「僕らの新資本主義」番組収録後インタビュー:山口揚平
2013年7月28日(日)0:30~1:30〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ「僕らの新資本主義」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。
山口 揚平 (ヤマグチ・ヨウヘイ)
1975年生まれ。コンサルティング会社をはじめ、複数の事業・会社を経営する傍ら、執筆・講演を行う。専門は貨幣論・情報化社会論。慶應義塾高校講師。著書に『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』(アスキー・メディアワークス)、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』(ダイヤモンド社)などがある。
――きょうの番組収録のなかで、気になった話題や発言はありましたか。
山口 木暮太一さんは非常に明快な考えの持ち主ですね。木暮さんが標榜されている「難しいことをわかりやすく伝える」というミッションには、とても共感しました。また、槌屋詩野さんが展開されている「Hub Tokyo」での実践は、「シェアすること」、「共振すること」、「場が持っている力」などを活用していらして、新しい事業の作り方だなと感じました。しかも、それがグローバルネットワークでつながっているというのは強いですね。
――古市さんの印象は、いかがでしたか。
山口 古市さんはぼくとひと世代違うんですね。ぼくらの世代と価値観が違う、その違いをぼくらは咀嚼して、理解していかなければならないなと感じました。ぼくはいま38歳ですが、「つなぎ世代」なんですよ。ぼくらの上の世代にはホリエモンがいて、その上に三木谷さんや孫さんがいる。そして古市さんの世代にも新しい事業家や起業家が出始めている。ぼくらはそこに挟まれた「パイプ役世代」なので、上の世代が持っている価値観と、下の世代が考えているまったく違う価値観を、どうつなげていくべきかを常に考えています。また、古市さんが感覚として持っている部分をもっと吸収したいとも思いました。
――番組では、組織で働いたのちに独立されたご経歴が紹介されていましたが、独立したときのご苦労をお聞かせください。
山口 社会に敷かれたレールを降りるには勇気がいります。僕自身、29歳で会社を辞めるときに必要だったのは、知識ではなく勇気でした。勇気をふるって辞めたあと、1~2年はつらい時期を過ごしました。経済的な面はもちろんですが、それよりも人間には「所属欲求」のようなものがありますから、群れから外れることの方が、実はとてもつらいことなんですよ。
――そのときに、メンタルの部分をどう支えられたのですか。
山口 ちょっと恥ずかしいのですが、自らを奮い立たせるために自己啓発書も読みました。自分で自分の軸を作り、そこにしがみつかなければいけないと考えたので。それと、走りました。「ぼくはできるんだ!」と暗示をかけながら(笑)。自宅近くにある六義園(りくぎえん)のまわりを。でも、ほとんどの時間はめげていました。いまはまったくつらくありませんが、当時はそんな感じでした。
――ジレンマ世代には、組織に身を投じて数年が経ち、自らの今後に疑問を抱いているひともいるかと思います。そういった方にアドバイスを。
山口 一朝一夕に「町の花屋さん(楽しくてみなに喜んでもらえる仕事)」はできません。自著にも書いたのですが、何かを始める前に、自分は何をすべきか、自問自答する時間が必要だと思います。自分のやりたいことを、自分のなかで熟成させることが大事ではないでしょうか。3年でも5年でも。そのくらい(所属している)会社はもちますよ(笑)。