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2015.04.24
2013.07.02

「したたかな日本」を創造するために――憲法と政治のジレンマ【第4回(最終回)】:木村草太×浅羽祐樹

「憲法」をめぐる問題を自分たちの問題として論じた『憲法の創造力』 の著者・木村草太氏と、『したたかな韓国』 で成熟した政治センスを身につけようと提案した浅羽祐樹氏。法学、政治学、それぞれの立場から現下の日本が抱える課題について論じていただきました。4回にわたってお届けします。

木村 草太 (キムラ・ソウタ)

1980年生まれ。憲法学者。東京大学法学部卒業。同助手を経て、現在、首都大学東京准教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。著書に『憲法の創造力』(NHK出版新書)など。

浅羽 祐樹 (アサバ・ユウキ)

1976年生まれ。新潟県立大学政策研究センター准教授。専門は比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。著書に『したたかな韓国~朴槿恵時代の戦略を探る』(NHK出版新書)、木村幹・佐藤大介両氏との共著に『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(中公新書ラクレ)。

いよいよ最終回。今回は質疑応答編として、参加されたみなさんの質問に、お二人が答えます。とかく感情的、抽象的になりがちな改憲や日韓関係の論議を、未来へ向けて論理的、具体的に転換していくヒントが見えてきました。


■感情論には論理だけでなくユーモアとやさしさでも対処

――憲法9条、96条以外も改正される可能性はあるのでしょうか。

木村  それは国会議員と国民の皆さん次第です。ただ、今、出ている改憲提案を見ていると、憲法を改正しないとできない政策というのがあまり示されていません。改憲論議というのは、普通は、(1)やりたい政策があるのに、(2)憲法で禁止されている、(3)だから憲法を改正する、という順番になるはずなのですが、日本の改憲論は、あまりそういうされ方をしません。

 なぜそうなってしまうのかというと、日本国憲法自体が怨念の対象になってしまっている面があるんだと思います。そんなにたくさんではないと思いますが、「敗戦と屈辱の象徴としての日本国憲法」というふうに物語を読みこむ人たちがいる。こういう人たちを、私は「感情的改憲派」と呼んでいます。

 安倍政権発足時の世論調査で、憲法改正に関心があると述べたのは確か6パーセントくらいだったと思います。その中には、新しい人権を加えたい方や、改憲をしてほしくないという意味で関心がある方がいる一方で、日本国憲法に屈辱の歴史を読み込む感情的改憲派の方が根強いことは、私も議論状況を見て実感しています。

 では、どう考えたらよいのかということです。彼らが憎んでいるのは、日本国憲法の内容ではないわけです。感情的にあの文章が憲法としてあることが許せないということです。これに対して、いわゆる護憲派、あるいは穏健派の改憲派の人は、憲法とは、国家を形づくるルールなのだから、ルールの内容の話をしましょうというわけです。

 いくら内容の話が大事です、と話したところで、一部の人からは嫌なものは嫌だという反応を引き出してしまう。それは、なぜかということを私は考えました。『雨月物語』にヒントがあるのではないかと思っています。

 雨月物語巻の一、「白峯」という巻で、政争に敗れた崇徳天皇が流された先で怨霊となって西行と対決するシーンがあります。西行は崇徳天皇の怨霊に、貴方のやっていることは結局、私怨を晴らそうとしているだけではないですか、国民の平和を願うなら、世を混乱に陥れてどうするのですか、と理を説くわけです。

 これに対して崇徳天皇は、非常に深い言葉で返します。「今事を正して罪をとふ ことわりなきにあらず」、つまり、お前の言うことはよく分かる、確かに俺の言っていることは理論的にはめちゃくちゃで、間違っているかもしれない、というわけです。しかし、「されどいかにせん」、だからといって、どうしよう、この気持ちを何処にぶつけたらいいのか、と崇徳天皇はおっしゃるわけです。

 最後に西行は「院の気持ちもよく分かります」という和歌を詠む。すると、崇徳天皇も昇天していく。この物語から考えさせられるのは、どうにも行きどころのない気持ちを何処で受け止めるかということですね。感情だけを改憲にぶつけている感情的改憲派の人たちに理屈を説いても、仕方がない面がある。

 その人たちに対するやさしさをどう示していくかということが、この種類の改憲論に対する課題です。それをしっかりやらないと、9条や96条も含めて、不合理で感情にまかせた改正が行われてしまう。そういうことに注意していかないといけないな、と思います。


――韓国の人に「独島は韓国のものだ」と議論を吹っかけられたりしたとき、気まずくならず、でも迎合もしないでスマートに返す方法はありませんか?

浅羽  私も同じような議論ならぬ議論を吹っかけられることがたまにあります。学会の場ですらありました。しかもソウルで、韓国語で話しているときでした。

 そのときは、「独島ヌン ウリタン(独島は我らの地)」という韓国人なら誰でも歌える国歌に並ぶ愛国ソングがあるのですが、まずはそのとおりに「独島は韓国領」となぞったんです。すると会場が「わーっ」と湧きました。それから、五秒くらい経ってシーンとしてから「でも竹島は日本領」と続けました。そこでも、また、「わーっ」となりました。

 これは、一見盛り上げておいて、実は、日韓の間には認識に差があるんですよ、まさしくそれこそが領有権紛争なんですよ、というメタ・メッセージを伝えているわけです。これだと場もシラケないし、「妄言」にも「良心的日本人」にもならなくて済みます。感情は感情としてケアする必要がありますので、こういう場面で、ただ「竹島は日本領」とだけ言ってしまうのはスマートな回答ではないと思います。一度、相手の感情を受け止めて、それは分かっているということを示したうえで言動しないと、相手を動かしたり物事を進めたりするという意味で効果的ではありませんね。


――浅羽さんは安倍総理が朴大統領就任時に「あなたのお父さんも親日だった」と発言したとき、総理は韓国の国民感情を理解していないと指摘されていました。そうした想像力の欠如に由来する、日本人が起こしがちな間違いにはどういうものがありますか。

浅羽  朴槿恵(パク・クネ)大統領はそもそも朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の娘で、その時期に国交正常化もなされて、日韓関係がよかったこともあり、郷愁の念に近いものがあります。彼女であれば冷え切った日韓関係を復元してくれるのではないかという淡い期待があるのかもしれません。

 しかし、「親日」という言葉は、韓国では社会的な抹殺を意味し、含意や帰結が自明なんです。そのような言葉を日本から投げてしまうと、朴大統領の行動の自由を縛ってしまうことになります。単純に、そういうメッセージを最初に送りますか、ということです。少しでも韓国社会の機微を踏まえていると、そういう球はまず投げられないものなのですが…。


――ヘイトスピーチのような問題を考えると、憲法は国家を縛るだけではなく国民の行動を縛るものだという理解も必要では?

木村  相互に差別的な言葉を言わないとか、礼儀正しくするとかいう規範が、国民の間できちんと守られていないと、どんなに警察や裁判所が頑張ってもいい社会にはならないというのはそのとおりだと思います。その意味では、基本的な倫理が国民に共有されなくてはいけない。西修先生や百地章先生はそういう認識からずっと改憲を主張されるわけです。

 私はそうした立場を、ありえない認識だとは思いません。ただ、だからといって、国民も人権を守りましょうとか、相互に人権を尊重しましょうと憲法に書いても、それだけで国民が人権を守るようになるとは思えないわけです。

 憲法に書くよりも、人権の大切さを教育や研究など、いろいろな局面で訴えていく必要があると思います。浅羽さんどう思われますか。

浅羽  これについては、5月半ばに、ある通信社からコメントを求められたことがあります。私はこの問題については二点、注意しなければならないことがあると思います。まず一つは、これは規制ではなく思想の自由市場の中で淘汰されるべき問題であるという点です。法の規制でヘイト「クライム」にするのではなくて、議論を通じて認められないという合意を日本社会がそれこそ「創造」すべきだと思います。もう一つは、デモ映像はネットで直ちに世界に流れますので、日本が差別を認めたように誤解されたり悪評に利用されたりすれば国益を損なうという点です。


■自民党草案は本当に「使える」のか?

――自民党改憲案は、実際に運用が可能な案だと思われますか。

木村  ある座談会(『文藝春秋』7月号)で自民党第一次草案に携わった舛添要一さんや自民党の高市早苗さんとご一緒したのですが、2005年につくられた自民党の第一次草案は政権党だったので、国民や民主党の支持を得られるように、復古調の表現を減らすようにいろいろ工夫をした。ところが第二次草案は野党だったこともあって「思いのたけ」を書いてしまったということがあるのではないか、ということでした(同、134頁)。

 実際、読んでいてもそう思えるところがあります。いろいろ問題はあるにせよ、第一次草案のほうが国民に広く訴えかけようとしているし、法律の文章である以上、法制局のような法律の専門家に話を聞こうという態度が見られました。

 ところが、今回の改憲草案は、野党時代に改憲を望んでいる支持者に対して自分たちはこんなに頑張っているぞ、と出した文章という側面が強いと思います。それが思いがけず、政権党になって他人の目に触れるようになってしまった。同人誌がいきなりメジャーデビューしてしまったようなものです。自業自得だという半面、やはり、ちょっとお気の毒だなという面があります。

 自民党としてもしも本当に改憲がしたいのであれば、96条改憲がどうという議論とは別に、国民の幅広い支持を集めるように方向性をしっかりと煮詰めて、法律家を集めてこういう政策を採りたいけれど実現するにはどうしたらいいか、という議論をきちんと詰めていかないと、現実に運用できるルールはできないと思います。付属法令もふくめて、もう少しブラッシュアップしたほうがよいのではないでしょうか。


■抽象的な言葉から具体的な政策へ

――9条改正で国防軍ができたら米軍の下に組み込まれてしまわないか心配です。

木村  9条改正については、やはり政権側に対して具体的に何をやりたいのですか、というメッセージを投げていくことだと思います。「普通の国」とか「集団的自衛権」という言葉では抽象的すぎて、何をしたいのか分からない。集団的自衛という名目でできる行動はたくさんありますから、具体的に何をしたいかという政策の話をもっとする必要があると思います。

 具体的な政策論をしたうえで、それでもやるのだという日本国民の判断はありうると思いますが、何はともあれまずは、抽象的な言葉ではなく具体的なシュチュエーションを想像して議論をしていく必要がある。私はわりと日本国民のことを信頼していますので、そういうふうにしていけば、おかしな軍事行動をとるような改憲はしないでしょうし、必要な改憲を逃すこともないだろうと思っています。

浅羽  日本国民を信頼しているという点では、私も全く同じです。早稲田大学の「外交に関する世論調査プロジェクト」では、日本国民の対外認識や外交政策に対する世論調査を毎月行っています。その中で大変興味深い調査結果があります。昨年の8月以降、李明博(イ・ミョンバク)前大統領による「島根県の竹島」上陸だとかいろいろあって、毎年10月に行われている内閣府の調査では、親近感も二国間関係の評価も前年度と比べて一気に低下しているのですが、この月例調査では、対韓認識に対する日本国民の認識や判断はすでに昨年の8月以前の状態に戻っているのです。

 対中は対韓ほどではありませんが、それでもずいぶん戻しています。今、中国や韓国に対して親近感は覚えにくいでしょうし、それぞれの二国間関係が良好であると評価しがたいのは確かです。にもかかわらず、いや、むしろだからこそ、悪化した関係を改善しなければいけないという認識や政策判断は同時に成り立ちうるというわけです。

 安全保障に関する認識も、海の問題がシビアになっていますので、陸上自衛隊よりも海上自衛隊の役割を重視するというのは、この月例調査でも次第に強くなっているのですが、これは客観的な情勢が変化することに伴う認識の変化です。ただ、同時に、核の保有や集団的自衛権についてはそれほど変わっていません。ここには日本国民の非常にリアルな安全保障観がよく出ていて、ここにこそ「外交の現実主義的根拠」があるという見方が示されていました(詳しくは、河野勝「どこに外交の現実主義的根拠を求めるか」『中央公論』2013年6月号を参照してください)。情勢の変化に応じて一定の変化は当然あるのですが、動くところと動かないところがはっきりしているということに注目したいです。

木村草太さん(左)と浅羽祐樹さん。


――今年の司法試験で、「内閣による衆議院解散の法的根拠」が問われました。明文化されていないルールがたくさんあって受験生としてはしんどいのですが、それを明文化するような憲法改正はどうなのでしょうか。

木村  きちんとした改正案で、これまでと変わらず、国民の納得が得られるものであれば、私は特に反対しません。ただ、これは、先ほど述べた座談会で思想家の東浩紀さんがおっしゃったことですが、まともな改憲案はいくらもあるのに、どうして政権党の人たちは国民のアレルギーを引き起こしかねないような伝統の維持とかを同時に入れるのか、本当に改憲したいことがあるなら、一部の人に受けるだけでなく国民の広汎の合意を取り付ける努力をされたほうがよいのではないか。そういう努力をしないために、やらなければいけない、あるいは、やってもよい改正が先送りされてしまった、と(『文藝春秋』、2013、146頁)。確かに、そういう面はあると思います。

浅羽  法人の定款にあたるようなものをはっきりさせるためだけに、今、わざわざ改正する必要があるのか、という気もしますね。

木村  別にやってもいいけど、やらなくてもいい。やっても、やらなくてもいいことは手続きも大変だからやらない、そういう判断をこれまでしてきたということかなと思います。

浅羽  これこれが書かれていないから改正するとパッケージで提示されると、裏口から一緒にいろいろ変なものが入ってくるかもしれないという心配もありますよね。

木村  そういうこともありえます。ですから、感情的改憲論の方に感情論をやめて少し合理的に議論しましょうという態度を受け入れていただく。他方で、ちょっとでも改憲するととんでもないことになるとおっしゃるような感情的護憲派というのもいらっしゃいますから、両方の感情を受け止めたうえで合理的な議論をしないと、なかなかうまい改憲論議はできない、というちょっと不幸な状況があります。

浅羽  手続きの話というのは実は本質論なんです。今、日韓歴史共同研究の第三期をやるという話がどうやら水面下で進んでいるようですが、第二期では最初に手続きを決めたんですね。研究会で発表したものは全て報告書に載せるという合意を最初にしました。そのうえで、韓国側はサンフランシスコ講和条約そのものに関する研究と見せておいて、実は、講和条約で独島(竹島)の問題がどう扱われたのかという国際法学者の論文を最初にぶつけてきたんです。

 メンバーの選出も韓国は日本よりも一年も前に終えていました。くしくも、日本は安倍第一次内閣のときですが、選出が遅れたんです。それで、日韓がガチンコし、手続き合意をするやいなや、最初にそういう曲球が飛んできて、そのまま報告書に紛れ込まれてしまったんです。今、第三期をするのであれば、よくよく考えないとマズイわけです。手続き合意をするということは内容を規定するということです。すでに、外交の場で、まざまざと見せつけられました。

木村  そこをしっかり見ておかないといけないということですね。


■憲法と政治のジレンマ

――韓国に憲法裁判所があることによって違憲立法の審査が迅速にできたという事例がありますか? また、日本で憲法裁判所の抽象的審査を導入すべきという議論についてどう思いますか?

浅羽  韓国で憲法裁判所が注目されるようになったのはまだまだ最近のことなんです。憲法裁判所自体が2000年代に入って活発になり、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(当時)に対して国会が弾劾訴追すると最終的に棄却したり、大統領と国会が合意した首都移転法案について慣習憲法まで持ち出して違憲判決を下したりしました。その後、ようやく、大統領や国会とは異なって国民によって選出されていない機関が民主政治において果たす役割に対して、学問的な関心が高くなりました。まさにミネルヴァのふくろうです。

 たどってみると憲法裁判所は1987年の民主化のときのある種の政治的合意だったわけですが、そうした制度そのものの生成・持続・変化のダイナミズムについては、制度の効果についてほど研究が進んでいません。もちろん、個別の判例に対する研究は蓄積されてきているんですが、そもそも憲法裁判所が自由民主主義体制の中でどういう役割を果たしているかという点については、まだまだ研究が始まったばかりです。私も今年度から本格的に取り組みつつあります。

木村  私の考えでは、よく言われるとおり、日本では内閣法制局というのが頑張っていて、法案を国会に出す前に内閣法について内閣法制局、議員立法については衆参両院の法制局がリーガルチェックをして憲法判断をしているわけです。その結果、これはまずいですと戻されたり、修正されたりすることは多いようです。

 ですから、抽象的違憲審査制というより、まず入り口のところで法案を審査してくれている機関があるわけです。法制局が、これまでもきちんと機能してきているわけですから、そこを強化するなり、維持していくことがまずは大事です。それが日本の最高裁の付随的審査制とワンセットになっているので、社会が安定するという意味では、私はわりといい制度だと思います。

 ただ、憲法改正については法制局が機能しない面がある。普通、法律がどうできるかというと、政治家が政策を投げると、審議会でいろいろな意見が出て、官僚が文章にしてくれて、法制局がさらにチェックして、ようやく国会にあがってくるわけです。憲法の場合はそうしたチェックを経ずに自民党の改憲草案みたいなものを議員がつくってぽんと出してしまう可能性がある。

 憲法改正をしたければ、事前に法制局に見せたほうがいい。法律の条文を書く作業というのは、建築で言うなら、どんな接着剤を使うかとか、釘を何本打つかという、非常に技術的な話です。憲法を変えると付属した法律もいろいろ変えないといけないわけです。それは官僚が政治を動かすということではありません。政策をまず政治家に示してもらう。国会でやるべきことは、何処にどういう建物を建てるかという話をきちんと決めることです。あとは、専門家にチェックしてもらって、実施設計は建築家に書いてもらうという具合にしなければいけないはずです。

 その意味では、普通の法律については事前の手続きの重要性が理解されているのに、憲法についてはそれが理解されていないという状況は少し危惧しています。裁判所が抽象的違憲審査をするというのはかなり大げさな話になりますが、改憲案についても法制局が見るようにするということを進めていく。大規模なコストをかけてつくった改憲案が改正限界を超えます、なんて言われたら恥ずかしいですから、これは、政権にとってもメリットがあります。

 96条改正も、今かなり有力な法学者が反対していますから、それに対抗するためにはできるだけ有力な意見書を集めておかないといけないわけです。そのような頭脳戦に備えるということは政権にとってもいいことです。法制局なり官僚機構なり、専門の審議会を活用していただくと、よりよい改憲あるいは憲法改正手続きができると思います。

浅羽  今回の対談は、「憲法と政治のジレンマ~日韓のケーススタディから」ということでしたが、「ケーススタディ」というのは、法学だと「判例研究」、政治学だと「事例研究」という意味になります。「憲法と政治のジレンマ」について、憲法学と政治学のコラボレーションがうまくいったかどうか分かりませんが、ある種の可能性と限界と今後の課題が示されたのであれば意味があったと思います。今日は、本当にどうもありがとうございました。

木村  こちらこそ、どうも、ありがとうございました。


ジュンク堂書店でのトークイベントの様子。

【了】

構成:河村信

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