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2015.04.24
2012.09.12

第2話 1/150計画/巨神兵スカイツリーには現れず 世界の真実を収集するdiary 宇野常寛

身の回りにひそむ真実をそっと差し出す日記です。皆、それぞれの宿題を持ち帰りつつ、写真とともにお楽しみください。不定期更新。

宇野 常寛 (ウノ・ツネヒロ)

1978年生まれ。評論家、「PLANETS」編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(ハヤカワ文庫JA)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)など。

 先日、フジテレビ福原伸治プロデューサーと一緒に特撮博物館に行ってきました!
(福原さんは「ウゴウゴルーガ」「新・週刊フジテレビ批評」などで知られる名物プロデューサーです。最近では震災時のフジテレビのニコニコ動画同時放送の主導で有名)



 この夏話題のこの展示、僕は一般公開初日(7月10日)に出かけて以来2回目、福原さんはなんと3回目の訪問です。

   「ニッポンのジレンマ」などで宇野を知った人は意外とご存知ないかもしれませんが、僕が何のオタクかというと「特撮オタク」です。僕の代表作『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)の表紙は仮面ライダー(旧1号)、僕の私物であるガレージキットです。この本、タイトルにある通り村上春樹論からはじまるのですが、1/3くらい読み進めたところでいきなりウルトラマン/仮面ライダーといった特撮ヒーロー論に「変身」します。

<私が今から述べることは冗談のように聞こえるかもしれない。しかしそれで構わない。文学がそうであるように、批評にもまた想像力が必要だ。冗談のように聞こえない批評には何の力もない。もちろんこれは比喩だが、本気の比喩だ。この比喩を用いることで、私たちはリトル・ピープルの時代により深く〈潜る〉ことができるはずだ。私が今から導入する固有名詞群は、たぶん一般的には春樹からとてつもなく遠く離れた存在だと考えられている。しかし、だからこそ可能性を秘めている。こうして遠く離れたもの、つながらないはずのものをつなげることこそが春樹の言う《「井戸」を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁を越えて繋がる、というコミットメント》に他ならないからだ。では、さっそく「壁抜け」のための思考をはじめよう。>

リトル・ピープルの時代 宇野常寛著 幻冬舎

 日本の特撮ヒーローにはふたつの流れがあります。ひとつは戦争映画から発展した〈ゴジラ〉など怪獣映画→ウルトラマンの流れと、チャンバラ映画から発展した仮面ライダーや戦隊ヒーローの流れです。(厳密にはもっと複雑なのですが、この辺の整理は『リトル・ピープルの時代』をお読みください。)実のところ、僕は前者よりも後者が好きなのですが、決して前者も嫌いじゃありません。と、いうかこれは100点満点で98点好きか、採点不能なくらい好きか、という問題なのであまり比べても意味がないかもしれません。
 そしてこの特撮博物館は基本的に前者の流れの歴史を追う展示になっています。
 戦争映画(戦意高揚映画)でその技術を培ったミニチュア特撮が戦後に怪獣映画、そしてウルトラマンに進化していく。その表現は半ば無意識のレベルで戦後的な政治性が入り込んでいきます。「科学特捜隊や地球防衛軍は自衛隊、怪獣や宇宙人は東側諸国、そしてウルトラマンは在日米軍」というのは有名な読解もあります。


 中は基本的に撮影禁止なのですけど、このミニチュアブースだけは特別に許可されていました。
 この崩壊した東京タワーが、往年の名作群の数々を想起させてくれてたまらないものがあります。


 展示もそうですが、一番の見どころはやはり平成〈ガメラ〉シリーズの特技監督を務めた樋口真嗣監督による短編映画「巨神兵東京に現わる」でしょう。宮崎駿監督のアニメ(正確にはその原作漫画)「風の谷のナウシカ」に登場した巨神兵が現代の東京に現れ、一瞬で街を廃墟にしていきます。まさに「火の7日間」の再現です。
 制作には半世紀以上の長い時間をかけて培われたミニチュア特撮技術の粋がこらされています。近くにいた観客が上演後「これ、ほんとうにCGじゃないの?」という驚きの声をあげていました。

 期間中にまた来よう、と固く誓って館をあとにした宇野と福原Pでしたが、僕はちょっと悲しい気分にもなっていました。今、ミニチュア特撮は技術的に、そして怪獣映画は商業的に、ともに時代の流れの中に消えようとしています。前者については、あの名前も知らない観客(若い女の子でした)の「これ、ほんとうにCGじゃないの?」という声が象徴していると思います。あの映像はたしかに素晴らしい。しかしもはやリアルな映像ではない。ミニチュアだと分かって観るからこそ「すごい」ものだということです。

 そして怪獣映画というジャンルが最後に盛り上がったのは僕が高校生の頃で、実はもう15年以上下火のジャンルです。これは怪獣映画がいわゆる戦後日本の政治性(に規定される文化空間)と強く結びつきすぎていた、ということに起因しているように思えます。もはや僕たちは、空襲の比喩としての都市破壊や軍隊の比喩としての怪獣にリアリティを持てないのかもしれません。「巨神兵東京に現わる」で破壊されるのはビッグサイトでもスカイツリーでもなく、東京タワーです。そもそも天使+核兵器=巨神兵がある朝空からやってきて、世界を滅ぼす……といった「終末」のイメージ自体が、それこそ僕が高校の頃(地下鉄サリン事件の頃)まで流行っていた/以降はすたれてしまった冷戦下の「終末」のイメージで、やはり決定的に過去のもののように思えます。だからこそ、この展示と映画は市場ではなく博物館に収められているのでしょう。
 今なら「原爆」ではなく「原発」がこの「終末」のイメージを負うのでしょうが、まさに「アメリカの影」の象徴である原爆(社会の外側から落とされたもの)と原発(自分たちが社会の内部に生み出したものの暴走)はかなり異なるもののように思えます。
 しかしこう考えると、怪獣映画はまだまだ復活できる、という結論にいたります。怪獣を国民国家の暴力「ではない」、新しい巨大な破壊のイメージに「更新」することで、新しい怪獣を僕たちは生み出すことができる、そう僕は確信しています。(『ガメラ2 レギオン襲来』の怪獣レギオンや、『ウルトラマンガイア』の根源的破滅招来体という概念はなかなかいい線を行っていたと思います。)

 なんだか、大好きな特撮の話なので長々と書いてしまいました。
 ちなみに福原Pと僕は帰りの電車で相談して、宇野事務所でジオラマを作成することに決めました。我ながら、影響されやすいですね。
 秋葉原でNゲージ用の「ジオコレ」シリーズを大量に並べて昭和の街並みを1/150で再現、そこに近いスケールの怪獣やウルトラマンのフィギュアを飾る予定でいます。名付けて秘密結社1/150計画! 参加者募集中です。

(第2話 了)

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