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2015.04.24
2013.10.18

豊かな社会の道しるべ : 「小さな参加の革命」(3/3) 山崎亮×國分功一郎

コミュニティデザイナー・山崎亮さんと、哲学者・國分功一郎さんの対談第3回は、前回の“つながり”の議論を経て、より広い視点へとシフトしていきます。経済的な豊かさが達成された「豊かな社会」に潜む、満たされなさの本質とは。住む場所への参加は、その日常にどんな可能性をひらくのか。現代社会の課題だと思われているこうした問いも、かつて同じように悩み、答えを出そうとした人々がいました。「小さな参加の革命」、いよいよ最終回です。

忘れられたもう1つの社会主義

國分  山崎さんと僕ですごく共感する部分は、二人ともウィリアム・モリス、そしてその師匠のジョン・ラスキンに関心があることなんですよ。

山崎  國分さんの『暇と退屈の倫理学』の裏表紙には、モリスの言葉が引用されていますよね。

國分  そうなんです。ウィリアム・モリスという人は19世紀のイギリスの思想家で、デザイナーで、建築家であるというような、本当に多くの顔を持った人で、イギリスにおける最初期の社会主義者です。
 その頃の社会主義者たちって、「どうやって蜂起して、革命を起こすか?」ということばっかり考えているんですね。だけど、モリスは「革命なんて来るに決まってる」と思っていた。そして、「明日革命が起きたらどうしよう? 革命が起きたら、豊かな社会になるじゃないか! 豊かな社会になったら、いったいどうやって生きていけばいいんだ…」と、ひとり、革命後の社会での生き方について真剣に考えていた。

山崎  おもしろいですよね。

國分  「人々の生き方が変わらないんだったら、ずっと寝てたほうがマシだ!」なんてことも書いていたりもしますよね(笑)
  じゃあ、どうするか。彼は豊かな社会を生きる方法として、芸術に目を向けました。芸術が日常に入っていくことで、人の生活は豊かになると考えたんです。 山崎さんは『まちの幸福論』で、栃木県の益子でやった土祭(ひじさい)のプロジェクトの並びでモリスのことを書いていますが、コミュニティデザインをやっている山崎さんが、ウィリアム・モリスに傾倒しているというのは、実は必然的だなあと思ったんですよ。

山崎  そうですねえ。モリスはとても好きですね。
「コミュニティ」というと、68~69年のことを経験した先輩方からは、ちょっと眉をひそめられることもあるんです。だけど、かくいう僕は仕事をするまで知らなくて。理系だったから政治思想や社会運動のことについてはあまり勉強しないまま、ずっと過ごしてきちゃった。しかも、その時代には生まれていないから、当時のことは知らないし。

 ところが、どうも読めば読むほどしっくりくる本がある。だけど、それを話すと「ああ、君は左か」といわれることがあったりして。調べてみると、自分が生まれる前に、右とか左とかそういうものがあったらしい。それ以降、モリスやジョン・ラスキン、ロバート・オウエンなんかの名前を出すのをちょっとだけ控えたこともありました。が、あるとき吹っ切れたんですよね。いいこと言ってるんだし。

國分  社会主義といってもかつては多様なものだったんですよね。モリスなんかの社会主義もかなり受容されていた。日本でも同様で、たとえば芥川龍之介の卒業論文はウィリアム・モリス研究だったりします。
 ところが、後にロシア革命があって、マルクスとエンゲルスからレーニンへと向かうラインこそが社会主義だということになってしまった。モリスやラスキンなんかが持っていた可能性は押しつぶされ、「彼らは理想ばかり語っていて、具体的な社会主義の実現・維持の方法を考えていない」という感じになっていったんですよね。

山崎  そうなんです。でも、彼らはとってもハッピーな社会主義を考えていた。
 マルクス主義の大きなムーブメントの後に、見直される時期があるんですよね。そのとき脚光を浴びたのが、後期マルクス主義者のルフェーブルや、彼に影響を受けたフランスのシチュアシオニスト(SI)という活動家たちです。ルフェーブルとシチュアシオニストは後にケンカしちゃいますが、この辺の人たちと、ジョン・ラスキン、そして彼に影響を受けたモリスたち、このあたりがすごく好きですね。中立的で。

國分  シチュアシオニストの話まで出るとは思いませんでした! シチュアシオニストというのは、主に1960年代に活躍した、芸術と政治の統一的な実践を考えた人たちのことですね。

山崎  「状況主義者」なんて言われますよね。彼らは芸術家や建築家の集まりで、今あるものを組み合わせてアートを作っていこうという人たちです。シチュアシオニストの計画も、暇や退屈にどう対応するかということに近いことを考えていて、中でも「ニューバビロン」という計画が、とくにおもしろい。
 彼らは、もう地上はダメだと嘆きます。1960年代の地上は、もうおしまいだと。だから、「空中に浮かせた新しいまちをつくろう」と言い始める。そのまちでは、労働は全て機械がやってくれるから、働かなくてもいい社会がすぐそこまで来てるんだと言うわけですね。このへんは、モリスと近い。

國分  モリスの、「革命後の豊かな社会をどう生きるか」という問いに重なりますね。シチュアシオニストたちは「第二の産業革命は必ず起きる。じゃあその後、空中でのんびり暮らしていくときに、俺らは一体何をするのか」を考えていた、と。

山崎  そうそう。まさに國分さんが『暇と退屈の倫理学』で引用している、モリスの「わたしたちはパンだけでなく、バラも求めよう。生きることはバラで飾られねばならない」という言葉に、すごく近いことを言っています。つまり、腹を満たすものだけじゃなくて、アートもすごく大事だよねって。彼らは結局、1968年のパリ運動の中核になってしまいましたが、その少し前にはそんなことを言っていました。

 人びとは空中都市で何をするのか。これがおもしろい。「ニューバビロン」での暮らしは、とにかく自分の「住まい」をつくり続けることなんです。それは彼らが建築家だったこともありますが、労働がなくなってしまった社会では、趣味としてお気に入りの家をどうつくるかが大切なのだと。
 滑稽な話に聞こえるかもしれません。でも、まさにそれって、「参加」なんですよね。誰かが作った芸術作品を鑑賞したり、解説を読んだりしても、そんなにおもしろくない。それよりは、自分が実際に作ることに関わるほうが、ずっと楽しい。

國分  モリスが始めた「アーツ・アンド・クラフツ運動」は、まさにそうですね。

山崎  そうですね。モリスはクラフトマンシップを非常に重視しています。ただ手仕事をやれというんじゃなくて、自分で創造していくことがすごく大事なんです。それこそがあなた自身の人生を豊かにしていくとモリスも言っていますし、シチュアシオニストも同じことを強調しています。

 コミュニティデザインの立場からそれを考えると、自分たちのまちのことを誰かにお任せにするんじゃなくて、自分たちで動いてみようぜということになります。道路建設に反対している國分さんには怒られるかもしれないけど、なんなら自分たちで一緒にアスファルトを敷いてみたり、夜は皆で酒飲んで騒ごうぜということですね。で、「明日はまた10メートル進むかなあ」とか言って、だんだん敷き方がうまくなってきたり、アスファルトの濃度の違いだけで模様を描いてみたり。そうすることが友達を増やすし、豊かな社会なんじゃないかと思うんですよね。

「Lifeこそが財産である」

國分  山崎さんとお話していると、初期社会主義のことを想い出しますね。フーリエなんかは僕も大好きなんです。フーリエは「住居とか食事とか、さらには性行為まで含めてもっともっと楽しくしようぜ」ということを言っていますね。

山崎  ファランステールですね。全部一緒にして。

國分  そうそう、バランスで考えるんですよね。だから、ハードだけじゃなくてソフトも考える。確かに山崎さんの先駆者だ。

山崎  フーリエやオウエンがつくったまちの一部は世界遺産になっていますが、ハードとソフトの両面を考えていたという意味で、すごく尊敬しています。

 その後、彼らがつくったまちのハードの部分は、多くの人に参照されています。だけど建築家たちは「どんなかっこいいカタチをつくるか」、つまり、ハードばかりを考えるわけですね。だから、そっちばかりが継承されていってしまった。でも、いつの間にか抜け落ちた「どう生きていくか」というソフトの部分も、本当はすごく大事なんです。

國分  実は今日はさっきから名前の挙がっているジョン・ラスキンの本を持ってきました。『ゴシックの本質』という、たいへんおもしろい本です。『ゴシックの本質』という、みすず書房から出ているすばらしい本なので、皆さんぜひ読みましょう。

山崎  いま、二回言いましたからね(笑)

國分  相当お薦めです(笑)。これは若い頃に書かれたもので、ゴシック建築について批評した本なんですが、おもしろいのはゴシック建築を批評するときの判断基準なんですよ。建築物のカタチについて考察するかと思いきや、ラスキンは「このゴブリンの像を作った労働者は、たぶん楽しんで作っていただろう」とか、そういうことを言うんです(笑)

山崎  ハードとソフトが一体になった批評なんですよね。

國分  そう。これを作った労働者がどういう状況だったかを考えなきゃダメだ、という視点なんですね。だから、もし労働者が奴隷なら、その建築の各パートは画一的になるだろうとも言っています。職人の労働と建築家の設計が一体になってひとつの建物物がつくられるのだから、ソフトとハードを分けて考えることはできない、と。

山崎  すばらしい(笑)

國分  山崎さんは、気づかずに両方やっていた。

山崎  そうなんです。最新のことのように言われることもありますが、そういうわけじゃないんです。

 ジョン・ラスキンは、『この最後の者にも』という本の最後のほうに、「Lifeこそが財産である」と書いています。Lifeとは「生活」、あるいは「生きていくこと」。つまり、生きていくことが財産であると言うわけです。そして、そのLifeを高めていくか、貶めていくかで、あなたたち自身の人生の価値が決まるだけではなく、国の価値までもそれで決まると言うんです。同時に、「最も裕福な国とは、最も豊かな人が多かった国である」とも言っています。

 じゃあ、最も豊かな人生を歩んだ人とはどういう人か。
 それは、「自分が持てる能力や財産すべてを使って、他人の人生に対して、最も有益な影響を与えた人」だと言うんです。簡単に言えば、「他の人に対していいことをたくさんした人生が、豊かな人生なんだ」ということですね。

 お金でも、思想でも、何かの事業でもいい。どういう形であれ、他の人の人生にいい影響を与えた人の人生こそが、彼には最も高貴なんです。僕はこの考え方がとても好きで、いまstudio-Lという事務所をやっているんですが、「L」はまさしくそのLifeのLから取ったんです。
 やっぱりジョン、すげえと思いますね。僕はとても尊敬しています。

手づかみの幸福論

國分  山崎さんの本には語源の話がよく出てくるんですが、「はたらく」というのは「傍にいる人が楽になること」だと書かれていますね。

山崎  もちろん、諸説あるんですけどね。

國分  僕はなるほどなあと思いました。『まちの幸福論』の中で、90年代生まれの学生についての話をしていますが、右肩上がりの経済成長を知らない世代は、まさしく「はたにいる人を楽にする」ことを自然にできる世代だと思うんです。僕も大学で生徒と接する中で、すごく実感します。

山崎  そう思います。こんな言葉はないと思いますが、彼らは「不景気ネイティブ」ですからね。

國分  「デフレネイティブ」とかね。

山崎  あ、そっちのほうがいいですね! 「デフレネイティブ」なんですよ。
 つまり、ナチュラルボーン・デフレ、生まれたときからもうデフレ。本人たちはデフレだと全然思っていない。大人から見て悪い時代こそがスタンダードなんですよね。僕は、この人たちの発想力に期待したいなと思うんです。彼らは「景気がよくならないと自分の生活は豊かにならない」という発想を持っていない人が非常に多い。

 アベノミクスだって、日本の景気を少しでもよくしようという発想によるものですね。景気を上げて給料が上がれば、おいしいものが食べられるし、楽しいことがたくさんできる。それを通して、家族や友人との絆を再確認する。そのための景気回復なんだ! と、そういう論理もあるかもしれません。

 だけど、「デフレネイティブ」はそういう考え方はしないんでしょうね。最終的な目標が、おいしいものを食べて、絆を確認し合うなら、景気はどうあれ、「今日、皆でおいしいものを持ち寄って食べたらよろしいがな」というのが、彼らの発想だと思うんですよ。
 江戸の小咄にも、「三年寝太郎」という話がありますね。若者が寝ていたら老人が来て、「いい若者が昼間から寝てなんだ。起きて、仕事でもしたらどうだ」と言うわけです。若者は寝たまま、老人と次のようなやり取りをするわけです。

若者 「仕事をしたらどないなるんですか」
老人 「おまえ、仕事をしたらそりゃ、金が入るじゃないか」
若者 「金が入ったらどないなるんですか」
老人 「金が入ったら金持ちになれるじゃないか」
若者 「金持ちになれたらどないなるんですか」
老人 「金持ちになったら、おまえ、寝て暮らせるぞ」
若者 「それじゃ、このまま寝てます」

 それは、言い換えれば「手づかみの幸福論」ですよね。目の前に実現できる幸福があるんだから、遠回りしなくとも幸せはつかめる。そういうことを、ちゃんと分かっているのがデフレネイティブだと思うんです。そんな彼らが発想するプロジェクトや、これからつくっていく世の中は、とてもおもしろいものになるんじゃないかという予感がします。実際にそれは、少しずつ出てきていますし。

國分  そうですね。若者に対して悲観的な人はいつの時代もいますが、僕は今の若者の意識というのはとてもいいなと思っています。社会学者の古市憲寿くんがよく挙げる数字ですが、内閣府の調査で、今の20代の人に聞くと、7割が「社会をよくしたい」と思っているそうです。ところが70歳以上の人に聞くと、それが半分以下になっちゃう。今の若い人って、社会をよくすることがデフォルトなんだと思います。

 だから、山崎さんのおっしゃるように、別に革命運動をやるとかじゃなく、手づかみの幸せに立脚しながら、自分がやれることをやろうよという、新しいセンスが出てきている気がします。このことは本当に力強いですし、うれしいことだと思いますね。

山崎 期待したいですねえ。何が正しいのか、答えがない時代だからこそ、彼らの提案する社会のカタチにどんな可能性があるのか、僕もこれから、注目していきたいと思っています。

(了)

 

 

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