「世界なんて救えない」:苫野一徳 ✕ 家入一真
NHKEテレ「ニッポンのジレンマ」で2012年5月に放送された「僕らの救国の教育論」に出演した教育哲学者の苫野一徳さんと、起業家であり『もっと自由に働きたい』『こんな僕でも社長になれた』など若者の“生き方”や“働き方”を語る家入一真さん。異色のコラボレーションとなったお二人の対談は、いつの間にか意気投合。ついには現代社会や今を生きる若者たちへの強烈なメッセージとなりました。
家入 一真 (イエイリ・カズマ)
1978年生まれ。Liverty代表。起業家/クリエイター。paperboy&co.を創業、JASDAQ最年少上場社長に。カフェやウェブサービスなどを手がける。著書に『こんな僕でも社長になれた』『もっと自由に働きたい』。
苫野 一徳 (トマノ・イットク)
1980年生まれ。哲学・教育学者。熊本大学講師。社会や教育の根本原理を哲学的に探究している。著書に、『「自由」はいかに可能か―社会構想のための哲学』(NHKブックス)、『教育の力』(講談社現代新書)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)など。
学校は逃げ場が少ない
苫野 家入さんの著書『もっと自由に働きたい』と『こんな僕でも社長になれた』を読ませていただきました。すごくおもしろかったです。
家入 あ、そうなんですか。ありがとうございます。
苫野 とても感銘を受けました。本のなかで中学生のころに「ひきこもり」になった話を書かれていますよね。実は僕もひきこもりってわけじゃないんですけど、子どもの頃は、何と言うか当時から哲学的なことばっかり考えていたからか結構孤独で(笑)、便所飯(べんじょめし)をしていた時期もあったんです。
家入 トイレでご飯食べるってやつですか。
苫野 はい。だから、あの頃の自分がこの家入さんの本を読んでいたら、もっと楽な気持ちになれただろうなって思いました。本を出されて間もないと思いますが、何か反響はありましたか?
家入 おかげさまで、若い人が手にとって読んでいただけているみたいです。本自体のデザインも読みやすくて手に取りやすい感じなので。ツイッターとかで見ると本当に正直な感想が出てきますよね。
苫野 本にある「空気なんて読むな」「逃げ出せばいい」って、いいメッセージだと思います。「友だち地獄」という言葉もありますが、空気を読み合うことで、人間関係を何とか維持していこうという子どもたちが多くなっていると言われています。メールも、即レスしないと不安にかられる子どもたちが多いのだと。特に学校は、合う合わないにあまり関係なくクラスという単位に30人とか40人とか知らないもの同士が押し込められることが多く、固定的な人間関係からの逃げ場があまりありません。ですからクラスの友だちとできるだけ問題を起こさずかかわるためには、空気を読み合うということになりがちなんですね。そんな社会や学校の状況のなかで、家入さんは、自分でも居心地のいい場所はつくれる、つくろう、って言われてる。
苫野一徳さん。
家入 そうなんですよね。小学生の頃ってすごいトイレが行きづらかったじゃないですか。あれって何だったんだろうなって思うんです。トイレ行けなくてウンコ漏らしちゃったりするとさらにひどくて。これって大人が気づかずに放置し続けているからなのかなって思います。
苫野 ほんとですね。僕も小学校の頃、休み時間にトイレに行けないので、授業中に「先生、すいません。薬飲まないといけない時間なんです」とか言って教室を出てトイレに行ったりしていました。その時、「何で休み時間にトイレに行っておかなかったんだ」と言う先生もいましたけど、ほんと、先生にはそこのところわかってもらいたいなあと思ってました。
家入 そういうのってどっからくるんですかね。
苫野 トイレに行きづらいのって、他の男の子からからかわれるからですよね。で、そのからかう子たちも、ほんとは自分がトイレに行くのが恥ずかしくて、だからその恥ずかしさを隠すために、あえてトイレに行く子をからかうんだと思います。自分はからかわれる立場なんじゃなくてからかう立場なんだぞ、と。
家入 実は僕も対談するからと、苫野さんの著書『どのような教育が「よい」教育か』を読んだのですが、教育って何が正しくて何が正しくないって議論に陥りがちだって書いてあったのがおもしろかったです。たしかにそうだなと。僕は「自分に正直に生きろ」とかメッセージを発信していますが、「僕はこれが正しいと思う」ってだけで、ほんとにそれが正しいかどうかなんてわからないと思います。けっこうネットで叩かれたりするんですよ。「学校なんて行かなくてもいいじゃん」と僕が言うと、「そもそも義務教育を受けないで育つ子どももけっこうつらいですよ」みたいな意見がいっぱいきました。たとえば学校でいじめられてウンコ食わされるぐらいなら、ほんとに学校なんて行かなくてもいいじゃないですか。僕が親だったら泣いて「学校行くな」って止めるけどな。
苫野 あんなに専門的な本にもかかわらず、読んでいただいてありがとうございます(笑)。話をうかがってすばらしいなと思ったのは、家入さんって「これこそが正しいんだ」とは言われないんですよね。ただ「こんな生き方もある」って例示される。個人の持つスキルや時間をクーポンの形にして販売する「OREPON(オレポン)」ってサイトをつくられましたよね。あれとかもほんとにおもしろくて、「あぁ、こんなのもありなんだ」って思わせてもらえるんですよね。
家入 あ、見ていただいたんですね(笑)。
家入一真さん。
苫野 色んな人のアイデンティティや生き方が、色んなカタチで、色んなところで承認され実現されていくというビジネスのあり方が素敵だなと思いました。
家入 よく「何もできません」っていう子がいるじゃないですか。でも、そんなことないと思うんです。今、僕のアシスタント的なことをやってくれてる大川くんって男の子がいるのですが、何かできるんじゃないのって話をしていたら、顔面を広告にしたらいいじゃんと思いつき、「顔面広告」っていうサービスを立ち上げました。顔面に広告を1日1万円で掲載するだけです。ほかにも、先ほどご紹介いただいた「OREPON(オレポン)」では僕とランチできるチケットとか、ニートにご馳走できる権利とかがほんとに売れました(笑)。
苫野 色んな意味で社会の新しい在り方を提示されてますね。社会でも学校教育でも、グローバル競争を勝ち抜かなきゃいけない、グローバル人材を育てようっていうことが前面に出ることが多いのですが、教育にとって大切なことってそれだけではないと思います。生まれ育った地元でピアノの先生になりたい、地域の人たちのための花屋さんをやりたい、野菜づくりを極めたい、っていう人もたくさんいます。人には色んな生き方があるのであって、それぞれに、納得できて満足できる生き方を追求できるのが豊かな社会だと思います。そういう意味でも、「OREPON(オレポン)」って、「こんな生き方もありだったのか」と斬新な形で思わせてくれるところがいいですよね。
家入 苫野さんの本に書いてあったことで共感したのは、わりと世間って一般化して批判しようとする人たちがいっぱいいますよね。「それで世界が救えるのか」みたいなことを言われても、僕は別に行政じゃないし、なんで世界の人を救うって言わなきゃいけないのかがわからないんですよね。別に救う気なんてないし。たまたま、目の前にいて引っかかった子たちを救うために、何かいい仕組みがつくれればいいんじゃないかなと思います。
苫野 「studygift」の一件ですか?
家入 ご存じなんですね(笑)。「studygift」が炎上したのは、たしかに僕らのミスもいっぱいあるのでしょうがないと思いますが、そこを言われてもなぁっていう批判が多かったところもあります。「もっと救うべき人がいるのにこんな学生を救う必要はない」とか「ほんとに日本中の苦学生をこんな仕組みで救えると思っているのか」とか「お前は責任をとれるのか」とか。
苫野 まさに「一般化のワナ」ですね。自分の考えを無自覚に一般化して、それに当てはまらないものをナイーヴに批判してしまうという。「もっと救うべき人がいるはずだ」っていうのはちょっとひどい理屈ですよね。それを言ったら何もできないですから。それぞれの人が、自分の目にとまったこと、自分のできる範囲のことに取り組むことで、有機的に結ばれ合えばいいんだと思います。
【続く】