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2015.04.24
2013.11.26

『新TOKYO論』番組収録後インタビュー:藤村龍至

2013年12月1日(日)0:00~1:00〔土曜深夜〕放送予定のニッポンのジレンマ『新TOKYO論』収録後、藤村龍至さんにインタビューを行いました。

藤村 龍至 (フジムラ・リュウジ)

1976年生まれ。建築家、ソーシャル・アーキテクト。東洋大学専任講師。住宅や集合住宅、教育施設の設計と共に、公共政策や国土計画の構想に精力的に取り組む気鋭の建築家。大規模な国土開発の歴史を批判的に捉えながら、JRの区分けに基づく経済圏やインフラ輸出を提案し、注目を集める。さらに東京郊外を舞台に、老朽化した公共施設の再編成に行政や住民とともに取り組み、ソーシャルデザインに役立てるプロジェクトを推進している。共著に『現在知vol.1郊外その危機と再生』(NHKブックス)などがある。

――今回の番組で“もっとも伝えたかったこと”は何でしょうか。

藤村  東京が湾岸を中心としてこれから大きく変わって行くぞということと、そのことを日本列島の構造の中で捉えていこうということです。2020年の東京オリンピックに向けて、晴海を中心として半径8㎞圏内で再開発がなされていくとすれば、グローバルなビジネス・センターとしての“TOKYO”の外側になる渋谷や新宿はこれからアジアからのショッピング・ツーリズムを担う街に変わっていくと考えられます。

 鈴木さんのように、「半径8kmの外に出たい」とも思わないし、その中に入っていって、グローバル・キャピタリズムに乗っかってビジネスをしていこうとも思わない。その境界にいて、その両方をにらみながら、東京の行方を考える立ち位置にいたい、そういうスタンスです。(事務所をかまえる)渋谷はその意味でちょうどいい境界にあると思います。

――今回の番組で“興味を持った発言”や“印象に残った発言や話題”はありましたか。

藤村  齋藤さんの「公共のテーブル」という発言が印象に残りました。私が自治体でやろうとしているプロジェクトも、毎回テーブルを作って、その周りに人を集めて意見交換をするということなのです。“人が集まっている空間”というやろうとしていることのイメージは案外似ているなと思いました。

 建築や都市計画の場合は、住区計画、地区計画、都市計画と階層を作っていくのですが、齋藤さんがおっしゃっていることも原理は同じで、単なる“シェアハウスの決め事”にみえることも、枠組みを段階的に拡張して行けば都市計画のレベルでやるべきこととそんなに変わりません。

――晴海を中心とした東京全体の新しい都市計画と、現在のご自身の仕事として「大宮東口プロジェクト」のお話をされていましたが、ほかの論客からの反論を引き出しつつも議論の基調となっていました。

藤村  建築家として、マクロの話もミクロの話もどちらもしたかったので、意図的に切り離してプレゼンしたのです。マクロな視点だけだとこぼれてしまうことや、実践の場における、具体的なプロセスの積み上げの重要性も強調しておきたかった。両方をプレゼンテーションできたことが非常に良かったと思っています。

――東京を単体で考えるのではなく、“日本の中の東京”という視点を忘れてはいけないと強調していましたが、どのような理由からでしょうか。

藤村  1969年に策定された新全国総合開発計画や1972年の日本列島改造論のころの目標というのは、“日本を一つにする”ということでした。いわゆる一日行動圏を拡大して、人々が日本全国を一日で移動できるということを目指して、これまでやってきたのです。それが青森や鹿児島に新幹線が到達し、北海道新幹線構想も具体化してきて、おおむね当初の高速鉄道網が完成した矢先に、東日本大震災が起こり、“単一な日本”という概念が実は脆弱だということが判明してしまった。

 そして「首都圏直下型の地震が起きたとき、東京に依存した単一のネットワークは危ないのではないか」という議論が出てきて、今はそれをどうリスクヘッジするかということに議論のポイントが移ってきている。例えば、トヨタなど大手メーカーの間では、愛知、九州、東北、北海道というように国内に生産拠点を分散するということが起きています。おそらく政治のレイヤーについても同じことをしなくてはいけないと言えるでしょう。

――そんな状況下で、藤村さん自身の戦略は?

藤村  2020年までに、現在手がける「大宮東口プロジェクト」などで展開している方法論を確かなものにしていきたいと思っています。2020年までは、東京を含めて日本全国が言ってみれば、“お祭り”的に過ごしていくと予想しています。その“お祭り”をくぐり抜けたあと、東京とそれ以外の地方との格差はますます拡大して地方都市はかなり荒んだ状況になるでしょう。それをいかに再構築するかということが問題です。ちょうどそのころ、1970年代に建設されたさまざまなインフラが耐用年数を迎える時期とも重なります。

 そこでようやく私たちの出番が始まるのです。それまでは“仕込み”の期間が続くと考えています。自分の拠点はあくまで東京とその郊外ですが、そこに留まらず、いろいろな都市で自分の方法論を試しつつ、2020年以後の日本列島の再構築に向けた準備をしていく予定です。

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