「“救国”の大学論」番組収録後インタビュー:松田悠介
2013年9月29日(日)0:00~1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「“救国”の大学論」収録後、松田悠介さんにインタビューを行いました。
松田 悠介 (マツダ・ユウスケ)
1983年千葉生まれ。Teach For Japan、CEO。日本大学卒業後、体育科教師として中学校に勤務。体育を英語で教えるSports Englishのカリキュラムを立案。その後、千葉県市川市教育委員会教育政策課分析官を経て、ハーバード教育大学院修士課程(教育リーダーシップ専攻)へ進学し、修士号を取得。卒業後、外資系コンサルティングファームにて人材戦略に従事し、2010年7月に退職。Learning for All 代表、Teach For Japanの創設者兼CEOとして現在に至る。世界経済会議メンバー。著書に「グーグル、ディズニーよりも働きたい「教室」(ダイヤモンド社)」。
――今回の番組で“最も伝えたかったこと”は何でしょうか。
松田 伝えたいことは大体お話しできたと思います。あえていうなら、何のための大学教育なのか、という話をもっとしたかったです。「大学生のやる気を出すためにはどうすればよいのか」といった話に終始してしまいました。どちらかというと、今ある場をどうしようかという話になってしまっていたと思います。そうではなくて、「今後どのような人材が必要なのか」「何のために教育があるのか」「そもそも大学って何のために学ぶのか」という議論をできればよかったですね。 大学のみならず、学校教育というのは10~15年後の社会がどうなっていくのかを捉えた上で、「今何をしなければいけないのか」、「何をすべきか」を考え、これからの社会を生き抜く、もしくは切り拓いていくために必要な知識・マインドセット・技能を準備させる場所だと私は思っています。それを踏まえたうえで、「現場はどうするのか」「大学の教育はどうなっていくべきなのか」という問題や、さらに現状とのギャップをどう埋めるのかという道筋について議論をしたかったなと考えています。
――今回の番組で“興味を持った、あるいは、印象に残った発言や話題”はありましたか。
松田 北川さんがおっしゃっていた、「学ぶことは興奮することだ」という発言が印象に残っています。いかにして、学んでいて興奮できる状況を作るか、という発想が面白かったです。「そういう風に考えていいんだ」と。私は、「学ぶということはつらいものだ」という認識がありました。忍耐であったり、そこを通るからこそ得るものがあるという考え方です。 特に日本社会では、忍耐や我慢が美化されることがあると思います。ただ単に短絡的な「興奮したい」という欲求だけで突き進んでも、北川拓也になれるんだ、というのは驚きです(笑)。「興奮したい」という欲求で、ハーバード大学でph.D(博士号)まで取って一流企業の執行役員になる。私にとっては新鮮でした。
――初等教育の重要性についてお話しされていましたが。
松田 自尊心を身につける場所の問題ですね。私は初等教育から中等教育にかけてが、自尊心を育むとても大切な期間だと思っています。まずは「自分でもやればできるんだ、やっていいんだ」という自信を初等教育でしっかり身につけさせる。そこから、学びの本分ともいえる基礎学力や思考力を身につけ、目標が定まった際に目標をカタチにするための底力を身につける。 大学では、自尊心も大切ですが、それ以上にリアリティを伝えることが大切だと思います。「これからの時代はこう変わる。だからこうしなければいけない」というリアリティを伝え、社会に出るための準備をするべきではないでしょうか? リアリティを伝えず、社会に出てから「こんな厳しい社会なのか」「世界はこう動いているのか」と気づくころには遅すぎるわけです。すでに予測不能かつ変化が激しい時代に突入していて、もたもたしていてはどんどん置いていかれます。就職活動で悩んでいる学生も多いと聞きます。学生は、会社も今はスロースターターを求めるよりはスタートダッシュができる時代に合った即戦力が求められていることをしっかりと考えながらニーズにあった人材になるための学生生活を送る必要があると思います。学んだ知識を社会に出て、どう使うのか。どう人とつながるのか。どうやって新しい価値を創っていくのか。大学はその実践の方法を学ぶ場であってもよいと思いますね。 ただ、それには自己肯定感や自尊心が必要です。自分に自信がないとできないんです。自信がなければ自分の意見も言えないし、せっかく学んだことも生かせない。その自信を身につけるというのは、大学では遅すぎると思うので、小中高の12年の長い教育期間を使えばいいのではないでしょうか。だからこそ、大学教育改革だけを切り離しても議論をすることはできず、小中高大と一貫した教育ビジョンが必要だと思います。
――番組で、「日本の学生が自分のアイデンティティーについて初めて考えるのは就職活動のときだ」とお話しされていました。
松田 大学3年生の就職活動のときに自分について考えるというのは、何の問題もないと思います。ただ、そこで初めて考えるというのが遅すぎるかと。それまでに思考や経験というプロセスがないと、精度が低いと思うんです。大学3年生のときに「さあ、自分について考えてみて」といっても、それがうまくできず、結局みんな周囲に合わせてしまったり、会社がほしい人材を演じるケースが少なくないように感じます。そうではなくて、それまでに多くのチャレンジや失敗を経て、自分が進みたい方向性を見定めながら、大学生のときにまた問い直してみる。そうすると、自分が何者なのかというアイデンティティや、自分がどの方向に進みたいのかがより明確になっていて苦しむというよりはワクワクするはずです。
――アメリカでの留学を経験から、「日本の教室にはファシリテイター(促進させる人)がいない」とおっしゃっていました。
松田 日本の大学は学生の存在を軽視していると思います。アメリカだと、「学生命」! 学生がいなかったら経営も続きませんから。人気のない教師は、翌年クビになってしまうかもしれませんし。教師本人のモチヴェーションに関わることでもあります。教えているのに、全然楽しそうにしていないという状況はつらいですよ。 アメリカでは、学生のサティスファクション(満足度)が重視されているのですが、一方日本ではだいぶ軽んじられているように思います。日本では、いまだに黒板に向かって授業をしている先生や研究だけに没頭している先生が多いように感じます。もちろん分野にもよりますし、大学院であればそれもいいのかもしれない。しかし、少なくとも学部のうちは、学生と向き合って、学生が今何を求めているのか、その学生の10~15年後を見据えた上で今何を伝えなければいけないのか、そういうことを真剣に考えてほしいです。
――今回のタイトル、「救国の大学論」について一言。
松田 国作りの根幹は教育です。教育の質をどう上げていくのかということはすごく重要です。そして、大学教育はいわば最終の仕上げ段階。この段階の精度を上げれば上げるほど、リスクヘッジができると思います。 (教育で日本は)救える、と思いますね。