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2015.04.24
2014.05.30

人は偏見から自由になれない ~無意識の偏見を「意識」することから始めよう

リーダーシップ論は、経営トップのためだけにあるのではない。
多様性の時代、だれもが身につけておくべきリーダーシップとは。
国際ネゴシエーターとして交渉の修羅場を経験してきた島田氏が
相互理解の出発点となる「内なる偏見への気づき」について提言します。

島田 久仁彦 (シマダ・クニヒコ)

1975年生まれ。国際ネゴシエーター。(株)KS International Strategies CEO、環境省参与。2002年ジョンズ・ホプキンズ大学大学院国際学修士(紛争解決・国際経済学)。1998年より国連 紛争調停官として紛争調停に携わる。2005~10年まで環境省国際調整官として日本政府代表団で環境交渉における首席交渉官や議題別議長を歴任。現在、国内外の企業やハーバード大学院などで交渉トレーニングを実施するなど多方面で活動中。著書に『交渉プロフェッショナル』(NHK出版新書)など。

ハーバード交渉教室、最初の質問は

 「あなたは自分が偏見がない、フェアーな人間だと言い切れますか?」
 (Are you biased?)

 

もし突然そう尋ねられたら皆さんはどう答えるだろうか。ほとんどの方は、「自分には偏見はない」と答えると思う。
この質問は、筆者が講師を務めるハーバード大学の交渉プログラム(リーダーシップ研修の一環としてエグゼクティブを対象に行われるスペシャルプログラム)の最初に、受講者に投げかけられるものである。
いまや、ビジネスの世界でも、政治的な国家間交渉でも、多国・多民族・多文化間での交渉は当たり前の世の中。今後、リーダーとしてふるまい、そして決定を下していく立場に立つ人には、内なる「無意識の偏見」に気付き、その存在を冷静に認めて、それを意識したうえで、決定を下すことが大事だからである。

 

このプログラムに集うのは、自他ともに認める学業優秀・人格高潔なエリートたち。
実際、ほとんどの受講生は「No! もちろん、自分はフェアな人間で、偏見などない」と答える。中には「なんて失礼な質問だ!」と怒りをあらわにするものもいる。そういう私も、その質問をされた際には気分を害した。

 

しかし、本当のところはどうだろうか。
結論から言えば、人には必ず「意識していない偏見(unconscious bias)」が存在する。皆さんにも経験はないだろうか、初対面の人に対してほぼ瞬間的に「相手がどんな人か?」「信用できるか?」と判断していることが。よく恋愛の話題などで、恋愛がうまくいくか否かは「最初の20秒がすべて」とか「第1印象が大事」というが、恐らくそれは、この「意識しない偏見」と似たような話だと思う。

 

この「意識していない偏見」に気づいてもらうために、授業では簡単な実験を行う。
一番代表的なものは(最初にこれがアメリカで行われることを言っておかなくてはならないが)、「これからフラッシュカードのように問いかけられる設問から、いいこと(positive)を連想する際には、白人の方のボタンを押し、悪いこと(negative)を連想する際には、有色人種のボタンを押す」ように指示し、質問と同時に白人と有色人種の写真が現れるというもの。スライドは50枚ほどで、平均所要時間は、長くても20秒ほどで終わることが多い。ちょうどトランプをシャッフルするくらいの時間だ。
次に、この逆パターン、つまり「いいことを連想する際には有色人種、悪いことを想像する際には白人」を選ぶ条件付けをしてみる。すると、選択するスピードは2~3倍に延びる。

 

この結果から何がわかるだろうか。先に行った設問であれば、ほぼ反射的に選択がなされるのだが、後に行った設問では、ボタンを押す前に反射的ではなく、一度考えるというクッションが入るということだ。面白いのが、これは人種に関係なく現れる結果だということだ。
実際の社会では、人種でものの善悪を決めていないつもりでも、実験では深層心理のレベルでこのような判断・イメージづけが行われているようである(恥ずかしながら、同じ実験を私も行った際に、全く同じ傾向が出てしまった)。この結果に直面すると、自称「偏見なし」の受講者もショックを隠せない。

 

エスニック・ジョークはなぜ笑えるか

「日本人といえば勤勉で、和を重んじる」とか、「アメリカ人は個人主義で、あくまでも自分の意見を通す」とか、「フランス人はロマンティックで美食家」といったステレオタイプ(典型的なイメージ)、あなたは抱いていないだろうか?
私自身も講演などでよく紹介する面白い例として、「乗っている船が沈みかけた時、各国民をどのようにして船から飛び降りさせるか」というのがある。いわゆるエスニック・ジョークという類のものだ。

アメリカ人の場合は、「今飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ」といえば飛び込み、英国人の場合は「今飛び込めば、確実に儲かります」といえば飛び込む。
ルールを重んじるドイツ人には「いろいろとおっしゃりたいこともあるでしょうが、これがルールです」といえば飛び込む。そして中国人には、「この海域にはおいしいそうな魚がいますよ」というと飛び込むというのがオチだ。フランス人は天邪鬼だから、「あ、絶対に飛び込んじゃだめですよ」というと必ず飛び込むと揶揄する。

 

 さて日本人は? この例では、「ほらみてごらんなさい。ほかの人たちはみな飛び込んでいますよ」といえば、日本人は飛び込む、というように紹介されている。これは、「日本人は優柔不断で、自分では決して決断せず、常に多数派の意見や行動に従う」というステレオタイプを反映したエピソードとなっている。
「自分はそんな付和雷同ではない!ちゃんと自分の意思で決断する!」と怒る方もいるかもしれないが、実際はどうであれ、多くの人がこういった「典型的なXX人」のイメージを抱いているからこそ、笑えるのだ。それもほぼ「無意識のうちに」。

私がここで申し上げたいのは、「みなさん、やっぱり偏見があるじゃないですか!」と非難することではなく、「それぞれが、他人や他国を見る際に、必ずと言っていいほど無意識のうちに、偏見もしくはステレオタイプを通して、瞬間的に判断している」ということで、それを自分で意識し、認めることが大事である、ということだ。

女性の「活用」っておかしくないですか

同じことは、同じ国の中、日本人同士でもいえる。出身地ごとに、それぞれのイメージがあるだろうし(テレビ番組の「秘密のケンミンSHOW」は人気だ)、男女間でもそれぞれに対してステレオタイプがある。
特に男女間での、互いに対するイメージによる影響は、日々みられるのではないだろうか。
例えば、昨今、女性の管理職を増やし、もっとプロとしての才能を仕事に社会に活かしてもらおう、という動きがある。この「活かしてもらおう」という言い方からして、すでに男性から女性をinferior (劣るもの)とみる心理が見え隠れしていると思う。本来は、才能に基づいた判断をして、できる人がリーダーシップポジションに就いて、他を引っ張っていくというのが至極当たり前で、「女性のポテンシャルを!」とことさらに叫んでいることからしておかしい。
まだ女性社員を「女の子」と呼んでひとくくりにしてしまうオジサマ上司も多いし、女性管理職のなかにも、女性に対して「でも女の子はXXだから」と男性よりも強いステレオタイプで判断し、個々の能力を見ない人もいる。
もちろん性別によって物理的・生理的な差異はあるが、女性が働きづらい環境があるとすれば、それはこれまでの男性本位の仕事スタイル(例:勤務時間や休暇制度など)の弊害だろうと思う。

交渉に必須な「ふわっとした視点」

このように「XX人」「男・女」というのは、バイアスの代表的なものだといえるが、こと交渉ごとに関しては、一般的に認識されている「偏見」を認識したうえで、逆手にとるという戦略もある。

 

たとえば、ものごとに納得するプロセスの男女の違い。一般的に男性は「これがルールだ」や「XXという理論ではこうなる」というように理詰めで納得する傾向があるが、女性の場合、「理論ではXXでも、私はそうは思わない」や「自分の考え方に合う」「腑に落ちる」といった感じで納得できるとされる。
また、視界というのも特徴があるようで、男性の場合、視線が一点集中になりやすく、指輪、爪、ペンといったところに視点が集中し、全体の雰囲気を感じ取るのはあまり上手ではない。
逆に女性の場合は、表現が難しいが、ふわっとした視点で(少しぼやけた感じの視点か?)全体の雰囲気を見て、その中から際立っている点を見つけるという特徴があるという。ゆえに、「髪を切った」とか、「今日のファッションのポイントはXX」といった気づきには、女性のほうが長けているとされる(逆に男性がこのような「気づき」に弱いのは、先述の通り、一点集中型の視点を持ちやすい傾向があるからで、致し方ないところもあることはご理解いただきたい)。

 

 ちなみに、私が関わっている交渉プログラムでは、取り扱っている交渉案件の全体像を把握し、その中から特筆すべきポイントを見つけ出すために、常にこの女性の視点・見方を心がけるように説いている。問題の本質や、いま問題となっているイシューを見つけ出すのに優れているのみならず、「何か理由はわからないけど、なぜかそう思ってしまう」というunconscious bias (意識していない偏見)に気づくのにも役立つからだ。
「意識しないバイアス」を自分が認識したうえで、これから導き出そうとしている合意や結論を見て、そこに微調整を加えることができれば、相手にも、また他の当事者にも受け入れられやすい案となる。 
私自身、紛争調停から個人的な争いまで、さまざまな案件の調停や交渉に携わってきたが、この「ふわっとした視点」を持ち、かつ自分には、無意識のうちに持っている偏見があると認めることで、以前に比べてバランスの取れた合意を導き出すことが出来るようになったと思う。

無意識の偏見を見つけるための“ Why? ”

私が今回、申し上げたいのは、国内外を問わず、一流のプロとして活躍する道は、「どんな人間も偏見からは自由になれない、と自覚すること」から始まるということだ。
誰しも無意識のうちに他人を評価しているし、その評価軸は、恐らく過去の経験や思い込みなどが影響している。言い換えれば、「無意識の偏見」を持っている。

少し前、あるサッカーチームのサポーターが「Japanese Only」という横断幕を掲げて問題になったが、「XX only」とか「XX人お断り」的なサインが問題になったことで思い出したエピソードがある。
新宿・歌舞伎町の中国料理店が「中国人お断り」という貼り紙を出していることをご存じだろうか? 
ここで「中国人差別だ」と騒ぐのはやや早計だ。
気になってこれらの店の店主たちに事情を聞いてみた。 店主は、みな中国人だった。そのようなサインを出した理由は、「中国人は、3人以上寄ると必ずけんかを始める。店を破壊されかねない」とのことだった。
中国料理店に「中国人お断り」という掲示が出ている、と聞いただけで「それは「中国人差別だ!」と憤る人がいたとしたら、それこそ私たちが持つ「意識していない偏見」がそうさせているのかもしれない。

そのような早とちりから解放される手段の一つは、「どうしてそのようなことをするのか?(主張をするのか)」、つまりWHY?と当人に尋ねて、その背後にある理由を探ることだ。
はじめは気が引けるかもしれないが、「どうして」と直接尋ねることで、わかることも大いにあるのだ。
自分の内なる「意識していない偏見」に気づき、かつ常に意識できるようになるには、「なぜ自分はこのような見解を持つに至ったか?」と自問自答するクセをつけるのもいいかもしれない。
リーダーのポジションに就くようになると、さまざまな利害や見解、文化的背景などを持った人や団体と交渉し、そして双方にとって望ましい結果を導き出す、そして多種多様なバックグラウンドを持つ人たちを率いていくことが期待される。
適切な判断を示し、そして尊敬されるリーダーたるには、まずは「自分には、無意識のうちに何らかの偏見がある」ことを認識することから始める。世界中の交渉事をみてきた立場から、そう訴えたい。

交渉プロフェッショナル~国際調停の修羅場から

相手の警戒を解き真意を引き出すテクニック、決裂必至の場における根回し術、当事者全員に利がある調停の肝は、「戦わない」交渉哲学から生まれた――。華々しい外交の表舞台の裏側で交わされる、交渉官たちの丁々発止のやりとりが臨場感たっぷりに伝わってくる自伝的ノンフィクション。