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2015.04.24
2013.11.25

『新TOKYO論』番組収録後インタビュー:齋藤桂太

2013年12月1日(日)0:00~1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ『新TOKYO論』収録後、齋藤桂太さんにインタビューを行いました。

齋藤 桂太 (サイトウ・ケイタ)

1987年生まれ。アーティスト。「渋家」代表。Gallery Ajitoキュレーター。異なるジャンルのクリエーターが1つの家をシェアするコミュニケーションスペース「渋家」を創設。そこに集うメンバーと共に様々な作品を生み出している。

――今回の番組の感想や、印象に残った話題などはありましたか。

 まず新雅史さんの”アントレプレナー”の話はアーティストにとっても重要な話だと思いました。僕は「渋家」という場所を作り、アーティストとして活動していますが、アーティストはアントレプレナーと同じくらい「どうやってマネタイズするか」という問題に対して切実だからです。番組のなかで「渋家」および「公共のテーブル」のプレゼンをしましたが、いちばん言いたかったのは「渋家のような公共のテーブルを持つクリエイティブな集団に対して積極的に投資してほしい」ということです。一般的にアーティストは個人的な能力やカリスマ性、あるいはアカデミックな縦割りでお金を獲得することが多いのですが、僕が本質的に「渋家」でやりたいことは、集団に対するまとまった投資と、それをシェアできるという前例を作ることです。そういった点から新さんの話にはもっと踏み込みたかったなと思いました。

あと藤村龍至さんのやり方はさすがだなと思いました。僕はアートを集団的な創作の方法として用いているのですが、藤村さんの専門である建築というのも総合的な創作で、近年ではプロセスにも建築的な思考を使うのが一般的になっています。特に藤村さんがソーシャルアーキテクトという肩書きで行っている仕事はそれだと思うのですが、自分との違いで驚いた部分としては、建築ではプロセスをあそこまで可視化し、アーカイブできるんだということでした。僕の領域であるアートでは作品の形式や種類がとにかく広いので、非常に可視化やアーカイブがむずかしく、それらに悩むこともしばしばです。その点「模型を16個作って並べてみればよい」というのは、すごく明快な方法で「なるほどこれはすごい」と思いました。

――斎藤さんが番組のなかでおっしゃっていた「公共のテーブル」というのは、どういったイメージのものなのでしょうか。

 たとえば、プラモデルを組み立てるときに、(1)組み立て方を知っている人と一緒に組み立てる、(2)組み立て方を知らない人が試行錯誤して組み立てる、という2つのパターンを想像してみます。そうすると、その二つのパターンでは体験の質が全く違うものになるでしょう。(1)のように組み立て方を知っている人と組み立てても、その経験はあまり応用の効かないものになりがちです。ただ、(2)だと途中でつまずく人も多いので、「組み立て方のキット」を提供した方がいい。それが僕が「公共のテーブル」を組み立てる「テクニック」と呼んでいるものです。この「テクニック」はなるべく多くの人に使ってもらいたいと思っています。

僕はもともと引きこもりで、学校にもほとんど行っていなかったし、ニート的な気質です。最近、若い人のなかで鬱気味とか新型鬱だという人が増えていると思うのですが、その理由の一つには、何もやりたいことがないのに「なにがやりたいの?」と社会に迫られる、ということがあると思います。僕自身はやりたいことなんて何もないし、それが普通だと思っています。だから、そういうやりたいことがない人たちがクリエイティビティを発揮することに興味があって、それには「集団」が有効であろうということです。そもそも、やりたいことがある人は勝手にやるからいいんです。「渋家」に集まってくる人たちは、やりたいことは無いけれど、何かやりたい、やる方法がわからない、という人です。だからこそ、「公共のテーブル」を用意してクリエイティブな集団として機能させ、それに対して投資して欲しい思うんです。

齋藤桂太さん(最前列真ん中)と「渋家」の仲間たち。