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2015.04.24
2013.12.17

「僕らの新グローカル宣言」番組収録後インタビュー:新雅史

2013年12月22日(日)0:00~1:15〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「僕らの新グローカル宣言」収録後、新雅史さんにインタビューを行いました。

新 雅史 (アラタ・マサフミ)

1973年生まれ。社会学者。現在、学習院大学大学院ほかで非常勤講師を務める。また、東京大学大槌町・仮設まちづくり支援チームのメンバーとしても活動している。著書に、『商店街はなぜ滅びるのか―社会・政治・経済史から探る再生の道』(光文社新書)がある。最新刊は『「東洋の魔女」論』(イースト・プレス)。共著に『大震災後の社会学』(講談社現代新書)、『現在知vol.1郊外その危機と再生』 (NHKブックス)などがある。

――今回の番組で“もっとも伝えたかったこと”は何でしょうか。

  今回のテーマは「グローカル」ということでしたが、いうまでもなく、この言葉はグローバルとローカルの造成語です。では、グローカルといった際の、そこに込められている「グローバル」と「ローカル」はどのような意味なのでしょうか。「グローカル」という言葉の定義も含めて、「グローバル」と「ローカル」という言葉について基礎から考えてみることはできないだろうか、と思っていました。

 また、もうひとつとしては、これまですでに行われてきた各地域の実践とグローカルという言葉をいかに結びつけていけるかを考えていました。例えば、番組のなかで紹介されていた事例に、1980年代に大分県の平松守彦知事(当時)が推進した「一村一品運動」があります。これは、大分県の全市町村がそれぞれ特産物をつくって、まちおこしにつなげるというものです。このように九州には、住民みずからがその土地ならではの資源を見出し、外に向けてアピールするという土壌があったわけです。世界の均質化がグローバル化だと言われますが、その均質化に対抗しようとする運動が九州には根強くあるわけです。もっといってしまえば、グローバル化をヒト・モノ・カネの流動化というように捉えれば、それを利用して、自分たちの誇りであるヒトやモノを積極的に世界へと流通させようとする試みがすでにあったわけです。九州の数々の“ローカル”な実践が、じつはグローバルに開かれていたという事実を見つめ直すことで、その意義や価値を捉え直すきっかけになればいいと思っていました。

――番組内で“興味を持った発言”や“印象に残った発言や話題”はありましたか。

  上の話ともつながりますが、APU(立命館アジア太平洋大学)の学生さんのプレゼンテーションが強く印象に残りました。彼らは、APUで何を学び、何を得ることができたのかを、きわめて明瞭に語ってくれました。日本のことを知りたいと思ってAPUで学ぶ留学生。留学生とともに日本のこと、世界のことを学びたいと思ってAPUで学ぶ日本人学生。ふたりの学生はともに、なぜAPUに行ったのかをしっかりと言語化し、そしてそれに沿って積極的な学生生活を送っているわけです。ふたりの立派なプレゼンテーションを聞きながら、自分の貧しい大学生生活を振り返って、苦笑せざるを得ませんでした。わたしは、高校の頃、大都市部にある私立大学か、地方ならば国立大学に行くことしか考えていませんでした。また、東京の大学に入ったあとも、4年間で何を学べばよいかなんて、ちっとも考えていませんでした。どちらかというと、大学の4年間で、自分のやりたいことが少しでも見つかるといいなぁという極めて幼稚なモラトリアム的発想しか持ち合わせていなかったのです。

 長崎大学・多文化社会学部の構想もおもしろかったです。長崎文化は、ヨソモノとの交流によって育まれている。その点を明確に意識しつつ、それをどのように発信できるかという点まで考慮に入れて、学部が構想されています。そして注目すべきは、オランダ特別コースです。これは、関東や関西の大学には真似しようにも真似できない。オランダのことを学びたいなら長崎大学だ、そうした評価が、日本だけでなくアジアにも拡がることを期待しています。

――ご自身の研究・関心領域のなかで、もっとも如実に“東京”と“地方”の格差が生じていると思うのはどんなことでしょうか。また、その格差をどうするべきだと考えますか。

  番組の中でも触れましたが、東京と地方の一番の格差は文化に関わることだと思います。とりわけ、地方では文化的な活動に携わる人たちがなかなか生活できないという現実があります。それは、文化的な仕事が東京に集中しているからというだけでは説明できません。

 たとえば、まちづくりのことを考えてみます。まちづくりには、都市デザイナーや建築家など多くの専門家が関わります。しかし、まちづくりに関する、デザイナーや建築家の仕事は、ほとんど理解されていないに等しいです。じっさい、彼らが行政から仕事を請け負う際、設計料やデザイン料はきわめて単価が安く、かつ、住民と時間をかけて仕事をしたとしても、そうしたプロセスはほとんど評価されていないのが実態です。そうなると、食べていくためには数をこなすか、単価を上げてもらうしかありません。ですが、それはなかなか難しく、結局、上昇志向をもつ優秀な文化関係者は、東京に出る他ないということになるわけです。

 実際、地方に行くと似たようなビルか、世界的なカリスマ建築家が建てたスタイリッシュだけど使いづらそうな建物しかありません。その中間がないんです。本当は、その地域をよく知る地元の建築家がつくる、地域に根ざした建物が一番使い勝手がいいはずです。でも、地方ではそういった仕事を担える人たちをこれまで育成することが極めて難しかった。これからは、建築家に限らず、そのように地域で頑張っていきたい人たちを支援できる制度を整えていかないといけないでしょう。

 もうひとつ、キーになるのはネットワークです。自分たちと同じ活動をしている人が少ない、またオフラインでのコミュニケーションを行える場所が少ないと、その地域の文化全体が盛り上がらないのです。今回の収録は長崎県で行われたわけですが、九州という場所には東京対地方という図式ではなくて、対アジアを見据えて活動できるポテンシャルがあると思います。そのためにも、まずは地方で文化的な活動に携わる人が食べていけるようにしたうえで、これからを担う人材を育てていくことが大事だと思います。

――この番組では、70年代以降生まれを「ジレンマ世代」と位置づけています。この世代が東京を生きる/地方を生きるうえで、上の世代ともっとも異なってくるのはどんなことでしょうか。

 個人的には、僕のように70年代前半と80年代後半の人は少し違うような気もするのですが、ざっくりしたところでいうと、社会の底がすでに抜け落ちてしまっているという感覚は70年以降に生まれた人は結構持っているのではないかと思います。

 底が抜け落ちてしまっているとはどういうことかというと、それまで日本社会の安定を支えていたものが失われてしまったということです。かつては終身雇用があり、サラリーマン、専業主婦的な安定を企業という軸が保証していました。でもそれに頼っていて、20年後、30年後にきちんと子どもたちを育てていけているのか。また、はたして年老いたときに満足のいく暮らしができるのかということが見えなくなってきた。だから、僕らの世代の関心は、別の形の安定をどうすれば構築できるのかということに移ってきている気がします。そのひとつの答えが「地域」ではないでしょうか。ただし、これまでの世代がいっていた「地域」と、僕らの世代がいっている「地域」には文脈にずれがあります。これまでの世代のいう「地域」が、多摩地域のように大雑把な地理的範囲が広大なものだったとするならば、僕らの世代の「地域」はもう少しスケールが小さい。物理的な空間、生活圏といってもいいかもしれません。もちろん、そこだけで物事を考えていても限界があるので、「地域」に根差しながらいかに外に向かって発信していくか。そういったまさにグローカルという視点と自然に結びつくような意識が僕らの世代にはあるのではないでしょうか。

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