挙に参加すること、つまり、議会に代議士を送り込むことぐらいですよね。議会というのは立法府ですから、大雑把に言えば、僕らに許されているのは立法権に間接的に関わることだけだということです。

 では、立法権にしか関われない政治体制が、なぜ「民主主義」と呼ばれているのか? それは、政治的決定を下すのは立法府であり、行政はそこで決められた物事を粛々と実行する執行機関に過ぎないという建前があるからです。立法府で全部決めることになっているのだから、人々が立法府に関わることができれば、その関わりがどんなに不十分であれ、「民主主義だ」ということになってしまうんです。

 でも、これって本当に建前に過ぎませんよね。この都道もそうですけど、実際には政治に関わる多くのこと、あるいはほとんどのことを決めているのは立法府ではなくて、行政機関です。行政の官僚が「こういう制度を作りたい」と言って、国会がそれを承認する。役所が「こういう予算にしたい」と決めて、地方議会がそれを承認する。立法府は基本的に「承認のための機関」なんです。だけど、さっき言った建前があるから、住民が行政に関われなくても、「あなたたちは決定機関である立法府に関わっているじゃないですか。これが民主主義ですよ」ということになってしまう。

山崎  なるほど。

國分  今回のケースでは、東京都の進め方があまりにひどいので、住民投票をやろうということになりました。必要な署名数を集めて住民投票条例の制定を直接請求しました。ちょうど3月7日に小平市議会の特別委員会でそれが可決されたんです[※対談が行われたのは3月18日。この後、3月27日に市議会の本会議で条例案は可決される]。住民の直接請求で住民投票が行われるのって、東京都では初めてなんですよ。

 ただ、住民投票には法的な拘束力はありません。諮問型といって、あくまでも住民の意見を聞くためのものなんです。とはいえ、実施されれば相当なインパクトはあると思いますが。

 住民投票に法的な拘束力がないことは国も問題視していて、2年前には総務省が住民投票に法的な拘束力を持たせるための地方自治法の改正案を作ったりもしています。対象を大型公共施設に限っているのですが、これは画期的な法律だったと思います。


  けれどこの法案は、全国の首長と地方議会議長からなる「地方6団体」と呼ばれる組織の猛反発によって潰されてしまいました。「日本は議会制民主主義をとっており、この法案は、議会制民主主義を根幹から揺るがす」というのがその理由だったそうです。

 地域のことをその地域に住む住民が投票によって決めるというのは、政治制度をより民主的にすることに繋がると思いますが、それが「議会制民主主義」の名の下に否定されたわけです。議会制民主主義が反民主主義的たりうることを示す、こんなに分かりやすい例はないでしょうね。

山崎  総務省が住民投票に法的な拘束力を持たせようぜと言ったのに、知事たちが反対したっていうのは、なんなんでしょうね。
僕が関わったプロジェクトには道路問題はまだありませんが、近いところで言うとダムの建設問題がありましたね。ダムはダムで、ややこしい人もいるし、ややこしい仕組みもある。

國分  山崎さんは、住民自身が住んでいるまちのことをきちんと話し合って決めるために、「コミュニティデザイン」という方法でそれを実践されていますよね。自らはファシリテーターという役割を担い、住民のワークショップのサポートを行い、そこで出たアイデアをうまくとりまとめて「これは自分たちの作ったアイデアだ」という実感が持てるようなものにしていく。そして、それに基づいてコミュニティづくりをしていくという。

山崎  そうですね。自分たちのまちのことを、誰かにお任せしてしまうんじゃなくて、自分たちで考えていこうよという状態をつくるのが、コミュニティデザインのかたちですね。
 ただ、國分さんの話を受けて言うと、住民参加のワークショップにも、政治的な決定権はないんですよ。住民と行政とで決めたことを、議会がOKと言わないと施行されない。だけど、「もうその方向以外には考えられない!」という状態に持っていくということは、よくやりますね。

 一方、『まちの幸福論』の中に書きましたが、すでに日本の人口はどんどん減っていて、人がたくさん住んでいるところがモデルケースだった時代は終わってしまいました。だから、これからは人口が少ないところで何が起きているかを見ていかなきゃいけない。こうした地域を、僕は「人口減少先進地」と言っています。

國分  過疎地域がモデルケースになる、ということですか。

山崎  人口の規模が小さいところって、住民と行政、議会の関係が直接民主制に近い状態に持っていけるんですよ。だから、けっこう先進的なことができる。
関わった地域で言えば、人口が2300人の島根県の海士町で、住民100人が行政と一緒に総合計画を作ったことがあります。住民の意見を行政の各課のアイデアを織り込んで、「これから海士町は10年間、役場は何をしますか」という計画を決めたんです。

 國分さんのお話の通り、最終的には議会に信を問わなければいけません。ただ、議員はみんな、計画をどういうふうに作ったか、誰が参加しているかをわかっているので、反対する理由がない。自分を選んでくれた住民が話し合って決めた総合計画を、議員が「そりゃけしからん」と言うわけにはいかないからです。総合計画は、全会一致で承認されました。
 この構図はおもしろいなと思う一方で、人口が少ないところだからこそ生まれた力関係なのかな、とも思います。海士町ぐらい小さいと、とくに誰かが何かしようとしなくても、本来あり得べき住民参加の形ができてきます。それが小平市ぐらいの規模になると、急に政策決定の内実が見えなくなってしまうんでしょうね。

行政と正面衝突しない知恵

國分  山崎さんはご著書で、役所の中にも、住民と一緒になってやっていこうというアツい行政職員がいるというお話をされていますね。

山崎  いますねえ。おもしろくて、熱い人がいますね。でも、その人たちは評価の対象になりづらい。アツい人ほど窓際にいる気がします。

國分  そうでしょうね。小平市のことで言うと、市役所からは「この住民投票の結果を東京都に送付したら、それで市の役割は終わりです」って言われましたからね。

山崎  すごくやる気ないですねえ(笑)


國分  でもこれ、怒っちゃいけないなと思ったんですよ。つまり、役所はやり方を知らないんです。住民の話を聞きながら一緒にやるという経験がないから、「どんなクレーマーが来るんだろう」と、びくびくしちゃうんだと思うんです。

 行政に物申すときには、そのことを念頭に置いたうえで、「僕たちはクレームを言いたいわけじゃなくて、提案がしたいんです。提案して一緒に考えたいから、その場所を作りませんか」というスタンスが必要なのだと思います。そうしないと、住民運動は難しいです。だから今回の道路建設問題では、あまり「反対、反対!」とは言わないようにしているんです。

山崎  それはとてもいいことだと思いますね。提案であることを行政の人たちに理解してもらうことはすごく大事だと思います。

 僕も、「行政がクリエイティブなことはできない」とか、「杓子定規だ」とか言っていてもこの仕事ってできないだろうなあと思って、2006年から2011年まで、5年ぐらい研究職として兵庫県の県の職員をやったことがあるんですよ。自分の事務所を運営しながら、週3日で研究に携わりました。

國分  そうなんですか。

山崎  そのときに感じたんですけど、行政の仕組みって、本当に大変なんですよね。旅行命令簿とか決済書類とか、最高に面倒くさい。何で研究職がこんなことをやらなきゃいけないんだというくらい、泣きながらいっぱい書き直しましたねえ(笑)

   ですから、そんな身動きが取りづらい場所で働いている行政職員たちがいるんだということを、きちんと理解する必要がある気がします。「何で行政がそんなこともできねえんだ」と批判するだけだと、「わかっていない人が言ってるだけよね」と思われて、「もう聞きたくない」となってしまう。そんなとき、行政システムは“蓋を閉じればいいだけ”という仕組みになっているんですよ。

國分  「行政は貝みたいな存在だ」って書いてましたね。

山崎  そうなんです! つついたらバシャッと殻を閉じちゃう。閉じてしまったら、後からいくらつついても開かない仕組みになっている。 だから、むしろおだてないといけないんですよ。気持ちよくしてあげなきゃいけない。おだてて、すべてのプロセスはあなたのおかげですと。あなたの成果ですと言いたい。

 これは別に、自分たちの思いを通したいからじゃなく、そういう人に出世してもらわないと困るんですよね。だから、僕らがやったことを全部その人の手柄にしたい。その人の手柄として、議会やメディアに出したい。
行政の中からそうしたことができないなら、外側から少しずつアツい行政職員が評価されるシステムを作っていかないといけないと思うんです。

だから、國分さんの言うように、「反対!」と言って攻撃するということを繰り返していても、手も足も出ません。「反対」ではなく「提案」だということを理解してもらったうえで、國分さんの運動のようにツールとして署名を使うとか、さらに対案を出しながら、こうしたらどうですかと訴えていくのが賢明なやり方だと思いますね。



 

 

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