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2015.04.24
2013.01.23

『ふるまい』のデザインで公共性をつくる:中村拓志

日本建築家協会賞、日本建築家協会新人賞など、若くして多くの受賞歴を誇る気鋭の建築家・中村拓志さん。昨春にも、神宮前交差点の角地に建設した「東急プラザ 表参道原宿」が竣工するなど、その活躍は留まることを知りません。 3.11以降、コミュニティの重要性があらためて問われる現代において、建築や公共空間のゴールとは何か。中村さんの哲学には、それを解決するためのヒントがありました。

中村 拓志 (ナカムラ・ヒロシ)

1974年生まれ。NAP建築設計事務所代表。隈研吾建築都市設計事務所を経て現職。主な受賞歴に日本建築家協会賞、グッドデザイン賞金賞、日本建築家協会新人賞など。主な著書に『恋する建築』、『微視的設計論』、共著に『地域社会圏』などがある。

神原 一光 (カンバラ・イッコウ)

1980年生まれ。NHK放送総局 大型企画開発センター ディレクター。主な担当番組に「NHKスペシャル」「週刊ニュース深読み」「しあわせニュース」「おやすみ日本 眠いいね!」。著書に『ピアニスト辻井伸行 奇跡の音色 ~恩師・川上昌裕との12年間の物語~』(アスコム)、最新刊は『会社にいやがれ!』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

カタチがかっこいいだけの建築なんて、もう要らない

神原 中村さんとは、07年に放送させて頂いた「トップランナー」というトーク・ドキュメンタリー番組にご出演頂いて以来のお付き合いですね。
あれから、早くも5年。今日は、ポスト3・11の「公共」を、建築ではどうデザインしていくかについて、お話をお聞かせください。そこから、僕たち自身の仕事のヒントを見出せたらと思っています。

中村 今は、マスメディアやマス広告というものが、人びとに届かなくなっている時代だと思います。「これが今年の流行りです!」「これが今話題です!」といったトップダウン的で一方通行な手法を僕は「Push型」と呼んでいるんですが、このようなプロセスのコミュニケーションはどうも受けが悪い。それは価値観が多様化・複雑化したことや、マルチメディア化による情報取得機会の増大など、さまざまな理由が挙げられますが、「上から押しつけられるような一方向的なものに対して、みんなが拒否反応を示す時代になっている」ということもあると思います。そのため、例えば広告の世界では、「Pull型」の広告というものが期待されています。これはWeb上でユーザーに対して能動的にクリックを促すようにしかける、ユーザー誘引型の広告です。

前置きとしてなぜこのような話をしたのかというと、これは建築にも同じことが言えるんですね。

神原 建築にも「Push型」と「Pull型」がある、と。

中村 そうです。
「Push型」の建築は、そのように受け取りなさい、という意図のもとに作られた強い建築です。外形のシンボル性をアピールして権威づけをしたり、広場を作ったから集まりなさいと号令するようなデザインだったり、「こんな形カッコいいでしょ」とか「これ、○○をモチーフにした形です」っていう、一元的な受け取り方を強要するような建築のことですね。
かつて建築にもポストモダンと呼ばれる、特定のモチーフ、例えば風とか集落、神殿などと言って、そのようなイメージをもとに建築家が思い思いにカタチを設計していた時代がありましたが、これほどみんなが「上からの押しつけ」を嫌がる時代には、そういった手法は通用しません。そうしてつくられた建築は、見る人にとっては形のアピールだけでしかなくて、自分事として関係づける契機がないので、ただ疎外感ばかりを感じてしまう。例えば都庁は、遠くから見た時にパリのノートルダム寺院の双塔のようなシンメトリーなシンボルとして見えるように意図されて設計されていますが、そればかりが重視されて、内部や足元の広場は都民にとって全く居心地の悪い空間で、愛されていませんよね。だからこそ、いま僕は「Pull型」の建築が大事だと思っています。

神原 でも「Pull型」の建築って、なんかイメージがわきにくいようにも思いますが…。

中村 多様な受け取り方が可能だったり、思わず○○している、というような行為の誘発によって、使用者と建築の関係性をどんどん高めていくような建築ですね。たとえば、僕が設計した銀座のブティックには、壁面にいくつもの小さな孔を開けて、外から覗けるようにしています。これには仕掛けがあって、ある場所から見たあとにちょっと移動してもう一度見ると、景色がもやもやと動き、その人にしか見えない風景が現れます。そして孔が開いていることで、通りがかりの人が思わず、一歩前に足を踏み出して「内部を覗く」という行為を誘引しているわけですね。

もともと人って、受動的に得た情報よりも、自分が能動的に動いたことで得られる情報にこそ、感動するんですよね。そのほうが体験として遥かに深くなるし、記憶にも残ります。「自分が参加している感」「受動的じゃなくて自ら望んで行ってる感」をどう作るかが、建築だけじゃなく、あらゆる業界において課題になっていると思います。

「ふるまい」が感情を喚起する

神原 「人の行為を自然に引き出す」建築を考えるとき、中村さんはどういったことを発想の出発点にするんですか?

中村 行為を引き出すだけではなくて、その「ふるまい」によって人がどんな感覚や感情を持つか、ということを考えます。人が能動的に行動していると思わせるくらい、自然な形で行為を引き出すためのフックを用意すると同時に、その行為をしてもらうことで、使用者がどんな気持ちになるのか。それが建物が持つ機能や意味と関係すれば、その建築は成功だと思うからです。

日本建築のお茶室にある「躙り口(にじりぐち)」というものをご存知ですか? これは写真のように、お茶室に入室するための小さな開口部のことです。外国人に見せると「なぜこんなに小さいのか」と、すごく興味を持たれます。しかし、躙り口が小さく設計されているのには、ちゃんと理由があるんです。

古来、お茶室を使用していたのは武士でした。身分が高い武士は普段、胸を張って自分を大きく強く見せるようなふるまいをしています。しかし、躙り口が狭いことによって、入室する時にはそれとは真逆に身体を収縮させなければいけません。言ってみれば、思わず自動的に「お辞儀をする」格好になるんですね。これこそpullですね。

お茶室の躙り口
また、狭いせいで帯刀したまま入室することができないので、躙り口の左奥には刀を置くための棚も設置されています。要するに「普段の社会的ふるまいを一度全て取り払って、素の自分に戻りなさい」と暗に伝える場所になっているわけです。それは入室する人に謙虚な気持ちを引き起こすことでしょう。開口部を小さくするというただそれだけの操作をすることで、心理的な効果が生まれているんです。

こういったことを、僕は「ふるまいのデザイン」と呼んでいます。普通は「感情があって行動が生まれる」という順序だと思いがちですが、「行動があって感情が生まれる」こともあるわけです。

もっと身近な例で言うと、部屋のドアって引いて開けるタイプと押して開けるタイプの2種類があるじゃないですか。そこで生まれる感覚の違いって、わかりますか?
人それぞれ受け取り方はあるとは思いますが、押して開ける時はそのまま一歩を踏み出せるので、自分が迎えられている感覚、受け入れられる感覚があるわけです。しかし、引いて開ける時はその逆で、少し入ることにためらうような感覚が生まれます。「家政婦が見た」とか、大体ドア引いてますよね(笑)

神原 なるほど!確かに、家政婦はドアを押さない。ドアをそっと引いて、中をのぞき見る感じですね(笑)

中村 僕はこうした些細な日常のふるまいの中にも、感覚や気分が生まれていることを発見し、それを設計に取り込んでいきます。

そもそも人間のふるまいには、言語化できない豊かさや、文化的な意味があるんですね。しかし、僕たちはそうしたふるまいの豊かさを、どんどん失っている気がするんです。たとえば駅に長ベンチがなくなりつつあります。供給者側が一方的に、つまりpush的に「1人用はこれだけ」と全部区切ってしまって、揉め事が起こらないよう配慮してしまった結果、姿勢は画一的になってしまいますし、個人と個人が分断されていっている。
座ってほしくなかったら足を伸ばしたり、足を閉じて「どうぞ」と言うのも暗黙的なふるまいのコミュニケーションなわけじゃないですか。現代の公共空間は、そういった他者とのかかわり合いをなくす方向に向かっているように思うんです。

人のふるまいって、さまざまな感情や他者への想像力を喚起します。だから僕はふるまいの豊かさに気付いてもらえるような建築を作っていきたいと思います。

「ふるまい」は共振し、社会をつくる

中村 僕がこれほどまでふるまいのデザインについて考えるのは、ふるまいというのは社会というか、共同体の感覚を作ることができると信じているからです。

たとえば、僕たち日本人はお辞儀をしますよね。その際、相手がお辞儀をすると自分も自然と頭を下げてしまいませんか。それを僕は「ふるまいの連鎖」と呼んでいます。こうすることで僕たちは、「私はあなたに敵意がありません」とか「あなたのことを了解しています」という共有の感覚を作っているわけですね。
農耕民族である日本人は、村落共同体でこのようなふるまいを長きにわたって培ってきました。田畑を植えたり収穫したり、茅葺屋根を作ったり、みんなで土塀を作ったり…。同じふるまいをすることで、みんなの気持ちが1つになっていく。ふるまいが共振することで、共同体が生まれていたわけですね。このことは日本だけでなく、世界共通で認められることです。

もう僕らはこのような村落共同体に戻ることは中々難しいけれど、現代には現代に合ったふるまいの共振の契機があると思います。例えばインターネットの中にもそれは存在します。「つぶやき」や「いいね」など、これまで誰も注目してなかった小さなふるまいを1つに集積し、それを連鎖することで、ある種のソーシャルなものが現れつつあるわけです。
建築というのも、もともとそういうところがあるんですね。図書館は「本を読む」ふるまいを集めているし、美術館は「絵を見る」というふるまいを集めている。僕は、今までに誰も着目してなかったふるまいを集めて、それが共振されるお膳立てをすれば、何か小さな社会ともいうべき共同体の感覚が生まれるんじゃないかなと思うんです。
例えば僕がてがけた東急プラザ表参道原宿の屋上は、すりばち構造を使って、それぞれ人が好き勝手なことをしているのに、つま先や視線はすりばち底部に向いて、みんなで輪になっているという、ふるまいの連鎖を作り出しました。視線が安定すると、隣の人に目線がいかなくなり、場に落ち着きが生まれる効果も狙いました。ここに行ってもらえるとわかりますが、独特の一体感を感じることができます。

東急プラザ表参道原宿の屋上空間
なので、「みんなで共有したいよね」とか「みんなで一体感を感じたいよね」と抽象的に考えるのではなく、「ふるまいを連鎖させる」という具体的な方法に変換して、「どのようなふるまいがよいのか」「どうやって連鎖させていけばよいのか」という目線で考えていくことが重要なんです。

そこにいる人の感情を徹底的に考え抜くことで、デザインは生まれる

神原 建築家というと、まずは図面で全体を作るという、全体論が先に来るような印象があります。でも中村さんの場合は個別的というか、非常に具体的な「ふるまい」から設計されるということなんですね。

中村 俯瞰的に考えると同時に人間の近くで考えるという、その両方を大事にすることが大事だと思います。巨視的な視点ももちろん大事ですが、そっちばかりに目がいくと作り手の事情ばかりが優先されがちで、出来上がる空間がユーザーにとってなんだか居心地が悪いものになってしまうんですね。

神原 作り手の論理を押しつけるのではなく、「ふるまい」から沸き起こる感覚や感情を大事にしようという発想法ですね。

中村 そうですね。それによってこそ、建築に愛着を感じてもらえるんじゃないかなと思うんです。僕は建築にとってのゴールは、「愛着を持ってもらう」ことだと考えています。だから基本的な発想は、そうした問題設定から「じゃあその時の愛着って、どういう感情によって作られていくのか」「そうした感情を引き出すには、どんなふるまいが必要なのか」と考えていくことが多いです。
その問いに答えるために試みた空間設計のプロジェクトが、羽田空港の第二ターミナルに設置した400個の「椅子」です。400個の椅子を全種類違うものにして並べる、ということをやりました。



神原 こうして見ると壮観ですね。

中村 当初の空間は細い廊下の先に飲食店が並んでいたのですが、僕は空港でしか味わえない臨場感こそが大切だと思いました。そこで、お店をテイクアウト専門にして最小化し、廊下を太くして、そこにフードコート的にガンガン椅子を出したんですね。座るとトップサイドライトからは雲が見えるので、これから自分が離陸する空に思いを馳せたりとか、風の流れを読んだりとか、出発ホールを見下ろして旅行鞄を持っている家族がどこに行くのかなと想像してみたりとか、そういう空港ならではの体験がつくられていくわけです。
そして、なぜ全て違う種類の椅子を使ったかということですが、もし全部同じ椅子だったら、次に空港を訪れたとき、自分がどこに座ったか思い出せませんよね。記憶が残らないと、愛着にはつながらない。「前ここに来て、この椅子に座って上を見上げて、あんなことを考えたな」ということまで遡れるような、椅子を記憶装置として機能させるために種類を変えてみたんです。

神原 私も羽田から出張した時に行ってみました。
飛行機に乗る人って、すごく画一的じゃないですか。全部同じカタチのシートで、みんな同じ姿勢をさせられて、ある意味苦しい。そういったときにこういう椅子があると、旅立つ前に自由な姿勢が取れますよね。

中村 そう、それも重要なんです。そこにふるまいの多様性が生まれると思うんです。
他にも、カップルが革の椅子とプラスチックの椅子でどっちに座るかとか、どっちが譲り合うかとかで、座る人の対人関係や疲労具合や好みを想像できるんです。人物観察も楽しくなるわけです。他者への想像力を喚起すること。これは公共空間にとって、今最も必要なことではないでしょうか。

また、羽田空港にはこういう縁台みたいなカタチのベンチも作りました。


以前はただの1人掛けの椅子が同じ方向に窮屈に並んでいました。座る人はなぜか前の人の後頭部を見ながら過ごしていたんですね。 このベンチは、背もたれや座面の奥行きをランダムに変えているので、さまざまなふるまいができます。ダラッと座る人もいれば、片肘を突いたりノートPC置いたり、とにかく多目的に使えるわけですね。
興味深いのは、自由度を上げたことによって、自分が想像もしなかったような使い方がされていることです。たとえば外周部に大人が座っている状態で、ベンチの真ん中で小さな子供が遊んでいることが多いんですよ。それって、すごくいい風景だなと思いました。他人同士が作った背中によって、期せずして子供たちが遊べる温かい安全な空間を、僕は椅子のデザインによって実現したわけです。

神原 大人が壁というか、バリアみたいになっているわけですね。

中村 そうなんです。全く想定していませんでしたが、これは公共空間のデザインとしては非常に良かったなと思います。使用者が関われる自由度やきっかけを作りながら、そこから使用者自身が新しい物語や出来事を生んでいく。人同士の関係を深めていくのです。

幸福度を考えて設計する

神原 ここまで興味深いお話を伺ってきたわけですが、中村さんは「ふるまいから発想する」ということを、どのようにして身につけたのでしょうか。

中村 僕は商業建築からスタートしたことが大きいかなと思います。商業建築って、お客さんをいかに誘引するかが大事です。だから、お店の中でのお客さんの「ふるまい」を観察する必要があるんですね。
たとえば高級ショップでも、必ず手前には安い小物が置いてあります。それは最初に「あ!かわいい」と言って手に取ってもらうことでお店に引き入れちゃって、その隣にも素敵なものがあって徐々に店内に入っていくというように、人間の心理を考えつくしてデザインされているんですね。そういうことを分析していくうちに、人の「ふるまい」の重要さに気づきました。
まあ、このことを商業建築から学んだのにも関わらず、最近は「商業建築は大量消費社会の片棒を担いでいる感じがしてあんまり……」という感じになっているんですけど。

神原 そう思われたのは、中村さんが最近ブータンに行かれたからですよね(笑)

中村 (笑) ブータンに行ってティンレイ首相にプレゼンした際に、大量消費社会や資本主義経済の問題点について議論できたことは、とてもよい経験になりましたね。自分の中で何かが動き出した気がします。

神原 そのブータンの話を最後に。何を手掛けられるんでしょうか。

中村 それはまだ言えないのですが、国家プロジェクトに関わることになります。
ブータンに行って面白かったのが、高い山々の谷間に点在するように暮らしている一部の人々が最近、冬虫夏草という漢方薬を採りだして、それを中国の人に売り出したんです。それも結構高値で。ところが、ブータン政府は「それをやめましょう」と言ったんですね。
普通の国だったら「外貨獲得のため、もっとやれ!」となるわけじゃないですか。 それがブータンではそうじゃない。ブータンは経済合理性よりも、国民幸福度という観点からあらゆる政策を決定するんですよ。幸福度は、誰かが突出して金持ちになると崩れるわけです。持っていない人が「自分は不幸だ」と感じてしまうから。つまり、幸福度というのは、平等性が前提にある。
これって結構おもしろいと思うんです。今、僕らは資本主義の社会の中で、どこかで行き詰まりを感じています。僕はこの仕事を受けると決めた時、この次の世界を考えるときのきっかけになるんじゃないかと思ったんです。建築もこれから空間を決定する時、デザインする時に、人びとの幸福度という観点から考えることが必要になるんじゃないかなと思います。その時にこそ、さっき話した、つまり使う人が自然と行為をおこし、人と建築、人と人が関係を深めていくという『ふるまいのデザイン』がきっと役に立つと考えています。

ちなみにこのプロジェクトは「ボランティアでやります」と言って、5か年計画でやることになりました。来年の春頃から小さな建物を一つずつ作っていく予定です。オープンソースを用いてエコロジーなグリーンエネルギーを利用しながらサスティナブルなライフスタイルを提案していくような、そういう建築をいくつか作ってこうと思います。

神原今回は建築を通して、新しい「公共」とはどうあるべきかを深く考えさせられました。「公共放送」に携わるNHKの制作者として、大変なヒントを頂いたと思います。ありがとうございました!

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