「僕らの国際関係論」番組収録後インタビュー:陳天璽
9月29日 0:00~放送予定のニッポンのジレンマ「僕らの国際関係論」収録後、出演者のみなさんにインタビューを行いました。
陳 天璽 (チン・テンジ)
1971年生まれ。国立民族学博物館准教授。著書に『華人ディアスポラ』(明石書店)、『無国籍』(新潮文庫)など。
―今回、他の出演者のコメントで印象的だったものはありましたか?
陳
宇野さんのサブカルチャーに関するお話には共感する点がありました。いまの韓流ブームやかつての香港映画の人気に示されているように、国家の枠組みを超えて人々がつながるきっかけ、相互理解し合うきかっけは、サブカルチャーの中にたくさんあります。文化、すなわちソフトパワーをどう蓄え活用していくかは、国際関係を考えるにあたって重要だと思います。
一方で、憲法学をご専門とする木村さんは、正統派そして多数派を代表する国家ありきの意見であるだけに、少数派(マイノリティー)である私には理解に苦しむ点がありました。国家制度・法による支配はごもっともなのですが、理想通りにいかないのも現実です。私が現場で出会う少数派、なかでも無国籍の人々は、国々や法の狭間からこぼれ落ち、苦しんでいる人々です。つまり、国や法の枠組みによる排除ゆえに苦しんでいます。国家や法の理念はもちろん大切ですが、どう実践するのかはさらに大切だと思います。現実問題として、理念にたどり着くのにどうすればいいのか、国からこぼれ落ちた人々の人権はどうするのか、国内の利益を求めるばかり望まないものを排除しがちな現実のなか、国々はどう歩調を合わせるのか、理念だけでなく現場の視点で物事を調整していく能力こそが大切だと思います。
―番組視聴者にメッセージを。
陳
番組の中で、日本の国際関係のあるべき姿について、難しい言葉で、いろいろ議論してきましたが、実はみなさんの問題であり、みなさんにもできることはあると自覚を持ってほしいですね。
国際関係といっても、いわゆる外交に限らず、さまざまなレベルや方法があります。サブカルチャーも、その一つです。私は『テルマエ・ロマエ』という映画が大好きです。この作品は、古代ローマ時代の浴場と、日本の銭湯の繋がりを描き、それが古代ローマの政治を動かしてしまうというグローバル、そしてダイナミックな内容です(笑)。その中に描かれている主役の他者への観察力、自己反省力、そして実行力は素晴らしいです。そこに、日本の国際関係のあるべき姿、私たちのあるべき姿へのヒントがあると思うのです。
きっかけは、自分の好きなことで良いし、欲望でも良いのです。それらを求めて、どんどん探求し、海外に行ったり、人々と交流したらいいと思います。自分の文化と他国の文化を客観的に比べることを通して、自分自身を見直し、そこで得た発見から、なにか行動を起こして欲しいと思います。そこから得られたことや考えたことを、何かかたちにして伝えていってもらいたいです。それこそが私たちにできる国際関係への第一歩なのではないかと思います。どんなに小さなことでもいいのです、行動に起こしたものが勝者だと思います。
―今、行きたい国はどこですか。
陳
イスラエルとシリアの国境地帯であるゴラン高原に行きたいです。かつてシリア領であったゴラン高原は、紛争を経て現在イスラエル領となっています。ゴラン高原に住んでいるドゥルーズの人々は、国々の紛争の末、新たに引かれた国境線によって、家族や民族が引き裂かれてしまいました。イスラエルが建国され、ゴラン高原を実質支配するようになりましたが、ゴラン高原に住んでいるドゥルーズの人々は、「自分はシリア人だ」と信じ、イスラエル国籍をもっていません。一方では、シリア国籍も享受できず無国籍状態です。
このような状況下、シリアを自分のアイデンティティの拠り所としてきたドゥルーズの人々は、どんな思いでいまのシリア情勢を見ているのか、彼らと語り明かしたいですね。ゴランから、しかも無国籍という立場で、この情勢をとらえ、「シリアはこうあるべきだ」と客観的な意見をもつ人もいるでしょう。「馬鹿馬鹿しい、どうでもいい」と投げやりになっている人もいるかもしれません。それよりも、「ゲームが大事だよ」っとサブカルチャーに浸っている若者もいるかもしれません。
国に翻弄され、無国籍になった人が、アイデンティティの拠り所としている国をめぐる国際関係をどうとらえているのか、非常に気になりますし、シンパシーも感じます。ゴラン高原は初めて行くところではありませんが、いまこの情勢下で、とても行きたいところです。人々はもちろん、風景も美しいところです。