「個人」の幸福か、「社会」の幸福か?:ジレンマ+編集部
2013年4月28日(日)0:00~1:00〔土曜深夜〕放送のニッポンのジレンマ「“絶望の国”の幸福論2013」について、出演者の意見とソーシャルメディア上の視聴者の意見をまとめました。
努力すればするほど豊かな暮らしを手に入れることができていた戦後のニッポン社会。その時代においては、社会の幸福と個人の幸福は一致していました。しかし、ポスト戦後ともいわれる現在、拡大と成長の時代は終わり、若者たちの間では閉塞感が高まっています。今の日本社会しか知らない若者たちは、果たして幸せなのでしょうか?
NHKの番組「ニッポンのジレンマ “絶望の国”の幸福論2013」(2013年4月27日深夜放送)で集計したアンケートによると、いま「幸せだと感じる」と答えた人の半数が「この国に希望はないが、個人的には幸せだと感じる」と答えています。“希望はないが幸せ”というねじれ現象が起きているのです。
個人が幸福ならそれでいいのでしょうか? 社会全体の幸福とどちらが大切なのでしょうか? 番組に出演した3人は収録後インタビューで、次のように答えています。
「『個人』と『社会』を二元的に扱う感覚はありません。自分が個人として『幸せを感じるような生き方、働き方』のロールモデルを示すことが、結果的にその実践者を増やし、全体にも貢献できるのではないかと思うからです」(安藤美冬氏)
「『個人』と『社会』どちらが先か、というよりは、『個人』が自分の幸福の軸を決めて、それに対して小さくてもいいので行動を起こしていくことが、全体の幸福をつくっていくという手法しかありえないのかなと思います」(小室淑恵氏)
「社会としての幸福って、なかなか個人的には実感できませんね。でも、社会が幸福でないと、治安が悪化するなど、ぎすぎすした所に確実に現れるものです。ですから、『個人』の幸福も『社会』の幸福も、両方とも必ず必要なのです」(水無田気流氏)
番組放送後、ソーシャルメディア上では「住みやすい社会の維持のために個人個人の目指す幸せの要素の枠組みを作るってのはおかしい」「皆が幸福なまま国が滅ぶならいいんじゃないの?」という「個人」派と、「いまの生活に満足していても、自分が将来、例えば家庭を持ったとき今の社会のままでいいの?ということか」という「社会」派に意見は分かれました。
さらに、「今の若い人は楽しいか楽しくないかが大きなポイントかも」「20代の満足度が高いのは、自己肯定感が強いからじゃないだろうか」「なにが自分の幸せなのか、ダイレクト且つカジュアルに話し合ってみたい」といった“自己分析”派の意見もありました。
「個人」の幸福か、「社会」の幸福か? 若者世代がこれからの社会を生きていく上で、大きなテーマとなるのかもしれません。