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2015.04.24
2012.10.24

「カルト」とは何か?―宗教学から見る今日の社会 第5回(全6回) 大田俊寛

宗教への問いは、現代社会に必要なのか――? 2011年に『オウム真理教の精神史』(春秋社)を出版し、宗教研究の再生に挑んだ気鋭の宗教学者・大田俊寛。理論的な考察に徹することでみえてくる、現代宗教の姿とは。宗教学の今日における意義と可能性を熟考する。

大田 俊寛 (オオタ・トシヒロ)

1974年生まれ、宗教学者。埼玉大学非常勤講師。著書に『オウム真理教の精神史』『グノーシス主義の思想』(ともに春秋社)など。

Q,宗教に、良い悪いという価値付けはありうるのでしょうか。あるとしたら、どのような基準でしょうか。また、危険な宗教を見抜くにはどうすればいいでしょうか。

A,第1回でも述べたとおり、宗教学は「価値中立」の立場を取るのが原則ですので、個々の宗教に対して「良い」「悪い」の判断を下すことはできません。しかし、宗教にとってその基本的機能とはどのようなものか、どのような宗教がそこから逸脱してしまっているのかということであれば、論じることができると思います。

 宗教にとって一つの基本的な機能とは、社会や共同体の成員たちが公正に生活することができるような規範を設定する、ということです。聖職者と一般信徒の区別、男性と女性の区別など、個々の成員の位置づけや役割に違いはありますが、誰もが特定の「規範の体系」に従属しなければならないということは、さまざまな宗教に共通しています。しかしながら、歴史上に数多く出現してきた宗教のなかには、こうした「規範形成機能」をうまく果たすことができていないものも存在している。特に、近代以降の社会に数多く出現するようになった、いわゆる「カルト」と称される宗教には、そうした点が目立っています。

 「カルト」をどのように定義するかということについて、研究者のあいだではまだ共通了解が形成されていませんが、一つの指標となるのは、その教団のトップに立つ人間が「生き神」や「救済者」と位置づけられ、いかなる規範や批判も受けつけない絶対的な立場を獲得しているということです。そこでは、教祖が法や規範を超越した存在と見なされ、彼の個人的な意志や欲望に基づいてすべてが決定されることになります。こうした教団は、教祖の強力な指導力やカリスマ性によって短期間の内に急成長することがありますが、教団内の不公平がエスカレートして人間関係が悪化したり、教祖を「生き神」とは認めない周辺社会とのあいだに軋轢が発生したりするなど、さまざまな問題が生じることが多いですね。オウム真理教は、その典型例だったと言えるでしょう。

 カルトは、現代社会が抱える病理的現象の一つと見なすべきであり、その活動に反社会性が見られる際には、厳正な態度で臨まなければなりません。場合によっては、法的な対処も必要だと思います。ただ一方で、そもそもカルトとは何か、どのような理由で現代社会にカルトが現れるのかということを、理論的かつ客観的に把握する必要があります。カルトの背景には常に、生きる意味の喪失、家族関係の破綻、社会における孤立、経済的困窮など、社会全体が抱える問題がある。そうした背景を考慮に入れずに、表面に現れた「カルト」をひたすら叩くだけであれば、事態は改善せず、混乱に拍車を掛けることになるでしょう。しかし現状では、カルトという対象についての理論的把握や、その対処法に関する原則論や共通了解も存在しないまま「カルト対策」が行われています。社会病理や社会問題についての冷静な議論の場にならなければならないはずの「カルト対策」が、陰湿な中傷合戦、人権侵害、思想弾圧、暴力行為の温床となっているのです。室生忠編著『大学の宗教迫害』(日新報道)という書物に、大学における「カルト対策」の現状が批判的に描かれていますので、ぜひ参照していただきたいと思います。

最終回 宗教への問いと現代社会の変化 に続く

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