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2015.04.24
2014.04.22

「“救国”の大学論2014」番組収録後インタビュー:與那覇潤

2014年4月27日(日)0:00~01:00[26日(土)深夜]放送予定のニッポンのジレンマ「救国の大学論2014」収録後、與那覇潤さんにインタビューを行いました。

與那覇 潤 (ヨナハ・ジュン)

1979年生まれ。歴史学者。愛知県立大学准教授。専門は日本近現代史。著書に『翻訳の政治学』(岩波書店)、『帝国の残影』(NTT出版)、『中国化する日本』(文藝春秋)、『史論の復権』(新潮新書)、共著に『「日本史」の終わり』(PHP研究所)、『日本の起源』(太田出版)など。

――今回の番組収録のなかで、印象に残った話題や発言はありましたか。

與那覇 どの発言も、それぞれの方ならではの知見に基づく興味深いものばかりでしたが、「学生は大学をどう利用していくべきか」という話題での、マザーハウスの山崎大祐さんの答えが特に印象的でした。番組のハイライトだと思うので今は伏せておきたいのですが、実は僕も同じことを言おうとしていて、あれ、もう自分は言うことなくなっちゃうと困ったくらい(笑)。ビジネスをされている方の場合、ひょっとしたら「大学では、会社に入ってから役に立つこれとこれを身につけろ!」といった形の「正解」をお持ちだったりするのかなと思っていたのですが、完全に杞憂でした。むしろ、ビジネスの現場でできることとできないことを熟知されているからこそ、大学で過ごす時間ならではの意義というものを深く理解されているんだなと。すごくうれしかったですね。

いま、大学の教壇で本当にもったいないなと感じているのは、自分の「キャラ」なるものが高校時代までに決まってしまって、変わらないものだと思っている学生が多いことなんですよ。初年次教育を担当して7年目になるのですが、1年生の頃からリーダーシップを取ってよくしゃべる子は最後まで積極的だし、黙っている子は卒業まで黙っているまま。後者は別に怠けているのではなくて、「まじめ」な子ほどそう。大学デビューとかいっても、せいぜい髪を立てるとか染めるとか、その程度のことばかりです。どうしてそうなるかというと、いまでもほとんどの学生が大学の意義を「知識を吸収するところ」だと思っているからじゃないかという印象があるんですね。

「知識がほしいだけなら、大学に来ないで独学でもいいじゃないか」と、僕なんかは学生にときどき言うわけです。たしかに大学が、知識の希少性を武器にできた時代もありました。たとえばハイデガーの原書を、ドイツに留学して本人に会ってきたこの教授しか日本では持っていません、という世界であれば、その研究室の学生でなければ知識に触れること自体できなかったでしょう。しかし、レアな知識に触れる場としての大学、ないし博覧強記になることが学習だというモデルは、いまや前時代の教養主義の残骸にすぎません。“検索”という情報技術の誕生は、それらの価値を著しく下げてしまった。つまり「ネットで探せば、どこかには載ってるじゃん」「全部を暗記しなくても、ググればいいじゃん」となったわけです。

そのときいちばん最後に残った大学の機能が、学生自身が“変わる”、換言するなら“それまで自分が無意識に持っていた前提自体を再把握し、覆す”という体験の供給です。独学の場合は、どうしても自分のなかにある前提を強化する方向での学びになりがちなので、これがむずかしい。「自分と同じ見方」ばかりをネットの検索で拾っては、自己満足してしまう人をイメージすればよいでしょう。これに対して、大学の授業とはリアルな場所での他者との出会いやコミュニケーションを通じて、新たな認識との遭遇をいわば「強制」する装置なんですね。自分と机を並べて学んだり、手を伸ばせば届くような教壇に、自分とぜんぜん違うことを考えているやつがいる。そいつらが何だかよくわからないけど、魅力的に見える。そうした人たちとどれだけ多く出会えるかが、今の時代における大学の存在意義じゃないかなと思います。

――今回の番組のなかで、いちばん伝えたかったことは何ですか。

與那覇 大学に関して自分が伝えたかったことを、他のみなさんがどんどん言ってくださったという感じがします。先ほどの山崎さんの発言に限らず、中室さんも横田さんも、本当に同じ問題意識を共有してらっしゃるのだなあと思いました。その意味では、歴史という視点から「他の人と違うことを言う役」として出させていただいたこれまでの「ニッポンのジレンマ」とは、感じが違ったかもしれません。ただ、そのぶん論じ残したかなと感じる点もあったので、ここで補足させてください。

歴史的に振り返ってみると、いまの日本で国民の半分が大学に進学しているというのは、ある意味で“大学に行き過ぎている社会”ですよね。そこまで多くの人が大学に行っていれば、「大学生の学力低下」が起こること自体は当然です。今回の議論では、大学でグローバル人材を育てるにはどうしたらいいかという話もでましたが、実際のところそれを担う大学は本来、日本の大学のうちトップ10とか30とか、最上位の数%に限った話だと思います。それ以外に95%の大学があり、そこには今日もたくさんの大学生がいるわけです。

よく戦前の旧制大学、旧制高校の学生は真のエリートだった、という話が語られるけど、それはもともと数%しか通っていない世界の話なのだからあたりまえです。そこにはたしかに、誰もが原書で哲学書を読みこなすような教養主義があり、いま風にいえばグローバル人材がいたでしょう。当時のように、そのクラスの教育機関だけを「大学」と呼び、それ以外は実業学校とか専門学校とかの戦前の名称に戻して、ビジネスの現場に直結した職業教育をする。たとえばそういうモデルだって、今後ありえるといえばありえる。ヨーロッパのように階級性が強い社会は、実はそちらに近いと言われることもありますね。

それに対して、あくまでも「大学」を全国にあまねくつくるんだと、10代から進学先で就く職業が分岐してゆくタイプの社会とは違う道を行くんだと、そう戦後の日本人が決めたことの意義をもう一度、考えてほしいなと思うことがあるんです。これからの大学のあるべき姿、理想の大学というテーマになると、ついついトップレベル限定の話になってしまいがち。しかし、先ほど申し上げた“大学は自分が変わるために行く場所”であり“正解がないからこそ通う場所”なんだという話は、偏差値もグローバル人材云々も関係なく、いまの日本のどの大学でも該当することだと思うんですね。そのことが番組を見たみなさんや、いま大学に通っているみなさんに、伝わればいいなと思います。

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