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2015.04.24
2012.08.27

超保留宣言―「何したっていい」と言えるための必要最低条件 糸井重里×高木新平【後篇】 自由と「消費のクリエイティブ」

前篇では、高木新平さんがなぜ「シェアハウス」という生活実験の場を立ち上げたのかについて糸井重里さんを相手に語ってもらった。そうした人と人の関係性から成り立つ「何したっていい」場を土台として、いかにクリエイティブの自由を取り戻していけるのか―これからまさに「必殺の一枚」を作り上げんとする高木さんと、「これ、よくできているけど、つまらなくなった」とだけは言わせないために走り続けてきた糸井さんの思いが、いまここで交差する……

糸井 重里 (イトイ・シゲサト)

1948年生まれ。コピーライター。「ほぼ日刊イトイ新聞」主宰。広告、作詞、文筆、ゲーム製作など多岐に渡る分野で活躍。1998年にウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設してからは同サイトの活動に全力を注ぐ。著書に『夜は、待っている。』『さよならペンギン』『黄昏』『ボールのようなことば。』など

高木 新平 (タカギ・シンペイ)

コンテクストデザイナー。1987年生まれ。「トーキョーよるヒルズ」というシェアハウスによる生活実験から執筆・メディア企画・政治活動まで、独自の発想を活かし幅広く活動中。またネット選挙解禁に貢献した「One Voice Campaign」を主導したことをきっかけに、選挙候補者のキャンペーンも手掛けるように。2014年の東京都知事選では、家入かずま陣営でネットをフル活用した選挙戦を仕掛けた。

「僕は保留中です」と言ってもいい。

糸井  そういえば、大滝詠一さんって知ってますか? 大滝詠一さんは、後にYMOのメンバーとなった細野晴臣さんや、作詞家の松本隆さんとかといっしょに、学生バンド出身の「はっぴいえんど」という一世を風靡したバンドのメンバーだった人で、30年ぐらい前に『A LONG VACATION』(1981年)というすごいアルバムを1枚作って、これで10年食えるっていって、仕事辞めちゃった人なの。その人、もともと福生にいたんですよ、米軍の横田基地のある。そこの米軍ハウスが余っていて、そこを安く借りて、レコーディングもできるし、集まれるし、みたいな、そういう仲間が集まって。こんな(長い)髪をしてね。

高木  ほう。

糸井  だけど、どんどんスタジオとかよくしちゃって、「これで10年」って言っていたのに、30年経っていますよね。本当にすごいと思う。ていねいに何年でも聴かれるアルバムを作ることができているっていうことは。大滝さんのこだわり方は、とんでもなくて、レコーディングスタジオを決めるのに、こっそりとコンセントの電圧を調べに来る。「なだらかな電流が流れてないとやっぱりいい音が出ない」とか言いながら。

高木  なるほど。すごい。

糸井  理科系の知識もきっとあるんでしょうね。そういう人だから、出したアルバムは売れました。それで、その中からシングルカットして売れました。コマーシャルに使われて売れました。これで10年。その後で、ミックスダウンをまたやりなおして、また売れた……その大滝さんに、14年前、『ほぼ日刊イトイ新聞』を始めるときに、対談で出ていただいて、それが最初の人気コンテンツになりました。

高木  へえ。自分もそういう作品を出せたらいいですね。

糸井  大滝さんは、「ちゃんと食えるのはコンテンツの力だ」ということを知っていたということですね。だから、そのコンテンツの中に全部を込めたんだと。だから、俺は、高木さんが今やっている「言葉」に落とし込む仕事以外にも、具体的な作品も手がけて欲しいと思っている。言葉って、何て言うんだろう、液体的過ぎるっていうか、ものすごく都合がいいじゃないですか。だから、なんかこう、具体的に置いて見えるものだとか、着られるものだとかを作ったら面白いと思うし、そこは絶対外さないほうがいいんじゃないかと思う。大滝さんみたいな「必殺の一枚」を、その一枚がもう十年語ってくれるようなものを。たとえばイギリスで1960年代にマリー・クワントが作ったミニスカートは、必殺の一枚じゃないですか。「ロンドンではこんなに短いんだ!」と世界中それになったし、シャネルの登場だってそうだし。なにか服はやっぱわくわくするよね。世界中変えちゃうから。

高木  そうですね。

糸井  今の時代、誰の助けを借りてもいいと思うんだ。だから、それまでは堂々と「僕は保留です」って言えばいいと思う。普通「保留」なんて恥ずかしいじゃないですか、社会の中では。でも、俺は、今の時代は「超保留の時代」だと思っている。すぐに経済と結びつけて行動しなくたっていい。ただ、本気な人たちが「このお皿で美味しい料理を出そう」と思ったら本気になれるんだ、と。お皿、つまり器は持ってない。でも、俺たちものすごく美味しい料理を食わせるよっていう。そういうことが俺は、「超保留」だと思っています。ないのは金だけっていうのでもいいんだよ。保留のやつらが堂々と保留で大食いするみたいな(笑)。保留というバットを振り回すみたいな(笑)。

高木  はい(笑)。

糸井  俺自身も、そういうことをしているような気がするんだ。認定の言葉で位置づけられないことに対して位置づけない方がよくて、「旅しているんだよ」って開き直る風潮があっていい。で、「昔旅していて、どういう子だかわかんなかったけど、今はこういうことをしているんだよ」で、いいじゃない。何したっていいんだよね。

何もなくても、「人」こそが究極の動力

高木  僕、これまでデザインをやってきた中で、今あらためてモノにおいて最強だなあと思うのは「折り紙」とか「風呂敷」ですね。それらはどんな使い方でもできるじゃないですか。どんどん機能を追加していっていくのとは逆に、完全に機能を引き算していった中に自由があって、人の創造性が発揮されていく……そこらへんは日本に本来あったはずなんだけど、今は失われてしまっているんじゃないか。だから、僕は学校で答えを前提にした式を解かせるより、折り紙を自由に折らせた方がいいと思ったりします。

糸井  そういうことを勉強しに行く場所を、俺、東北に作りたいと思っている。修学旅行でお寺見るのもいいんだけど、折り紙をやるっていう修学旅行あっていいと思うんですよね。

高木  そうですね。

糸井  先生も、だったらそれもいいかなと思ったら勝ちだよね。

高木  あと、今の話とちょっと連動するんですけど、「祭り」は、あらゆる社会的な縛りみたいなのも越えて、ある種の解放された状態になりますよね。そういう祭りのようなことが今の世の中には足りないと思っているんですよね。祭りのときって、「お前、なんとかのくせに!」というのがないじゃないですか(笑)。

糸井  祭りで善悪を問う人はいないよね。

高木  そうなんですよね。「祭り」ってすごいコンセプトだと思います。花見もそうかもそうですけれど、なにか息苦しい社会に風穴を開ける力があるし、一人一人が解き放たれるように創造的になれるし、今僕がつくりたいもののヒントもあるかなと思っています。それで、「よるヒルズ」に話を戻すと、「よるヒルズ」って、見ていただいてお分かりのように、何もないじゃないですか。これが、いつも取材に来る人にがっかりされるんですけど(笑)、僕はプレーンなほうが、そのときそのときで自由にできるからいいと思っているんですよね。人こそがコンテンツだし。

糸井  人がコンテンツだっていうのは、飲み屋さんでも何でも全部そうなんだよね。喋らないで飲んでいるって、ドラマの中の人だけだよね(笑)。実際、黙っている人でも、話しかけると喋るもんね。やっぱり、なにか、人の気配みたいなものを、景色を見るように見たいんだよね。誰もいなくて嬉しいって人はいない。

高木  いないですね。でも、ああいうのもどんどん個室とかできちゃって、その部屋に必要なものを置いたりして、どんどんつまらなくなっていますよね。大衆食堂みたいにドーンと大きなテーブルがあって、その真ん中にしか醤油がない、みたいな感じの方が面白かったりするはずなのに、なんかどんどんどんどんつまらなくなっている感じがします。

糸井  それは、「消費者が王様」になりすぎたからなんだろうな。なんでもサービスしてくれっていう。例えば、香川の讃岐うどん屋さんなら、お客が自然に醤油とりにいくじゃない。ネギとってくるのもお客がやるじゃない。あれだよね。

高木  そうですね。だから僕は糸井さんの『インターネット的』(PHP新書)という本を読ませてもらって、「消費のクリエイティブ」という言葉にすごく感動しました。消費者からの短絡的なリクエスト、注文が増えて、それに生産者側が答えるようになる中で、だんだん「消費のクリエイティブ」がなくなっていって、便利だけどお互いをつまらなくしてしまう循環をつくり合っているという……「よるヒルズ」だって、何もないからこそ、みんなそれぞれ勝手にプレゼンテーションしたりとか、なにかしだすんですよね。人間、本当はそういうのを持っているはずなのに。花見なんて何もないですけど、そこにみんなビール持ち寄って勝手に喋り合ったりと、そういう能力が活きづらくなっていますよね。

消費の「情報コード」が変わった

糸井  こういう生活していて、心配みたいなものはない?

高木  心配はないって言ったら嘘ですけど、まあ、この家もそうですけれど、いろいろな人が会ってくれるっていうことは、なんか大丈夫かなって気がします。仕事をくれる経営者の人も「お前に頼む」と言ってくれたりしますから。まあ、いつまで続くかわからないですけれど、でもこれで間違ってないんだなってなんとなく思っています。今は僕一人の人生だし、とりあえずは。

糸井  「これ、よくできているけど、つまらなくなった」って言われてしまう可能性が一番怖いですよね。

高木  そうなんですよね。だから自由に、実験し続けようと思っています。そうじゃないと、ある意味、いろいろな人の期待を裏切ってしまうし、そういう形でなければ、生活というもの自体が、もう広告できないと思っています。僕は「よるヒルズ」のほうが、“広告”の会社にいたときよりも、広告しているなと思っておりまして。

糸井  俺もそう思う。広告のクリエイティブは、1980年代でいちど終っている。

高木  はい。生活というもの自体を、自分自身の頭で考えてつくって、人に体験してもらって、「これいいでしょう」と広告できている気がします。それが僕なりのクリエイティブなのかもしれない。

糸井  俺は、いまだに「広告に戻ってくればいいのに」と言われますけど、俺はいまの自分がいちばん広告していると思っています。

高木  僕も会社を辞めるときに「なんでお前ここまで来てやめるの? フリー? え、自分から一番下層に落ちちゃうの?」みたいなことを言われました。「いや、そうじゃなくて、できてない仕組みの中で生活をイメージし直すことが必要だし、もう「情報コード」が変わって、フラットになってきているから」と伝えたけれど、でも全然ピンと来てないんだろうなと思います。

糸井  ピンと来てないかもしれない。きっと十何年前からピンと来てないですよ、みんな。今頃になって、それもあるかなって、思っているのかもしれないけれど。不況になって、会社が危ないと思ってからね。それがないときは思ってない。はやく気づいて良かったね。

高木  そうですね。

糸井  消費っていうのは、現場がすべてだから。別に悪でも善でもなくて、人がいきいきと豊かに消費することですから。ものを買う、買わないに関係なくね。

高木  はい。ソニーとかパナソニックでさえ1万人規模のリストラになっているような時代ですもんね。だから、どちらの側から見ても、消費のあり方や広告のあり方それ自体疑わなきゃいけないとは思います。

糸井  消費財の概念そのものが狭すぎるんですよね。中くらいまでの小銭で買えるものの消費財のことを消費財っていって、名付けようのない、お金に換算できない消費が、ものすごく誤解されているわけです。

高木  そうですね。

糸井  「ほぼ日」では、毎週金曜にお菓子のレシピを、Twitterで、140字以内で発表しようというのをやったんですね。発表したレシピでみんなが、せーのーでどんどん作る。結果、失敗しちゃった、成功しちゃった、美味しかった、ということになるんだけど、140字以上レシピを書かないっていうところが面白いんですよね。

高木  なるほど。

糸井  成功やら失敗やら、そのばらつきがお菓子作る面白さで、全部終ってから、じゃあ、詳しいレシピを言います、と。そうすると、絶対成功したい人はそれでやればいい。でも、そうじゃなくて、遊びたい人は、自分の貴重な時間でお菓子と「どろんこ遊び」したい人は、140字のレシピじゃないと、逆にいうと格闘できないんだよ。

高木  おもしろいですね。

糸井  一方で、うちでも料理の本を出していて、それは計量カップで寸分違わずやれば同じ味ができますよというものです。これは自由にするのは後回しだと。本当に美味しいものを作る、肉じゃがを自慢して結婚したい、そういう女の子に対してはこれで作れば大丈夫っていうのを一方で出しておいて、もう一方でお菓子のレシピはボワーンとしたところで、もうどろんこになろうよ、みたいな。

高木  うんうん。

糸井  両方、うちの中から出てくる。それが「ブレンド」で、両方とも楽しんいでる。「できました!」って、両方から言われるんだよ。消費ということにおいて、料理で今一番の高いのは人件費ですよ。肉買うよりも何買うよりも一番高いのは自分の労働、人件費です。それを消費財として考えたら、ものすごく豪華なものを食べている。人が大量に作ったものをワッと買うよりもずっと高い。そこのところをもっといっしょに遊びながら……それが、たぶんあなたがこういう場所ですってやっているのと同じような気持ちで、俺がやりたいことなんだろうな。これは広告代理店にはやりにくいことだろうね。直接は「お金」につながらないから。

高木  それは実感します。だから、小さな話で、この「よるヒルズ」の中の掃除にしても、ルール化してこうやるんだとかっていっても駄目だし、つまんないんですよね。

糸井  ルール化するとできるような気がする時期があるんですよね。

高木  そうですね。で、それを守ってないと、「お前さ(怒)!」ってなって、なんか悪い関係になっちゃうんですけど。でも、「イベントやるやつが、イベント前に掃除しよう」っていうルールにすると、掃除が超楽しくなるんですよ(笑)。で、今日、糸井さんと一対一で対談だから、このカーペットここに敷いて、とか(笑)。

糸井  これ、いつもは違うんだ(笑)。

高木  はい、いつもは違うほうを向いていたりとかするんですけど(笑)。僕は、そういうやり方をしてから、掃除を楽しいものだと思い始めたんですよ。でも、本来そうだったのかなと思うんですよね。人を招くときに掃除したりとか、ものを準備する楽しさというものは、絶対にある。それが、「これはこの洗剤で洗った方がいい」とか、「この道具で隅々をこうやるべきだ」とか、そっちが先行しちゃうと、どんどん義務感に押されていって、「消費のクリエイティブ」というものがなくなっていきますよね。

糸井  そうだね。いやでもほんと、さっきの話だけど「「何したっていい」って言うのは、親だけだよ」って口から出たときびっくりしたなぁ。子供とかできたらきっとそういうことを言うと思う。

高木  あぁ素敵です。そういうある種の信じる関係性と、何かをする自由度は、一人一人がクリエイティブであるために、とても大切なんですね。ものをつくるにしても、何かを消費するにしても…。ほんと大変勉強になりました!

糸井  いやぁこちらこそ、たのしかった。ありがとう!


【終】

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